暗い、一種の監獄のような場所。私はそこにいた。 何も知らず、姉の笑顔で満たされて、全てを知ったときには、失った後だった。 姉はただ、この先の家に逃げるように伝えた。だから、姉の言うとおり、走ってその家を訪ねた。 すると、その家の住人は暖かく迎え入れてくれた。そして、彼とであった。
その後に、知らされた。たった一人の、本当の家族の死を。 自分たちがいた場所は、暗い闇の逃げる事を許さない犯罪者達の集まる集団の本拠地だった事を知った。
第七幕 闇と予言と神楽様
「…い…哀!」 「い、やぁっ!!」 ばっと起き上がる。 息がはぁはぁと修まる事なく出て、あの夢の日に戻ってしまったのかと思った。 それだけ、リアルに感じたあの自分を捕らえて逃がさない眼を、あの嫌な気配を感じたのだった。 それと同時に、全てを失ったと思い立たされ、絶望のふちにたったあの時の思いも蘇る。 「どうした、大丈夫か?」 「顔色が悪いわよ?…また、あの夢かしら?」 二人が厳しい顔つきになり、いけないわねと、自分をしかる。もう、あの夢に怯えず、過去の鎖で囚われずにいると、決めたというのに。 これも全て、あの闇をまとう男のせいだ。 自分が過去にいて、体に染み付いた恐れを表へ引き出した、闇の濃い男のせい。 「大丈夫…大丈夫だから、心配しないで…。」 「そうだけど…。」 「大丈夫だから…。」 「…。」 これ以上心配されても返す言葉がない哀。 はやく収まれと念じるように荒い息をやっとのことで整えて、現在の状況を思い出す。 確か、記憶が間違っていなければ、あの男から逃げたところのはずだ。 「それで、今どういう状況かしら?」 「…本当に大丈夫なのか?」 「大丈夫よ。もう、ね。だから、そんな事より今の状況を聞いているのよ。」 新一はまだ疑うような目でみながらも、心配ないと言い張る哀にそれ以上いう事はせず、ぽつりと話した。 黒兎から走って逃げた後、町から離れてこの森へと向かって逃げ込んだ事を説明し、足元にあった木の根っこに気付かないで躓いたときに転び、その勢いでこの小さな段差に落ちた事を説明した。 もちろん、新一と約束を交わした風の精霊が三人を守ってくれたので、酷い外傷はない。 だが、哀は見逃さない。隠している紅子の怪我を。 「…無茶はお互い様だけど、出来るときにしておいた方がよいでしょ?」 「そうね…。」 紅子に腕をだすように指示し、哀は用意しておいた薬品で治療を始めた。そう、黒兎が投げたナイフを掠ったのだ。 紅子のような気配に鋭いものでなければ、かなりの深手を負っていた事だろう。 「悪いわね、哀…。」 「いいわよ、これくらい。」 見つかればしょうがないと、大人しく治療される紅子。 新一もこれぐらい大人しく治療を受けてくれるのなら、心配はいらないのだけどねとつぶやけば、苦笑して相手の動きがどうか見るといって、精霊を交信し始めた。 逃げたわねとつぶやけば、ぎくりと肩が揺れたのを確かに見た。 まぁ、今は目立った外相はないから問題ないけどと、哀は紅子の手当てに集中した。 黒兎の事は新一に任せておけばいいと、目の前の自分の仕事に専念した。 包帯がないので、自分の着物の袖を破って包帯代わりに使って、手当ては終わったと立ち上がれば、キッド達に今いる場所を告げたと、新一が伝えた。 それと同時に、黒兎が森へ向かったという出来れば聞きたくない情報も手に入れた。 人に知られずにしとめるという形を取る魔術師の事を知っていれば、人のいないような場所を探せばいい。 それには、この森は絶対にいるだろうと確信できる場所なのだ。 「まずい…な…。二人とも、正常な状態での戦闘は無理だろうし…。」 先程の手当てで、哀があのナイフに毒が仕込まれていた事に気付いた。いくら毒に体が対応できるようになっていたかもしれないが、長時間はふりだろう。 耐えられてもあと数分。それまでに、キッド達と合流しなければならないだろう。 「くそっ…。」 「…新一君。」 何か方法を考えている新一の隣で、足を引っ張るのだけは嫌なのだけどと、つぶやく紅子の声は聞こえない。 このままでは、自分が意識を手放すのは近いだろう。それは、本人が一番良くわかっていた。 自分は彼や今の場所を守る為にまず、自分の事を考えるようになった。 以前、仕事で自分の事はどうでもいいのだと言って、思い切り怒られた事があったからだ。 