少々疲れたような表情で、新一はシャンパンを呷った。
 そんな彼の様子を、キッドが内心で嬉々としながら見つめている。
 予告状出しといてよかったなぁ…とほくほく顔だ。
 いつもは怪盗というスタンスを崩さず彼に接しているキッドだが、実は彼の名探偵のことが大好きだった。
 それを態度に出したことはないが、新一と対峙するときはいつもドキドキしているのだ。
 仕事の時は毎回予告状を送っているというのに、彼は現場どころか中継地点にさえ姿を見せない。
 今回もダメもとで送ってみたのだが、本心としては絶対に来ないと諦めていた。
 しかし、実際に彼に会えた喜びは隠しきれるものではない。
 必死にポーカーフェイスを貼りつけているが、気を抜くと頬が緩みそうになる。
 それを察したのか、新一が訝しそうな眼差しでキッドを見つめていた。
 愛想良くにっこりと微笑むと、むっとした表情でそっぽを向く。
 あまり見ることのない仕草に、やっぱり可愛いよなぁ…と相好を崩した。


(捜査一課の刑事がいるということは…別件での潜入でしょうねぇ。少々残念ですが、名探偵に会えただけでもよしとしましょうか)


 心の中で呟いて、それでも、自分がまとわりつけば相手ぐらいはしてくれるだろうとほくそ笑んだ。
 これを機会に、ちょっとずつアプローチしていくのもいいな。
 ナイスアイデアににんまりと口元を歪めて、キッドはシャンパンを一気に呷るのだった。







‡ ‡ ‡ masquerade act.3 ‡ ‡ ‡







「…潜入捜査だと?」
「はい。3日後に米花プリンスホテルでパーティが開かれます。自ら証拠を持ち歩いているとなれば、パーティに潜入するしかないと思いますが……」
「む……それはそうだが……」


 これしかない!とばかりに提案する白鳥と、小さく唸る目暮。
 高木と佐藤と千葉は潜入捜査ねぇ…と首を傾げていたが、ふと佐藤が口を開く。


「仮に潜入捜査をするとして、パーティの招待状はどうするつもりなの?白鳥君」
「あ……」
「「「「あ?」」」」


 間の抜けた白鳥の声に、眉を顰める4人。
 招待状のことなんてまったく考えていなかったんだろうなぁ…と新一は溜息を吐いた。
 実際、彼の考え通り、白鳥は招待状のことなど考えていなかったようだ。
 あははは…と乾いた笑みを浮かべている。
 白い目で彼を見つめる目暮たち。
 新一は内心でしょうがないと呟いて、ジャケットの内ポケットから携帯を取り出した。
 そうして、徐にボタンを押していく。
 どこに電話をしてるのだろう?と刑事5人が新一を見やる。
 ほんの数コールで電話に出た相手に、新一はぶっきらぼうな口調で話しかけた。


「俺。ちょっと頼みがあるんだけど。……はぁ?見返り?ンなもんあるわけねぇだろ。……わぁったよ!ただし、こっちに帰ってくる前に連絡しろよッ!俺にも都合ってモンがあるんだらかな!」
「……誰と会話してるんでしょうか?」
「あの口調からして…優作君が相手だろうなぁ……」


 高木の呟きに答えたのは目暮だった。
 新一と彼の父親との付き合いが長い目暮は、こんな会話をよく聞いていたのだ。
 海の向こう側にいる推理小説家は、久しぶりの息子からの電話に相好を崩していることだろう。
 新一君も苦労しているんだなぁ…と少しばかり同情しながら、彼の会話に耳を澄ます。


「ンじゃあ招待状5人分、明後日までに必ず手配してくれよ?間に合わなかったら見見返りの件はナシだからな」


 強い口調で念を押し、新一は通話を切った。
 疲れがどっと襲ってきて、大きな溜息を吐いてしまう。
 自分父親ながら、どんな見返りを要求してくるのか少々怖い気もする。
 今は考えないようにしよう…と内心で頷いて、新一は携帯を仕舞い目暮に視線を移した。


「招待状の手配は整いました。明後日には僕の手元に届くはずです」
「優作君かね?」
「ええ。僕との電話中に問い合わせてくれたんですが、父のファンらしくすぐさま手配してくれたみたいです」


