俺には、妹がいた。

両親が死んで、二人きりだったけれど、それなりに幸せだった。

ただ、箱の中の生活では、という限定であったが。

そう、俺は髪もそうだが、それ以上に眼の色が変わっていて、周囲から気味悪がられた。

だから、妹にもとても苦労かけたと思う。

けれど、毎日作るごはんをおいしいと食べてくれる妹の笑顔を視ると、どうでもよくなれた。

そんな俺から、いきなりやってきた掠奪者は妹を奪った。

悪魔の娘として、妹を殺した。

俺の事も、悪魔の子として殺そうとしたが、自給自足の為に獣と毎日やり合っていた俺にとって、取るに足らない相手だった。

俺は妹を殺されたことで逆上し、そこにいた連中を全員殺した。

後に残ったのは、悪魔になった俺だけだった。

それから、フードを深くかぶり、マントで身体を多い、適当にぶらぶら歩きながら生きていた。

誰かに関わることもなく、関わる気もなく、ただ生きていた。そんな中、一人の少女と出逢った。

その後、人身売買や違法賭博に巻き込まれながら、運命が交わる。

 

 

 

いただきますごちそうさま

 

 

 

サーカスの一件で、人気の無い森の中で静かにしばらく過ごすことにした。

最初は彼女が正確な年齢は教えてもらえなかったが、年上だと知って驚きはしたものの、やはり妹であり、俺が兄であるという関係は変わらずそのまま過ごしてどれだけ月日が経ったのか。

とにかく、無暗に殺しをしなくていいことは心が平和でいいと思う。

そんな時、一人の男が現れた。もちろん、警戒して敵意を向けた。もう、人に従うのも、人を手に掛けることも、人が死ぬのを視ることも、全てが嫌だった。利用されるのも嫌だった。

だから、獣のように、警戒して敵意を向けて睨みつけると、相手は少し困ったような顔をして、話しかけてきた。

この辺りに咲いているというある薬草を探しているのだと、それを手に入れたらすぐに何処か行くからその間だけ達いることを我慢してもらえないかと言ってきた。

それが本当ならいいが、そういって嘘をつく連中ばかり見てきた俺は、相手を視たまま、簡単に警戒を解かない。

だってそうだろう。あれだけ簡単に嘘をついて騙せる人間がたくさんいるのだ。人が良さそうな顔をしていても、この男が絶対安全だと言う保証はどこにもない。

そんな時、気配もなく、突如少女が現れた。正確には、空から飛び降りてきたという表現が正しいかもしれない。とにかく、人ができることではない状況で、この場所に現れて男に話しかけた。