泣きながら駄目だと何度もいわれれば、気にするようになる。 それだけ、新一の影響は、自分には大きい。 きっと、他の者達もそうだろう。 だから、自分や彼等は新一の事が大切なんだろう。 紅子は重くなってきた瞼を必死に開けて、新一に伝えておきたい事を伝えておこうと口を開く。 「…新一君。」 「え、どうかした?」 はっと自分の考えから戻ってきた新一。どうやら、自分の考えに没頭しすぎて周りの声が聞こえなくなっていたようだ。 こんなのでは、黒兎に気付くのが遅れないかと少し心配になるものだ。 危険と隣りあわせだという危機感を、あまり感じさせないなと思う。 だから、自分の心がいつもぴりぴりしなくなったのかもしれない。 「ルシファー様からの予言、よ。よく聞いて。月と運は私たちの味方なんだから。」 「で、どんな内容だったんだ?」 「『月の輝きが最大限に引き立つ時、魔が力を発し、白き衣は紅く染まる。』よ。」 それを聞き、空を見上げる。 今夜は満月。そして、白い衣とは、キッドの代名詞として、よく使われてきた語句。 その予言は、まるで死を意味するかのようなもので、ぞくりとあの男から感じた冷たい空気を思い出してぞくりと背中に冷たいものが走るのを感じた。 その予言は最悪の結末を、想像できてしまうのだ。 「それ、本当なのか?!」 「ええ…。でも、まだあるの。これの意味が、私には理解できなかったの…。」 そういって、伝えた。新一の役に立つかもしれないから。 その後、紅子は眠りについた。哀の麻酔が効いてきたのだろう。強い薬を使用する場合、そして、紅子のような体質の人間には、回復するのに休む事が必要だからだ。 紅子は最後にこう言った。
『 失ないし希望の光が戻り、蒼き衣を纏いし巫女が光の翼を広げ、闇を絶つ。 魔は闇に還り行き、光が地に戻り、月の守護者が真実を語る。 』
まだ、闇が還るには時間がかかりそうだ。
奴が潜んでいそうな場所。そして、一向に姿を見せないだけでなく、連絡もよこさない新一達がいる場所。 この街中で騒ぎを起すのは賢い選択とはいえない。なら、奴を含め、あそこにいると考えるのが妥当だ。 ある程度街中を探し回ったキッドは方向を変えて、その場所を目指した。 夜は暗い闇で包まれ、人は近づかないので、絶好の場所。だが、今夜は何か胸騒ぎがする。だから、自分でも驚くぐらい焦っている。 「はっ、今なら誰にでもポーかフェイスが見破られそうだ。」 この何かがつかめない。もしも、新一に何かあれば、自分は何をしでかすかわからない。 幼い頃の自分とは違い、知恵も力も技術もかね揃えているのだから。 あの日に何度も思い、誓ったのだから。同じ事は二度起さないと。 絶対に、もう大切な物は失わないと、二度と自分の懐に人を許さなかった自分がそれを許し、決めた相手。 もし失ったら?もし、今度も同じ事を繰り返したら? きっと自分は壊れてしまうだろう。きっと自分は…あの日とは違い、手に入れた力で、相手を倒してしまうだろう。 自分を止めるものがもう、いないのだから。完全に壊れて止まるまで、破壊し続けるだろう。 キッドは、思い立つ考えに苦笑する。やはり、自分の中にある闇は変わらない。これでは、奴等と同じだけ、堕ちてしまう。それだけは、なんとかしたい。 それを、新一が望むから。キッドが堕ちないのは、新一が堕ちる事を望まなかったから、今のままであり続ける事を望んだから、今がある。 「急がなければなりませんね…。」 はやく終わらせて、ゆっくり新一と休みたいと、思う。 自分を動かす事も止めることもできるのは新一だけ。 愛しい、大切な人。
「まずいわ…。」 体が震えだした。これは、自分がよく知る者の気配。闇を知る者の気配。 今来られれば、皆が無傷で戻れる事はないだろう。 そう確信できるだけの力を持ち、自分がよく知るあの女の冷たい気配を感じた。 「…や…っ…。」 「どうした?哀!!」 肩を揺さぶって声をかけても、怯えているだけでそれ以外の反応はない。これは、以前自分の両親がいた頃に、同じ事があった。 彼女の唯一残っていた肉親であった姉が、遺体で発見された日の事だ。 哀を逃がした事と、情報を漏らしたという事で殺された、姉の死を予言したかのようなあの日と、今の哀の状態は同じ。 考えられる結論は一つだ。 