一組の男女が新一とキッドの側へ近づいてくる。 それが一課の刑事だと悟ったキッドは、少しだけ新一の傍から離れた。 新一は自然な動作で彼から離れ、男女の許へ歩いていく。 他人を装いながら、新一は口元に笑みを浮べた。 2人の背後に回ると、表情を変えることなく小さな声で話しかける。 「様子はどうですか?」 「今のところはなんとも。本人が出てこないとなにもできないわね」 「白鳥さんと千葉は怪しい場所がないかチェックしているよ。まあ、見つからないとは思うけど、念のため」 「そうですね……」 ここはホテルなのだから、怪しい場所がないことは誰もが分かっている。 だが、それでもなにかが出てくるかもしれない。 そう考えたから、白鳥と千葉がチェックしているのだろう。 (それでも見つからないだろうなぁ……) 内心で溜息を零していると、入り口の方がざわめいた。 あっという間に人だかりができ、誰かが囲まれていると分かる。 新一は偽カップルになっている高木と佐藤に目配せをした。 2人が小さく頷く。 同時に人だかりが左右に割れ、一人の男が姿を現わした。 62歳には見えない若い顔と、引き締まった体躯。 名前の割にはダンディーなオジサマのように見える。 この男こそ、今回のパーティの主催者である望月善蔵だった。 望月は声をかけてくる客達と挨拶を交わしながら、会場を右往左往に移動していた。 それに合わせて、新一達も会場内をウロウロと歩く。 ホテル内をチェックしていた白鳥と千葉は、望月が現れた直後に戻ってきた。 やはり、怪しい場所はなかったらしい。 皆分かり切っていたことなので落胆はしなかった。 気持ちを切り替えて、望月の動向を見つめている。 ただ、二課の刑事達に気づかれるわけにはいかないので、行動は慎重だった。 時折すれ違う熱血警部に冷や冷やしながらも、新一は望月を視界の端に映しながらシャンパンを飲む。 少々頬に熱を感じるが、これぐらいで酔うことはない。 ……多分。 (飲み過ぎってワケじゃないけど…ちょっとだけフラフラする…のか?) 退屈を紛らわすためにシャンパンを飲んでいたが、そんなに飲んだ記憶はない。 アルコールには強いはずなのに、なぜか今日は気分がふわふわしていた。 もしかして、空きっ腹に飲んだからなのだろうか? 実は、新一は今朝からなにも食べていなかった。 というよりも、目を覚ましたのが午後2時頃だったので、まあいっか、で済ませてしまったのだ。 その所為かもなぁ…と暢気に考えながら、新一は壁に凭れる。 これ以上は飲まない方がいいなと判断し、飲みかけのグラスを備え付けのテーブルの上に置いた。 目元を覆う仮面の所為で周りには気づかれていないだろうが、新一は自分の瞳が潤んでいることを自覚していた。 酔いを覚ました方がいいよなぁ…と溜息を吐いていると、見知った気配がこちらへ近づいてくる。 それが誰なのか分かっていたので、新一は顔を俯かせたまま瞳を閉じる。 数秒後、新一は自分を包み込む温もりを感じてゆっくりと瞳を開いた。 目の前に見えたのは黒と白。 …………この体勢はなんなのだろうか。 男の腕の中で眉を顰めながら、新一はぼそりと呟く。 「おい、これはなんの真似なんだ?」 「名探偵の色気に引き寄せられた害虫を駆除しているんですよ」 「は?害虫?駆除?」 なに言ってんだ、お前。 訝しげな眼差しがそう訴えている。 キッドの言葉の意味が理解できない新一は、アルコールで潤んだ瞳で彼をじっと見つめた。 (まったく、こんなにもイヤラシイ視線に気づかないとは……。仕事でこの場にいるのに、どうしてアルコールを口にしたんですか、名探偵) 見つめてくる蒼の双眸に理性を総動員させながら、キッドは内心で呟く。 仮面を付けているとはいえ、新一が無意識に垂れ流す色気に、周りにいる客達が引き寄せられていた。 それを牽制していたキッドの気持ちが、新一には分かるはずもないだろう。 己の苦労に溜息を吐きながら、キッドは周りの目から新一を隠すために深く抱き込んだ。 