 苦笑を浮かべる新一に対し、さすが工藤優作…と関心する刑事たち。
 たった数秒間の会話で5人分の招待状を手配できるなんて……
 世界的推理作家の名は伊達ではないんだなぁ…と改めて感心してしまう。
 うんうんと頷いていると、新一が確認するように目暮に話しかけている。


「潜入するのは、高木刑事、佐藤刑事、千葉刑事、白鳥警部でいいんですよね?」
「あ、ああ、そうだ。1人足りんようだが……」


 招待状は5人分頼んだのだろう?
 目暮の言葉に新一の口元が弧を描く。
 まさか…と眉を顰める目暮以下一課の面々。


「僕も潜入しますよ。真実を必ず伝えますと美晴さんに約束しましたからね」


 当たり前でしょう?と瞳が語っている。
 やっぱりそうなのか…と溜息を吐く目暮たち。
 まあ、招待状を手配してくれたのだから、強くは言えないのだろう。
 無茶だけはしてほしくないと思いつつ、彼がいればなんらかの証拠が得られるだろうと安堵する。
 そんな目暮の心配をよそに、佐藤・高木・白鳥は服装のことで盛り上がっていた。


「さ、佐藤さんはどんな服を着るつもりなんですか?」
「内緒よ、ナイショv当日を楽しみにしてて♪」
「佐藤さんはなにを着ても似合いますから。ああ、当日は僕がエスコートしますよ」
「白鳥さん、ずるいですよッ!」


 高木が叫び、白鳥が不適な笑みを浮かべる。
 そんな彼らを見つめる新一と千葉の口元には、乾いた笑みが浮かんでいる。


「千葉さん、嫌な予感がしませんか?」
「工藤君もそう思うかい?」


 お互いの顔を見合わし、がっくりと肩を落とす。
 嫌な予感は果たして当たるのだろうか?
 新一と千葉は不安を感じながら小さな溜息を吐くのだった。



 † † † † †



 その日の夜、リビングのソファーに座り、新一はPCを睨みつけていた。
 念のため相手の屋敷の見取り図を入手したのだが(…どこから?)、使用することはないだろう。
 横領の証拠を自分自身で持ち歩いているとすれば…おそらくMO。
 だとすれば、本人に接触するしかない。


(仮面で顔を隠してたら警察だって分からないけど、ヘタに質問すれば逆に怪しまれるしなぁ……)


 どうやって近づこうかと悩んでいると、玄関から鍵を開ける音が聞こえてくる。
 同時に、扉を開く音が響いた。
 相手が誰だか分かっているため、新一は顔を上げようともしない。
 スリッパの音がリビングへと近づいてくる。
 足音がぴたりと止まり、聞こえてきたのはひどく冷たい声。


「探偵さんはいつになったら検診に来てくれるのかしら?」
「あ……(汗)」


 すっかり忘れてた!
 乾いた笑いを浮べて誤魔化そうとする新一に、灰原哀の瞳が鋭く光る。
 夕方携帯に電話したことを、彼はすっかり忘れていたのだ。
 彼女が怒るのは当たり前のことだろう。
 新一は内心でヤベェ…と呟いた。
 ここで逆らえば、外出禁止令が出てしまう。
 それだけは避けたいので、彼はソファーから大人しく立ち上がった。
 そうして、そそくさと玄関へと向かう。


「まったく……」


 憮然と呟いて、灰原も玄関へと向かう。
 そこに新一の姿はなく、すでに隣へ向かったらしい。
 今度から脅した方がいいみたいね…と考えたことは、新一には内緒だ。
 阿笠邸に戻り地下室へ降りると、新一はびくつきながらソファーに座っていた。


「……そんな態度を取るなら、どうして約束を守らないのよ」
「……ゴメンナサイ」


 溜息を吐きながら言われた言葉に対し、素直に謝る新一。
 珍しく素直な彼に胡乱気な眼差しを向けるが、時間を無駄にしたくない灰原は検診を始めることにした。
 シャツを脱ぎはじめた新一の隣に座り、ゆっくりと時間をかけて検診していく。
 成長期に毒薬を呑んでしまった彼は、以前よりも肉が落ち体力も根こそぎ奪われてしまった。
 今は徐々に戻ってきているが、それでも以前とは比べものにならない。
 灰原は検診の度に考えてしまう。
 自分があの毒薬を作らなければ、彼はこんなことにならなかったのに…と。