「まさか、奴等の仲間が近くに…?!」 哀が怯えるのは、大切な者の死やあの犯罪組織の仲間の気配を近くに感じたときだ。 だから新一は辺りに気を集中して見渡す。今近くにいるのではないかと、念入りに探る。 だが、近くに人がいる様子も気配もない。 ただ、暗い夜の中で、風が草木の葉をゆらす音だけ。 「いない…。哀、いないみたいだが、本当に誰かいるのか…?」 「いや…こない…でっ…。」 この尋常ではない怯えから、確実にかつて哀を含め、家族が所属していた組織の誰かに対して恐怖で体の自由がきかないのだと、わかる。 それでも、まだ新一はその見えない恐怖の対象が何処にあるのか感じ取れていない。 「おい、哀!しっかりしりろよ!そのままじゃ…?!何?!」 哀の体をゆすって正気に戻らせようとしていた時、ふっと何かがこちらを見ているような視線のようなものを感じた新一が背後に神経を集中すれば、今まで見えなかった気配を感じ取った。 まだ遠い向こうにいるが、こちらへ向かってきている。間違いない。 やはり、哀は間違っていない。哀は近くだけではなく、こういった静かな場所で大人しくしている場合、少し遠くても気配を感じ取る事は出来る。 組織の連中に対しては、哀の気配の察知能力は新一よりもすごい。 「まずいな…。」 組織の連中の一人で、ここまで哀が怯える相手となると、一筋縄でいかない相手。黒兎だけでも厄介だというのに、どうしたものか。 しかも今は、紅子は力の回復とクスリの為に眠っている。哀は動ける様子ではない。 キッドや快斗が来てくれればいいが、そうすぐにはここへ辿り着く事は無理だろう。 新一はまず、取り乱してしまった哀をクスリで眠らせた。 その間にも、人の気配は近づいてくる。近づくにつれ、自分も知っている、闇を知る者の気配に、焦る。 とうとう、相手がここへやって来る。精霊に頼んで逃げるか、隠れるか。それとも一人で戦うか。 考えている間に、相手が姿を見せた。 「…あら、珍しいわね。」 知っている声。見ればそれは知っている顔。その女の名前はベルモットと名乗る多くの顔を持ち、演技でなりすまして騙す悪魔。 「おまっ…?!」 「シー…。まだ死にたくないでしょ?だから、黙っていてくれるかしら?今、仕事中なのよ。」 と、新一の側まで来て、己の手で彼の口を塞ぐ。 もちろん、開いているもう片方の手で扇を持つ腕を捕らえ、攻撃を阻止する事は忘れない。 「それにしても、結構似合っているわね、その格好。」 「なっ?!///」 クスリと妖しげな笑みで人差し指で静かにと示す。 その意味を理解して、顔を真っ赤にする新一。 すっかり頭の中から忘れていたのだが、自分は今、女物の着物を着ているのだ。 だが、すぐにそんな事はどうでもいいのだと頭から再び追い出して、ベルモット 「…裏切り者の始末もしないといけないけれど、今はそれどころじゃないのよ。」 「だからといって、今お前を逃すわけにはいかない。お前等で言う仕事で、見過ごせるものなんてねーからな。」 お互い目で相手を見ているだけで動く事はない。 哀はしっかりと眠らされている。とうぶん、起きる事はないだろう。 だから、今ここで戦闘があるなら、自分がしっかりとしなければいけない。 「…そうね、確かに貴方からみれば、まともな仕事ではないでしょうね…。それが、私たちようのような者の仕事だもの。」 闇を切り裂くように、静寂を破って先に動くのはベルモット。 どうやら、ここから去っていくようだ。 その余裕は、これから始める仕事が簡単なのか、何らかの自信からか。 それとも、すでに仕事を終えているのか。 「おい、お前っ!」 「まだ、何かあるのかしら?」 呼び止めれば振り返る。いったい何を考えているのかわからない女。以前は哀を殺す為に接触してきたし、あの時は負けたと言って哀の件からは辞退すると言っていた言葉を信じた。 だが、それが何処まで本当なのかはわからない。 「今は貴方のお相手をしているほど、暇じゃないの…。」 「こっちだって、暇なんかない。」 わからないなら、少し大人しくしてもらうけれど?と、懐から銃を取り出す。 そんな目の前の女に、どうしてもわからないと思う新一。 どうして、この女がすぐに自分を殺さないのか。ここへ出てくる前に、人の気配で気付いているだろうから、陰に潜んだまま撃ち殺しても可笑しくはないのだ。 