人の頭の上で溜息を吐いている怪盗に、新一は胡乱気な眼差しを送る。 だが、彼は苦笑を浮べるだけで何も言おうとしない。 (コイツは一体なにがしたいんだ……?) キッドの行動が理解できない新一は、内心でこっそりと溜息を吐いた。 そうして、ハタと我に返る。 なんで自分はコイツの腕の中で大人しくしてるんだ? 今更ながらに、己の行動に疑問を抱く新一。 眉間に皺を寄せながら、むむむ…と首を傾げる。 (ナニを考え込んでいるんでしょうねぇ…この人は) 首を傾げてなにやら考え込んでいる名探偵に、キッドは小さな苦笑を浮べる。 彼が自分の行動に疑問を持っているなんてことに気づくはずもなく、初めて間近でみる綺麗な顔に、キッドは見惚れていた。 長い睫が時折ふるりと揺れ、気怠気に瞼が伏せられる。 その仕草に、キッドはドキっと胸を高鳴らせた。 この人色っぽすぎだよ……と溜息を吐きながら、彼は新一の薄い肩に頭を乗せた。 肩にかかる重みに気づいた新一が、思考の淵から戻ってくる。 視線を辿った先に怪盗の頭を見つけて、再び眉が顰められた。 「オマエ、人の肩でナニやってんだよ」 「いえ…少しばかり疲れが」 「はぁ?疲れてンなら今日の仕事キャンセルしてさっさと休めよ」 一見キッドの体調を心配しての言葉に聞こえるが、邪魔をするなと言わんばかりの眼差しに、乾いた笑みを浮べてしまう。 今まで怪盗と探偵という立場でしか対峙していないので、当たり前の反応なのだが…… 名探偵のツレナイ反応に、キッドは内心で涙を流した。 新一は、これみよがしに大きな溜息を吐く怪盗の様子に首を傾げる。 なんなんだ、一体?と次第にイライラしてくるが、視界の端に映った人物の姿を見て表情を引き締めた。 即座にキッドの腕から抜け出し、テーブルの上に置いてあったシャンパングラスを手に取った。 いきなりの行動に目を見張るキッドだったが、背後に気配を感じてゆっくりと新一の隣に移動する。 それと同時に、新一へと声がかけられた。 「失礼。君が…工藤優作先生の息子さんかな?」 「…………」 「ああ、私はこのパーティの主催者である望月善蔵という者だが、工藤先生から息子さんが出席すると聞いていたものでね」 ターゲットである望月と接触できたのはいいが、身元がバレてしまったことに新一は苦虫を噛み潰したような表情を浮べた。 親父のヤツ〜〜〜!と内心で激高しつつも、すぐさまポーカーフェイスを貼りつける。 少々口元が引き攣っているようだが、本人はそれに気づいていない。 (名探偵…ポーカーフェイスが剥がれかかっていますよ……) キッドは内心で呟くが、その言葉が新一に伝わるはずもなく。 何重もの猫を被った名探偵は、営業用の笑みを浮べて望月に対応していた。 しかし、話が進むにつれて、ゆっくりと笑みが崩れていく。 ひどく真剣な表情を浮べて、新一は望月を見やりながらなにかを考えているようだった。 名探偵の用件はこの男なのか?とキッドの瞳が細まる。 男は彼にとっても重要な人物だった。 今日の獲物はこの男の所有物。 望月家に代々伝わり家宝とされているスターサファイアだ。 パンドラの可能性は低いとされているが、確認してみなければ分からない。 (まったく…家宝を持ち歩く人がいるとは思いませんでしたよ……) 普通は家の金庫にでも入れておくだろうと思うのだが、望月という男はどうやら変わっているらしい。 自分にとって大切な物は、大きな物でも持ち歩いている。 それを知ったときは、面倒なことをさせるなよ…と思ったが、今となってはそれに感謝していた。 感謝の理由は、もちろん名探偵に会えたこと。 その名探偵は口元を引き攣らせたまま、望月と会話を交わしている。 先ほどはなにやら真剣な表情を浮べていたが、いつの間にか表情が戻っていた。 話を聞いていると、キッドの表情が徐々に曇っていく。 そうして次第に彼の口元が引き攣りはじめた。 なぜなら――――― 「いやぁ…藤峰有希子さんも美しい人だが、君も負けず劣らず美しい」 「……はあ」 「私は工藤優作先生のファンでもあるが、君のファンでもあるんだよ」 「……ありがとうございます」 「これから2人だけで話をしたいのだが…どうかな?」 