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足を踏み入れた先は、進めば進むほど、視覚でもわかるほど空気が淀んでいた。普通の人間なら、数分で気がおかしくなる。それ程濃い魔で溢れていた。 「どうします?」 「先に元凶を叩く。浄化しても元凶がある限り状況は変わらんだろう。」 「そうかもしれませんね。」 そう言って、後ろから付いてくる司狼に声をかける。まだ大丈夫そうなので、三人はそのまま進むことにした。 そして、とうとう元凶がいるであろう扉の前に来た時、ふと魔の気配を感じた。微かで、とても遠いが、間違いなくそれは知っている魔の気配だった。 「成程な。」 同じころ、ゆう達が感じたそれに、白灯達も気付き納得した。何故、こんなにも守り人が後手に回る羽目になっているのか、つかめそうでつかめない黒幕のしっぽはとっくにここから消えた後だということに、あの気配が教えてくれることになるのは何とも間抜けなことだが。 「そこまで面倒なことになっていたとは…。」 「つまり、この先にいるのは魔人の成り損ないということじゃな。」 「でも、それでやっと五年前のことにもちゃんと決着つくんだよな?」 「そうじゃな。」 思い出してしんみりする司狼にしっかりしろと一括入れ、扉に手をかける。 ちょうど見知った気配もこちらに来たから、問題はないだろう。迷うことなく開いた扉の先へ足を踏み込んだ。 あれだけ大事だと騒いでいたのに、ここにきてすでに残りかす状態といっても違いないのだから。警戒は無くすことはないが、勢いよく入ってすぐに攻撃できるような体制をとった。だが、すぐに攻撃を開始することはなかった。 そこで目にしたものに、白灯は顔を歪め、白城も不快感を露わにした。司狼は怒りよりも言葉も出ない程悲しくなった。 そこには、人の形をしたものが、たくさん並んでいた。奥へ続く通路の端に隙間がない程壁のように並んでいた。 どれも、必死な形相で、笑っているものなどない。ただ、逃げまどう人々の時間を止めたかのようなその光景に、これを行った相手に対して強い嫌悪感を持つ。 真実を映す白灯にとって、それは見るに堪えないもの。何故なら、見えてしまうからだ。まだ、生きているということが、時間を止められて動きを封じられ、感情もそのままそこに閉じ込められた人の姿。 今ここにいる者達にとっては悪夢そのものなのだろう。本当に、面倒で手間のかかる、それでいて酷い仕打ちをするものだ。 長い間ここにいた者達は、すでに正気を失って、消す対象になっているに違いない。それを見定めることもできないぐらい、数多くの、そして間違いなく長い年月をここの者達は狂気に包まれながら、過ごしていたのだろう。 「前回同様、今回も報告書が多くなりそうじゃの。」 「そんな言い方ないですよ。」 彼等だって、好きでこうなったわけではない。司狼の言葉も尤もだが、仕事として後始末をする側としては、迷惑の一言につきる。 人数全員、報告としてきっちり提出の日までに仕上げておかないといけないからだ。わりきれない奴は基本的に守り人になどなれはしない。そう言う意味では司狼はまだ甘いし、優しすぎるのだおる。悪いことではないが、それが時に命の危険にさらすことになりかねないことを理解していないのは問題だ。 「ならば、『五年前』のようにヘマだけはするなよ。五年前の後始末で、それもほとんど残りかすのようなものじゃがの。」 「…わかってる。」 トントンと優しくなでる頭。あの時と同じ白城の手に、自然と蘇る、あの日の怒りと、腕の痛み。 「覚えておけ。同じ間違いを二度繰り返す愚か者にだけはなるなよ。よいな。」 そう言って先を進む白灯の背を目で追い、ついていく白城に司狼も慌てて追いかける。 まだ、覚えているあの腕の痛みに掴んで抑え、必死に隠そうとしながら。 わかっていたはずなのに。彼女だって、守り人としての仕事を優先することを第一としているが、実際は使い魔として側にいる自分達の身の安全も第一としての候補にあると、わかっていなかった。 その結果、余計な仕事と傷が増えた。決して彼女は他者を傷つけて平然としていられるような非道な人ではなく、だからこそ今自分がついていくというのに。 「よくも、私を殺したわね。」 はっと、聞こえた、忘れもしないその声に振り返った。その瞬間、司狼はミスを犯した。 「しまっ…くそっ!」 「逃がしてなんか、あげないから。」 その声が、司狼を捕らえようと近づいてきた。そして、触れる冷たいその手に、完全に動けなくなった。 「…姉上。」 意識が途切れる前に、三日月のような、それでいて気味の悪い口が見えた。 一人の女がいた。妹がいて、友人がいて、好きな人ができて、いたって普通の家庭でそれなりの生活をしていた。 何か不満があるわけでもなく、充実した日々を過ごしていた。けれど、はじめてそれが壊れるような衝撃を受けた。 最近、妹が誰かと会っているような気配はあった。だが、あくまで友人との関係だと思っていた。姉妹とはいえ、人間関係全て知っているわけでもないし、自分にも知らない知り合いがいてもおかしくはない。 だから、珍しく妹が出かけるようになったのを、交友関係が広がったのだと純粋に喜んでいた。けれど、友人と出かけると言った妹を外で見かけた時、私は見てしまった。 最初は偶然だと思っていた。