「…どうして、殺さない?」 邪魔であれば消す事が日常でもある、彼等裏組織。特に、始めから望んでいたわけではないが、出て来ただけで裏切り者とされ、追い回される哀まで手を出さない。それは、どう考えてもおかしい事だった。 相手はそこに立っていて、少し考えてからか、それとも、何か他にあったのか、しばらくして答えた。 「…A secret makes a woman woman…。」 「…。」 「…何度も私は貴方にそういったはずよ?だから、教えられないわ。これは私の中にある秘密の一部だもの。」 何度も、逢うたびに聞いた言葉を謎かけのように与える。普通なら理解できない異国の言葉。 だが、新一はある程度はいくつかの異国の言葉を知っていたので、彼女と出会った際に聞いたその言葉も理解できたのだった。 そして、今回もその言葉を残し、背を向けて立ち去ろうとするベルモット。 足を止めることはなかったが、最後に小さな声でつぶやいて、彼女は姿を消した。 「なんだったんだ…。」 少し気が抜ける。張り詰めた神経が緩む。まだ、黒兎の件があるというのに、これでは駄目だなと思うが、ベルモットが去ってから怯えが消えた哀の姿を見て、やはりほっとした。
ベルモットが去り際に残した言葉。 『『人が人を助けるのに論理的な理由は必要ねぇだろ。』そう、貴方は私に言った。だから、いいんじゃないの?まだ、貴方達の始末の指令はないから。それに、貴方は絶対に、他へ漏らさないから。そうでしょ?』 いつか言われた問いに答えた自分の言葉。
どうにかしてキッドと連絡を取らないとなと、新一は眠っている二人へ暖かいように精霊に呼びかけようとした時。 「やっと、見つけましたよ…?そろそろ、鬼ごっこは、終わりですか…?」 気配を感じたと同時に聞こえる声。 はっと、振り返ればそこに黒兎が立っていた。ベルモットが去っていった方向とまったく逆の方向に、彼は立っていたのだ。 自分としては、失態だった。姿を見せるまで、気配に気付かないとは。 「早く、始めましょう。…貴方で最後なんですよ。」 「何…?」 「そう、貴方が最後。…儀式の完成まではね…。」 「おまえ、まさか?!」 失態だ。完全に失態。狙いは蘭ではなかったのだ。奴はすでに、蘭以外の誰かを殺している。これで、数がそろったのだ。 儀式に必要な生贄の数。捧げる赤い血。そろってしまった。しかも、あの儀式に絶好の力を与える満月の夜に。 そして、思い出される、紅子の予言。あれは満月だ。満月の夜に、キッドは血を流す。それも、紅く染めるというところから、多量で下手をすれば危険だ。 「貴方だけ。たった一人だけが持つ事が出来る、全能なる力を持つ宝珠の契約者である、貴方だけ。」 「…そう簡単にはいかないぜ?」 「簡単ですよ…。ただ、貴方を捕らえればよいのですから。」 かちりと、細い刃だが、長めのナイフを構える。それも、右手に二本。左手には拳銃を持っている。 戦闘開始の合図は、お互いの暗黙の了解であるかのように、突如始まる。 同時に動き出す二つの影。辺りは荒れ狂う風が舞い、木々が葉を散らす。そして、刃が容赦なく襲い掛かる。 「…貴方の宝珠の力を得る。私が貴方を継ぐ次の契約者となるのです。」 「馬鹿か。そう簡単になれるものじゃねーんだよ。」 「わかっていますよ。それぐらいはね。そして、大変危険だということも、わかっていますよ。」 「なら!」 「それでも、私は必要なのですよ。私が私であるために、私は力が必要なのです。」 ガチャンと、襲い掛かる刃をナイフを投げたあと、フリーとなっていた右手に持った扇で容赦なく叩き落す。その間にも、風が襲い掛かるが、新一へは刃だけではなく、鉛球も襲い掛かってくる。 新一は紅子や哀に飛び火がいかないように攻撃を交わしたり、仕掛けたりしなければならないので、逃げる範囲が難しい。 「さぁ、そろそろ終わらせましょう。この満月の夜に、間に合う為に。」 黒兎は何かの呪文のように、唄のような言葉を辺りに響くように続ける。 だんだんと、雲が広がり、辺りは生暖かい風が吹き、荒れる風が森の木々を揺らし、気味の悪い空気に包まれる。 「今こそ、舞い降り、姿を我の前に示せ。契約者、黒兎竜矢が命ずる。現れよ、サーゴルド!!」 雷のような、光が黒兎に向けて空から落ちてくる。