米花プリンスホテルの最上階。
 エレベーターを降りると、そこは煌びやかな世界が待っていた。
 綺麗なドレスに身を包んだの女性たち。
 黒のタキシードに身を包んだ男性たち。
 そんな彼らの顔を隠すかのように付けられた、仮面。
 ホールを見渡していた工藤新一は、顔を顰めて小さな溜息を零した。
 もちろん、彼の顔にも仮面が付けられている。
 受付で招待状を提示した彼は、優雅な仕草で会場へと足を向けた。


(仮面舞踏会なんて…金持ちの考えることは理解できねぇな)


 自分も金持ちの息子だということを棚に上げて、彼は内心でぼやいた。
 すれ違うボーイからシャンパンの入ったグラスを受け取り、しばし逡巡する。
 顔を隠しているから、自分が未成年だなんて気づかれないだろう。
 日本酒以外には強いから、シャンパンで酔うなんてコトはない。


(……酒飲んだ方が精神的にも安定するかも)


 欲と金が渦巻くパーティなんて、自分には関係のないことだし。
 小さく頷いて、新一はグラスをゆっくりと呷る。
 まあまあだな…とシャンパンの味を評価していると、見知った気配を感じて辺りを見回した。
 瞳を細めて気配の主を捜していると、一人の男と視線がかち合った。
 仮面から覗く藍色の瞳が驚愕している。
 ――――見知らぬ男性。
 だが、新一の瞳には白い幻影が揺れていた。


「マジかよ……」


 内心で勘弁してくれ…と唸りながら、彼は大きな溜息を零すのだった。







‡ ‡ ‡ masquerade act.1 ‡ ‡ ‡







「……自殺ではない、ですか」
「はい。彼は秘書という仕事に誇りを持っていました。しんどいどやりがいのある仕事だと…子供のように瞳を輝かせて……。そんな彼が、自殺なんかするはずありません。ましてや横領なんて――――」


 工藤邸のリビングに響く、涙混じりの女性の声。
 ソファーに座り、真剣な表情で彼女の言葉を聞いていた新一は、顎に手を当ててなにかを考えている。
 目元にハンカチを当てて涙を拭っていた女性は、縋るような眼差しで新一を見つめた。
 彼女の名前は、伊月美晴。
 恋人の死に不審感を抱いた彼女は、縋る思いで新一を訪ねた。
 警察は自殺と判断したが、どうしてもそうは思えない。
 恋人の最近の行動や、会話の全てを話している間、彼は一言も口を挟まなかった。
 黙って彼女の言葉に耳を傾け、真剣に恋人のことを考えてくれたのだ。
 新一が考え込んでしまってから数分後。
 我に返った彼は、手持ちぶさたの美晴に気がつき、苦笑を浮かべた。


「すみません、考え事に熱中してしまって……」
「いいえ。あの人のことを、真剣に考えてくださったのでしょう?」


 少しだけ赤くなった瞳で、彼女は嬉しそうに微笑む。
 申し訳なさそうに頬を引っ掻く名探偵は、年相応の表情を浮かべている。
 恋人の死に不審を抱いただけで、証拠なんてなにもないのに。
 自分の話を真剣に聞いてくれ、彼のことを考えてくれる人。
 やっぱり、この探偵を頼ったのは間違いではなかった。
 美晴は内心で安堵の息を零す。
 そんな彼女の様子を視界の端で見つめながら、新一は小さな微笑を浮かべた。
 家に来てから初めて見る笑顔。
 恋人を亡くしてからまだ日が浅いのに、女性は逞しいよなぁ…と考える。
 それでも、愛した人を亡くした悲しみが消えるわけではない。
 彼女はその想いを一生抱えていくのだろう。


(真実を知って彼女がどう思うかは分からない。でも……必ず真実を暴いてみせる)


 そう決意して、新一はテーブルに置かれていた新聞を手に取った。
 目の前にあるノートパソコンに目を向けながら、彼女の恋人に関する記事を再読していく。
 パソコンの画面には、ある会社の資料らしきものが映しだされていた。