「……喜んで」 返答するたびに間が空くのは、不本意な言葉を返さなければならないからだろう。 気持ちは分かるのだが、それにしても…とキッドは思う。 この男、どこから見ても紳士に見えるが、言葉の節々にイヤラシさが感じられる。 このまま望月と名探偵を2人きりにさせてもいいのだろうか…… はっきり言って自分もついて行きたいのだが、一応他人の自分がついて行くことはできない。 (となると、影から名探偵を守るしかありませんね) 彼が強いことは分かっているし、守られることをよしとしないことも知っている。 しかし、想い人が狼の毒牙にかかろうとしているのを、黙って見ていられるほどキッドは大人ではない。 絶対に彼を守ってやる!と内心で豪語していると、さきほど新一と一緒にいた男女がこちらへと近づいてきた。 反対側からは二課の警部たちも近づいてきている。 新一もそれに気づいたのか、微かに表情を引き攣らせた。 それはほんの一瞬のことだったので、誰にも見られてはいない。 ――――怪盗を除いては。 (……昨日から感じてた嫌な予感は、キッドと中森警部に関すること…なのか?) 潜入捜査を穏便に済ませて、はやくこの場から立ち去りたい新一は、内心で呟きながら小さな溜息を吐く。 二課の仕事だけには巻き込まれまい、と固く誓って、彼は望月に向かって口を開いた。 「申し訳ありませんが、少しだけ連れと話をしてきてもよろしいでしょうか?」 「構いませんよ。話が終わり次第、部屋へ移動しましょう」 望月の微笑に、周りにいた女性客達が見惚れている。 見惚れるほどのものか?と眉を顰めながら、新一は己の近くで立ち止まっている高木たちの側へ駆け寄った。 そして自然を装いながら会話を交わすが、その声はとても小さなものだった。 「望月と接触することができました。証拠、見つかりそうですよ」 「ちょっと、工藤君!無茶だけはしないでちょうだいね」 「そうだよ。君になにかあれば目暮警部に怒られるのは僕達なんだから…」 「大丈夫ですよ♪絶対に無茶はしませんから」 にっこりと笑う新一に対して、高木と佐藤の表情は晴れない。 それどころか、彼らは内心でさらりとひどいことを呟いていた。 (いや、君の『大丈夫』はまったく当てにならないから……) (工藤君の『大丈夫』はまったく当てにならないのよねぇ……) 同時に溜息を吐く2人。 『大丈夫』と口にしながら平気で無茶をするのが、この名探偵の専売特許だ。 その言葉を聞いた数だけ、無茶を重ねている。 いつの間にか一課の人間は、彼の『大丈夫』という言葉を鵜呑みにしなくなっていた。 まあ、当たり前のことなのだが。 彼らの気持ちを知ることなく、新一は踵を返して望月の側へと戻った。 一瞬、キッドへと視線を流したが、すぐさま逸らされる。 ただ、声なき言葉がキッドの耳に届いただけだった。 望月に促されて会場を後にする新一の姿を見送りながら、白い怪盗は溜息を吐いた。 「……まったく。『俺の邪魔をするな』なんて。私が予告を違えるなんてこと、するはずがないでしょう?それに、貴方の危機を見過ごす私ではありませんよ、名探偵」 呟くと同時に、怪盗の姿がパーティ会場から消えてしまう。 近くにいた人でさえ、一人の人間が消えたことに気づくことはなかった。 † † † † † † 望月が宿泊するという部屋(もちろんスィートルーム)に入った途端、新一は勢いよくベッドへ押し倒されてしまった。 そんなことだろうとは思っていたので、新一の反応は平然としたものだ。 驚かない少年を、望月が面白そうに見下ろしている。 くくくっ…と笑い声を上げ、ゆったりと瞳を細めた。 「こんなことをされるのは慣れているのかな?」 「慣れたくはないですけどね……」 眉根を寄せて、新一は大きな溜息を吐く。 しかし、すぐさま表情を変化させて、彼は口元に不敵な笑みを浮べた。 ――――さあ、白状してもらおうか。 蒼の双眸に鋭い光が灯った。 次へ |