「れんちゃん。あったー?」

「いや、まだだ。それより、本当にちゃんと草の形覚えてるのか、凛々。」

「むぅ。凛々、ちゃんと覚えたもん。」

そう言って、写真をずいっと男の方へと向ける。

「でも、忘れたら見直せるように、ちゃんとこれ持ってるから大丈夫だもん。」

子ども扱いやだ。そういう少女は明らかに子どもだ。何だろう。このちぐはぐした二人組は。本当に、男が言うように薬草を探しているのだろうか。

ちらりと見えた写真の中の薬草は、先日食べるモノを探しに出歩いたこの近辺に確かに生えていたことを覚えていた。

「セイ兄。あの人、嘘ついてない。」

珍しく根拠もないが口出しした妹に、俺はその男に声をかけた。

「もしその子どもが持ってる写真の奴を探してるのなら、この先少し行けばある。」

「そうか。すまない。教えてくれてありがとう。」

そう言って、二人は教えた先へと向かった。だが、その直後、ざわりと木々を揺らす風が変わった。これは、前触れ。こういった予感はよく当たる。

はっと、彼等が向かった先に感じた気配に舌打ちをする。

決して彼等を嵌めるつもりなんてなかった。だが、結果としてそう思われても仕方ない状態になった。

「ネル。ここで大人しくしてろ。」

首を横に振って、ついて行くと意思表示をした彼女に、少し考えたが仕方なく前には出るなと言って彼等を追いかけた。

すると、そこには低い咆哮を響かせる、それこそ化け物というにふさわしい、大きな獣がいた。

「れんちゃん、すごいおっきいよ!」

場違いな程、怯えるどころか楽しそうな声音が響く。

「適当に相手して帰ってもらえ。目的はこれだからな。場を荒らしても困る。」

「わかった。一発で落す!」

いっちにと身体を少し伸ばした少女。まったく状況がわからない。

「おいっ!それは危険だ。確かにこっちにあんた等の探してるものがあるが、今回は諦めろ。相手が悪すぎる!」

死にたいのか!そう言おうとした言葉は、喉を通ることはなかった。

下がって、一気に飛びあがった少女が軽やかに宙で身体をひねり、勢いをつけたまま足を振り下ろして獣の首に叩きつけた。

それは見事な一撃で、美しく、そして人の所業とは思えない早技でもあった。

地響きを立てて倒れる獣の巨体。止めとして男から渡された剣を容赦なく首に突き刺し、横に引いて斬り落とす。少女がしたとは思えない所業。信じられない光景。

言葉がでない俺達に、振り返った男が、巻き込まなかったかと声をかけてきた。いや、と否定すると、ならいいと言って、少女に声をかけて薬草の捜索を再び始めた。

いったい、彼等は何者だというのだ。ネルも俺の後ろに隠れて相手の様子を伺いながら、何かを警戒している。それが、人を信じられないいつものものと違うことに違和感を感じたが、きっと俺にはわからないことだろう。

彼女は元からそういった感知能力が高い。反対に俺は低い。だから、きっと俺には理解できない感覚が今あったのだろう。

「なぁ、それ見つけてどうするつもりだ?」

「ああ、教えてもらった礼もしてなかったな。ありがとう。おかげで助かった。これに関しては、私は頼まれたのだ。知り合いだが、腕のいい医学に精通した奴だ。試したい薬を作る為に、必要なもので距離があって入手し難いものを依頼されたのだ。」

簡単にいうとお使いという奴だ。そう言った男は、少女を差して、彼女だけではお使いは無理と判断したからついてきたのだとも言った。

確かに、強さは申し分ないが、精神が大分幼い彼女では少々荷が重いかもしれない。

その時、ぽつぽつと、雨が降り出した。元々、傘を差しているネルは濡れることはないが、俺は今夜寒い中眠ることになりそうだなとぼんやりと考えていると、男がこちらを向いて少し何かを考え、一緒に来ないかと言ってきた。

さすがにそれには少しばかり警戒する。そんな言葉で連れていかれた先が人身売買や殺し合いの賭博場や戦場であったとしても驚きはしないが、そういう可能性がある以上、すぐに頷けない。

「互いに知らない者同士。警戒するのはわかるが、この天気だ。それに、お前達のおかげでこれもすぐに見つかったしな。」

礼がしたいのだと彼は言った。だが、その言葉を素直に鵜呑みにできる程、俺達はすでに偽りだらけの世界に居すぎた。

「本格的に夕立ちで酷くなりそうだ。…お前達の返事を聞いてる余裕はなさそうだ。着いてから好意を受けるか出て行くか決めてくれ。」

そう言って、彼は強引に俺の腕をつかんだ。ネルの腕は獣を倒した腕っ節の強い、けれど精神は幼い少女が掴んで、俺達を連れだした。

元々荷物なんてほとんどない、着の身そのままなので困りはしないが、これで本当にお礼だけなら、相当なお人よしだなと思った。それだけ、俺達はあまりにも人を信じられなくなっていた。

連れてこられた場所は、立派な建物だった。

世間では社とも呼ばれるような建物で、聖域として有名な場所らしい。これは後で知った。

入口で出くわした女は男の様子を見て、すぐにタオルを用意すると出て行こうとしたが、それを男は止め、部屋にタオルと暖かいものを用意するように頼み、俺達を彼の部屋とやらに案内された。

その時になって初めて理解した。

この男はこの建物で一番偉い奴なのだと。昔一度だけ、国の偉い奴に会うときの謁見の間とやらに似ている大きな広間が、目の前にあった。だが、それを通り越して奥の部屋に通される。

ここは間違いなく男のプライベートな範囲なのだろう。

「いいのか、ここ…お前…。」

「構わぬ。広間だと汚されると掃除が大変だからな。好意で皆がしてくれるのだが、今日は終わった後だから申し訳ないしな。ここだと私が勝手にすればいいだけのことだ。」

どちらかというと、彼が自ら掃除している姿が想像できないのだが、黙っておいた。

「着替えも用意してくれるだろうから、お前達、まずは風呂だ。」

冷えた身体を温めた方がいい。そう言って、少女に案内させた先は、誰もいない広い風呂場だった。

少女が言うには、ここには何人も帰る場所のない奴等がたくさんいて、皆それぞれ仕事をして自給自足で行って生活しているのだという。

たくさん食材の収穫があれば売りに出すし、あの男はある意味周囲の風潮で宗教と化して、参拝にくる客も多いそうだ。それに、彼自身別に仕事があり、ここを留守にしていることが多いが、その留守にする仕事のおかげで、収入はそんなに困る程酷いわけではなく、むしろ裕福な方のようだ。