「お前、また考え込んでンのか?」
「…………」
「ったく、お前の所為じゃないって何度も言ってるだろ?まあ、灰原が納得するまで俺は言い続けるけどな」


 だからいい加減吹っ切れ。
 頭にぽんっと手を乗せて、綺麗な笑顔を浮べる人。
 いつもなら嫌がる彼女も、それを大人しく受け入れる。
 数秒ほど赤茶の髪を撫でていた手が、ゆっくりと離れた。
 それを寂しく思いながら、灰原は無言で検診を続ける。
 少しの間静寂が続いたが、ふと彼女が口を開いた。


「そういえば、今日受けた依頼はどうなったの?」
「もちろん受けた。男性が自宅のマンションから自殺したって事件、あっただろ?あれだよ」
「……殺人、だったわけ?」
「そゆこと」


 新一は小さく頷き、今回のことを話し始めた。
 そして、3日後のパーティに潜入することも伝えておく。
 数分後、話を聞き終えた灰原は溜息混じりに念を押した。


「無茶だけはしないでちょうだい。それと、アルコールはなるべく避けて」
「少しぐらいはいいんだろ?」
「まぁ…2杯ぐらいならいいわ」
「分かった」


 いくら潜入捜査とはいえ、少しぐらい飲みたいと訴えると、灰原はしぶしぶと頷いた。
 本当は飲んでほしくないのだが、佐藤や高木がいるのなら大丈夫だろうと考える。
 少しばかり不安が残るけれど。
 検査を終えシャツを羽織る新一を見ながら、彼女は気づかれないように溜息を吐いた。


「次の検診、サボらないでちょうだい。今度サボったら…どうなるか分かってるでしょうね?」
「……努力します」


 鋭い眼差しと脅すような言葉に、新一はこくこくと頷く。
 だが、彼の口からは努力するという返事しか返ってこなかった。
 そのまま地下室を脱兎のごとく逃げ出した新一を、灰原は溜息を吐きながら見送るしかなかった。



 † † † † †



 警視庁内の廊下を歩く麗人を、すれ違う警官たちがぼーっと見つめている。
 黒のタキシードをそつなく着こなし、前髪を少しだけ上げている名探偵。
 見慣れない彼の格好は、警官たちにとって眼福ものだった。
 人の視線に慣れている新一は、平然としたまま一課の部屋へと向かう。
 顔見知りの警官や刑事たちと挨拶を交わしながら、今夜のパーティのことを考えた。


(千葉さんと俺が感じた嫌な予感、当たらないでほしいんだけどなぁ……)


 昨日から感じている嫌な予感。
 それがなんなのかは分からないが、当たらないでほしいと願うばかりだ。
 内心で呟き、辿り着いた部屋の中へ入っていく。
 目暮の机の前には、今回のパーティに潜入する面々が揃っていた。
 男性陣はドレスアップした佐藤の姿に見惚れているようだ。


「似合ってますよ、佐藤さん」
「ありがとうv工藤君も見惚れるぐらい格好いいわよ♪」


 彼女たちに近づきながらそう言うと、佐藤がにっこりと笑みを浮べてウインクを投げた。
 目暮はテンションの高い部下たちに溜息を吐いたが、新一が到着したことで表情を引き締める。


「証拠が掴めなくてもかまわんから、くれぐれも無茶だけはするな」
「大丈夫ですよ、目暮警部」


 後者の言葉が新一に向けられていることに気づいた佐藤が、苦笑を浮べながらそう言った。
 自分たちがいるから大丈夫です。
 彼女の瞳がそう語っている。
 高木たちもうんうんと頷いていた。
 君たちのことも心配なんだがなぁ…と内心でぼやく目暮。


(マジで大丈夫のか?今回の潜入捜査……)


 一人で潜入した方が良かったかも…と後悔しても遅い。
 何ごとも起こってくれるなよ、と願いながら、新一は小さな溜息を零した。





 その夜、彼らは望月コーポレーション社長・望月善蔵主催のパーティーに潜入した。








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