光が収まったときには、黒兎の背後には、黒く、そして恐ろしいほど大きな何かがそこにいた。 今、彼がこの世へつれてきた、サーゴルドと呼ばれる魔物。いや、正確にはそう名付けて主従関係を結んだ魔王の一つ。紅子がルシファーなら、黒兎はサタンだった。 同じでありながら、別のものとして扱われる物。それに名を与えて契約したのだ。自分に力がある事をわからせた後、名でしばったのだ。 驚きで事態をすぐに理解できずにいた新一の目の前で、すうっと黒兎の体の中にサーゴルド消えた。大きな影はなくなったが、その禍々しい力は隠し切れない。今も、森が悲鳴をあげている。正確には、森に住む精霊が怯えているのだ。 これが最後の攻撃だと、仕掛ける黒兎。力で作り出した剣を構える。 もちろん、殺すつもりはないが、動けない状態に陥らせるだろう。 新一は様々な神や精霊達と契約した者。これぐらいでも、手加減をすれば死ぬ事はないだろう。 それに向かい打つ新一。酷い怪我は免れそうにないと思っても、よけるわけにはいかない。後ろには、哀がいるのだから。 まだ何も終わっていないし、真実にたどり着いていないが、ここで終わるのかもしれない。
「…新一っ!!」
そんな二人の間に、名を呼ぶ声とともに何かが割って入った。黒い影だと思ったそれは、白いマントを翻し、暗い夜という闇を引き裂き、その己の持つ白い輝きで包み込んだ。 自分のよく知る人物。 世界を惑わせるマジシャンでもある男が、目の前に現れた。
「…キッ…ド…?」
『 魔が力を発し、白い衣は紅く染まる…。 』
紅子の予言が脳裏によぎる。 そんな事はありえないと思いながらも心配していた事態が、起こってしまった。
「嘘…だろ…?」 目の前は紅く染まる。黒い影に貫かれた、紅い血で染まる白い衣を着た男が、目の前に立っている。 自分を抱いた、遊郭の支配者で、冷酷で酷い男。 優しさと冷たさを同時に持ち、恐ろしいと思ったが、その優しさに惹かれるものを感じていた。 絶対の力の自信があるあの男が、今目の前で顔をしかめて、苦しそうにしている。 「…予定が…くるいましたね…。」 黒い影は鈍い動きでキッドから貫いた刃を抜き、そこに立っている。まさに、魔王と言うにふさわしい姿だろう。 キッドが膝をついて傷口を押さえるのにも、顔色を変えない。人一人、殺しかけているというのに、彼こそが冷酷で残酷な男だと思った。 「…邪魔をしないで頂きたい。…今度こそ、覚悟していただきます。」 キッドの無事を確認して声をかけるが、大丈夫という弱弱しい返答しか返ってこない。 このままでは、まずいだろう。自分でもわかるほどの危険な状態。 キッドを待つのは『死』。終わりを示す『死』という扉が、目の前で大きく開いているのだろう。 だが、そんな事はさせない。させるわけにはいかない。 自分をこうした責任、自分を助けてくれた恩。まだ、死んでもらうわけにはいかない。 「お別れはすみましたか?そのまま、大人しくしていれば、いいのですよ…。すぐ終わります。」 「…。」 「さぁ、交代の時間です。儀式の開始です。私はやっと、宝珠を手に入れられるのです!!」 黒い影を纏う黒兎が新一目掛けてやってくる。 その間、新一はその場にうずくまっているキッドの肩に腕を回して座っている。 新一の中で、何かがうごめく。 この血に記憶された中に眠る、力。 ほとんどのものが、目覚める事のなかった、世界を壊す事も創る事も出来るほどの力。
風が動く
愚かな人が愚かだと気付かずに何度も間違いを繰り返す。
音が話す
哀れな人に安らぎを与え、生きる喜びを教えて内へと消える。
光が導く
真実をありのままに、決して迷わないように道を示し続ける。
香りが舞う
浄化で無に返し、新しい再生へと誘い新たな道への扉を開く。
なら、救いようのない者へはどうしたらいいものか…? 誰が、その者にわからせ、裁きを下すのか。
「…許さないよ、絶対に。貴方は必ず裁きを与える。罪の大きさを知り、悔い改めよ!!」 新一は扇を開け、キッドを抱いたまま相手を睨み上げる。 自分はまだ、死ぬわけにもいかないし、彼に守られたままでいるのは嫌だった。 だから、今度は自分が彼を守る。
「神楽の名を受け継ぎ、次代の当主となった俺が、教えてやるよ。自然の理に反した者への制裁を。愚かなその罪の大きさを!」 |