けれど、何度か出かける妹をつけると、会う相手があの人で、裏切られた気持ちだった。妹は、私があの人のこと好きだと言うことを知っていたのに。妹は好きだけど、好きの意味が違うと言っていたのに。その瞬間、私は私ではない何かに乗っ取られたかのように、自分でも驚くぐらいどこか冷静で、だけど黒い感情が渦巻いてただみていた。 はっと、正気に戻った時には、鈍い妹を斬るあの感触と、紅い色。はっきりと認識できたのは、私が妹を手にかけたという事実。そこから途切れた意識からどうなったのかわからない。ただ、目が覚めた時、心配されて、泣き疲れて、妹と私が誰かに襲撃されて生き残ったと思われていて、私が殺したという事実に気付いていないということだけが理解できた。 だが、多少妹のことでごたごたはしたものの、次第に元に戻っていった。そういうとこ、人は勝手なのかもしれない。簡単に切り替えられるところが。 決して、今更あの日の事実を語ることもしないし、私が言うのも問題があるのだろうが、あっさりと斬り変った日々にどこか冷めた目で見ていた自分がいたのに気付いていた。 すでに私は私ではなくなっていたのだろう。 その時だ。私が出会ったのは。 はじめて見た時、言い得ぬ恐れを感じた男。けれど、その理由はすぐにわかった。私はこの男と同じだったからだ。そう、叶わぬ、思い人を思い続け、思い人に近づく者を殺す狂気を宿す一種の同類という仲間。 「一緒に来ないか?」 男を通じて知った不思議な少年。 私を心配していた友人も、いつしかあの人が好きになっていて、それを私に告白した時、勢いのまま殺し、あの人も部屋にやってきて、話を聞いてくれないあの人を殺した後だったから、何も残らない私は彼等の手を取った。 それが、破滅への序曲。私は死んだ妹と友人とあの人を生き返らせてくれるという彼等の言葉に頷き、死者を操る『道化の女王』になった。 私はいろいろな『顔』を演じ、死者という『人形』をつかい、争いを起こした。 私なんかと違い、友人の『顔』は有名だった。だから、彼らがいう愚かな争いは簡単に起きた。けれど、それを見ていた私はとてもがっかりしていた。 あまりにも簡単に進んだそれに、だ。それに、どこかでいい加減私を止めてほしかったのかもしれない。 そもそも、最初から気付いていたのかもしれない。けれど、制御を失った感情が、暴走して止められない私が見ている中で行われた行為の数々が、自分なのに自分でないものに動かされているかのようで怖かったのかもしれない。 すべては何もかも遅いけれど。 「ごめん。」 そう言って、燃え尽きた友人だったモノ。ずっと側にいたから、私にとっても大事な存在だったから、彼女もまた、私の状況に気付いて、だからこそ、最後に言葉を残したのだろう。 それが、何よりも私を突き落とす。 「私こそ、ごめん。…ごめんなさい。…もう、全部遅いけど、そっちに行ったら、また会えたら、今度は…。」 長の娘として生きることを義務付けられ、自由のない彼女にとって、私とあの人の存在こそ、自由そのものだったのに、だからこそ私のようにあの人に好かれることになっても時間の問題ともいえたのに、最初からわかっていたはずなのに、歯止めがきかないまま私はこの手を紅く染めた。 今度こそ、私は一人。もう、本当の意味で私をとめてくれる存在はいない。あといるとすれば…私を殺してくれる誰かだけ。 私は抑えられない怒りや憎しみといった、負の感情にまかせ、道を進み、『道化の女王』を続けて行った。 そして、とうとう私に終わりがきた。 あの人と似た面影を持つ人と出会い、自然との頃を思い出す私は、けれど明らかにあの頃と違って歪んだ感情が私に言う言葉のせいで、また同じことを繰り返そうとした。 それを止める為に現れた、まさに私にとっての死神。 「私はもう、戻れない。だから、だから…今日私は死んで、アンタに成り変る。」 そういったソレが、私を殺した。この瞬間も、私はとても他人ごとだった。そして、どうしてか死んだのに私はソレと一緒にいたままだった。 きっと、私の『顔』をソレがかぶったからだろう。すでに『姿』はソレのものなのに、おかしなものだ。 私の姿を見た連中はほぼ全部私が消してきたから、誰も面白いぐらい気付かない。それがまた、私の存在はそれだけだったと再認識してむなしい。 ただ、もう一度訪れた、今度こそ私の終わりとなるその日。ソレは目の前に立ちはだかる『敵』を攻撃した。動揺していた『敵』はそれを避けることができず、かばった誰かが怪我をした。 その時の庇われた方の顔がどこか妹を思い出す。信じられない、どうして、何故、疑問を投げかける、迷いだらけの感情が表に出て、けれど次第に真剣さを見せた目が真っ直ぐ私を見る。『敵』からすればソレを、なのだろうけれど。 ここにきて思いだす私は愚かなのだろう。 あの時聞こえなかった言葉が今頃聞こえた気がしたのだから。 『私を殺すことで苦しみから解放されるならそれでいい。けど、後悔するつもりなら、私が姉さんを殺して解放してあげる。その苦しみを代わりに背負ってあげる。』 確かに、妹は最後にそういった。だから、私は己のしたことに恐怖を覚え、意識を保つことができず、心は逃げた。 少しだけ感謝している。私に思い出させてくれたこと。 だから、今度は私が助けてあげるよ。君にとって、ソレは私にとっての妹や友人やあの人のように、大切な存在だったのでしょう? |