 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡



 日本でも屈指の大企業、望月コーポレーション。
 その社長である望月善蔵の秘書が、彼女の恋人――田辺誠二だった。
 大学を卒業後、望月に入社し、3年前に秘書に抜擢されたらしい。
 嬉しそうに報告してきた田辺の表情を、美晴は忘れられないと言っていた。
 キツイけれど、やりがいのある仕事を任されて、彼は生き生きとした生活を送っていたそうだ。
 美晴との恋愛も秘書の仕事も順風満帆。
 そろそろ結婚しようか…という話が出たのが3ヶ月前のこと。


 だが――――彼らの幸せは、突如として壊された。


 ――――会社が横領の被害にあった。
 2ヶ月前、田辺に言われた美晴は、そうなんだ…という言葉しか返さなかった。
 その時の彼女は雑誌を読んでいたため、その内容を軽く受け止めてしまったのだ。
 だから、田辺の浮かべた表情に気づくことができなかった。
 なにかを決意した、強ばった表情を。


 それからの田辺は、一心不乱になにかを調べていたらしい。
 あれほど仕事熱心だった彼が、会社を休んでまで調べるもの。
 興味を抱いた美晴は、なにを調べているのか彼に問いただしてみたそうだ。
 しかし、返ってきた答えは…………


『美晴が心配することじゃないよ。これが終わったら、正式に婚約をしよう』


 その言葉が、本音とはいえ話を逸らすためのものだったとも知らず。
 嬉しくて仕方がなかった彼女は、答えを聞くのを忘れてしまった。
 ……それから1週間後。

 ――――田辺が自殺した。

 自宅マンションからの転落死。
 第一発見者は……皮肉にも美晴本人だった。
 2日前から連絡が取れなくなった恋人を心配して、早朝だというのにマンションを訪れたのだ。
 そして――エントランスへ続く道の途中で、恋人の変わり果てた姿を発見した。
 すぐさま警察を呼び、田辺の部屋で事情聴取を受けながら。
 彼女はふと、違和感を感じたそうだ。
 しかし、それがなんなのか理解出来ぬまま、警察は田辺の死を自殺と断定。
 それで終わったかのように見えた。
 だが、後日警察に呼び出され、彼の自殺の理由を聞かされた時。
 彼女は田辺の死に不審を抱いたのだ。
 彼のマンションにもどった美晴は、田辺の部屋を徹底的に調べ回った。
 警察が押収しているものあるが、だいたいの物は残されている。
 彼が残した物が残っていないだろうか…と考えて、彼女は注意深く部屋を調べていった。



 ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡



「美晴さんの疑問は、僕の疑問でもありますね」
「工藤さんも…そう思いますか?」
「ええ。警察が疑問を抱かなかったのが不思議ですよ」


 探偵の辛口な言葉に、美晴は思わず苦笑を浮かべてしまう。
 だが、それは彼女も思ったことなので小さく同意する。
 素人の自分が丹念に部屋をチェックして、それでも疑問に思ったというのに。
 捜査のプロである警察がどうして疑問に思わないのか。
 ここ数年、警察の不祥事が続いている。
 これでは、名誉挽回どころではないと思うけれど。
 そんなことを考えていると、PCを凝視していた新一がふと顔を上げた。
 美晴を見つめながらなにかを考え…徐に口を開く。


「あの…できれば田辺さんの部屋を一通り見せて頂きたいのですが」
「あ、そうですね。ごめんなさい、気がつかなくて……」


 慌てる美晴に、そんなことありませんよと答える新一。
 営業用の笑みを浮かべると、少しだけ彼女の頬が赤く染まった。
 自分の笑顔(それが営業用でも)が最強だということに気づいていない新一が、不思議そうに首を傾げている。
 見惚れてしまいました、なんて言えるはずもなくて。
 誤魔化すように笑みを浮かべながら、出掛ける用意をする名探偵を待つために、美晴は玄関へと向かうのだった。





 案内された田辺のマンションは利善町にあった。
 秘書という仕事は給料も良いだろうに、彼の住む場所は至って普通だ。
 だが、老夫婦や子供連れの家族が多いのか、暖かみを感じる場所でもある。


(こういう場所ってまだあったんだなぁ……)


 核家族化が進む中、暖かみのある場所があるのは珍しいことだ。
 嬉しそうな表情でマンションを見上げていると、エンジン音が聞こえてくる。
 聞き慣れたそれが、こちらへと向かってきた。
 見慣れた赤いスポーツカー。
 フロントガラス越しに運転手と目が合い、新一は苦笑を浮かべる。
 マンションのエントランス脇に止まった車は、言わずとも知れた警視庁のもの。
 運転席と助手席のドアが同時に開き、二人の刑事が降りてくる。
 苦笑を浮かべたまま、新一は馴染みの人物たちに声を掛けた。


「佐藤さん、高木さん、こんにちは。お仕事ご苦労様です」
「こんにちは、工藤君」
「どうしたの?こんな所で。…あら、彼女は確か――――」


 新一の背後にいる美晴に佐藤が気がつく。
 佐藤の視線を辿った高木も、彼女の存在に気がついたようだ。
 少しばかり驚いている彼らに、困惑する美晴。
 安心させるような笑みを彼女に向けながら、新一は今回のことを簡単に説明した。


「工藤君と伊月さんが感じた疑問、私たちにも教えてくれないかしら?」
「先に田辺さんの部屋を見せてもらってもかまいませんか?その後でお話しますので……」


 申し訳なさそうな表情で言う新一に、そうね…と佐藤が呟く。
 口元に手を当てて数秒間考え込み、ちらりと美晴を見やった。


「私たちがここに来たのは、田辺さんの遺品を返すためだったの。だから、伊月さんがいてくれて良かったわ」


 佐藤が言い終わる前に、いつの間にか車に戻っていた高木が大きな段ボールを抱えてこちらへ戻ってきた。
 それを見て美晴の瞳に涙が滲む。
 彼女の肩をぽん…と叩くと、涙を拭いながら彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。


「すみません、泣くつもりはなかったんですけど」
「……大丈夫ですか?」
「はい」


 新一の言葉に頷きながら、美晴はエントランスへ歩き出す。
 その後をついて行く新一達。
 エレベーターに乗り、美晴の細い指が三階のボタンを押す。
 ほんの数秒間の移動だというのに、エレベーター内を静寂が包み込む。
 新一と佐藤は平気そうだったが、高木だけが居心地悪そうに視線を彷徨わせている。

 目的地に着いたのか、ゆっくりとエレベーターが止まり扉が開いた。
 微妙な雰囲気のまま歩き出す四人。
 一番奥にある部屋の間で止まった美晴が鍵を取り出す。
 鍵を開け扉を開くと、彼女は新一達を促した。
 佐藤と高木が先に中へ入り、美晴が後に続く。
 最後に残った新一が、辺りを見回しながら部屋へ入っていく。


「部屋はそのままにしてあります。私が触った物もありますが、配置は変えていません」
「見回ってもかまいませんか?」
「ええ、どうぞ」


 美晴から許可が下りると、新一はまず始めに田辺の寝室へと向かった。
 部屋をざっと見回してから、一つ一つをじっくりと見ていく。
 各部屋でそれが繰り返され―――最後の部屋となるリビングを調べ始めたのは、ここへ来てから20分後だった。
 部屋の隅々まで調べ終わった新一が、小さな息を零す。
 そうして、いつものポーズでなにかを考え始めた。
 それを見つめることしか出来ない佐藤達。
 ――数秒後、俯き加減だった彼の顔がゆっくりと上げられた。
 口元に浮かぶのは不敵な笑み。
 蒼の双眸が鋭さを帯びていることに気づいた刑事2人が、表情を強ばらせた。
 まさか、今回の件は…………


「佐藤さん、高木さん。この後は警視庁に戻るだけですか?」
「え、ええ」
「では、僕も同行させてください」
「工藤君、今回の件は自殺じゃないのかい?」


 問いかける高木の声が、少しだけ震えている。
 彼の様子に苦笑を浮かべながらも、新一は不敵な表情で彼らを見つめた。
 そして、きっぱりと断言する。


「田辺さんの死は自殺じゃありません。何者かによって殺されたんですよ」









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