確かに出会いが頼まれた薬草の捜索だ。それを届けて売る仕事でもしているのだろうかとこの時は思っていた。

久しぶりな、まともな暖かいくつろぎの空間。まだ完全に信用したわけではないが、気持ちよさに余裕がでてくるし、暖かい気持ちになった。忘れていた、人の温もり。

人を信じられない冷たい世界にあまりにも居すぎて、少しだけ居心地が悪かったのも事実だが。

「おや、お客さんかい?」

「ああ。すぐ暖かいのを頼みたい。」

「お安い御用さ。」

そう言って、笑顔で腕がなると言って別れた女性は、ここで料理長をしているのだと教えてくれた。

「夕食として用意しているだろうから、夕食は食べていけ。その後出て行くかここにいるか好きにしたらいい。」

風呂からあがり、お茶の用意は出来たと言って部屋に戻ると自ら案内する男と少女に、少しだけ戸惑いながら従った。だが、これ以上ここにいてはいけないということだけは、何となく思っていた。

だって、あまりにもここは二人にとって暖か過ぎて、失った時にあの頃の冷たさを忘れてしまいそうだからだ。

それに、二人は彼に返せるものが何もないから。

その日食べた夕食はとてもおいしかった。零れた涙に、先程会った、この料理を作った女は、大げさだねと苦笑しながら頭をなでてくれた。

忘れていた遠い過去の、家族の優しい手と似ていた。それが、また涙を零し、止まらなかった。

それから今掃除できている空き部屋がここだけだと、二人で過ごすには広すぎる一室へ案内され、夜を過ごした。暖かい布団。敵を警戒しなくてもいい環境。少しだけ落ちつかなかったが、思ったより体は疲れていたようで、ぐっすり深く眠ってしまった。

気付けば日は高く昇っていて驚いた。

部屋を出ると、案内人であると紹介された寧爛がちょうど部屋の前を通るところだった。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「あ、ああ。ありがとう。」

「では、食事の方はどうされますか?食堂と言いますか、皆が食べる為に利用するスペースがありますが、お二人は部屋で食べる方がよろしいですか?」

確かにこの場所ではこの場所なりの集団生活における規則というものもあるだろう。それを客という括りに入るとしても従った方がいいだろう。そう考えたが、思ったより起きる気配のないネルのこともある。一人にして何か騒ぎを起こしても困る。彼女は時々暴れるのだ。周囲があまりにも敵だらけであったが為に、知らない気配が近づけば、一種の防衛本能で反射的に攻撃を仕掛けてしまう。それを、ここの住人達は知らないはずだ。

「あいつがまだ寝てるから、できたら部屋で。」

できるだろうかと聞くと、あとでお持ちしますと彼女は頭を下げ、仕事があるのでと立ち去ろうとした。

「あ、あの、昨日のあの人、今どこにいるかわかるか?」

あまり長居はできない。だから、今はネルを休ませたいからすぐに出るつもりはないのだが、明日あたりには出ようという事を伝えようと思ったのだ。あと、お礼も言いたい。とても、うれしかったからだ。

「主様ですか?主様は、仕事の為、朝から出かけておられます。伝言がありましたらお伝えしましょうか?」

「いや、ちゃんと自分の口で伝えておきたいんだ。」

「そうですか…ですが、主様は次いつお帰りになられるかわかりませんが、よろしいですか?」

「何か、大変なことでもあったのか?」

「私は主様の仕事に関して詳しくは知りません。ですが、悪いことはされておりません。そんな主様の留守を守るのが私共の仕事です。安心して仕事に行かれるように。」

だから、どんな仕事をしているのかを知りたいとそこまで思っていないのだと彼女は言った。知れば巻き込んでしまう大変な事なのだということだけは理解している。それだけで十分なのだと。

だって、仕事を知ることで頼られてると思うよりも、帰る家を守ることで、彼の安らぎの場を守る為の仕事を任される方が何よりも嬉しいからだと。

「それに、仕事を知っても、私共はきっと主様の助けはできません。反対に足を引っ張ってしまう可能性の方が高いでしょう。」

ならば、主様の力になる為に留守を守ることが主様の安らぎにつながるのならそれでいいのだと彼女は言った。

「だから、貴方がたのような得体のしれない相手を侵入させないように入り口で番人として立ち、案内人である事が私の誇りなのです。」

「得体のしれない、ね。」

「ですが、主様が選んで入れた方だから、悪さをする方ではないと認識はしていますが、貴方がたを知らないからこそ、私は貴方がたを味方だとまだ認識はできません。」

素直な彼女の感想に、今は認めないと、いつもならそうかと思って、どうでもいいと思うことだが、認められたいと思うのは、あの男と出逢ったからかもしれない。

自分もどうやら、あの男のことを気にいっているようだ。だから、迷惑をかけたくないと思って出て行こうとしているのかもしれない。

だって、嬉しかったのだ。

風呂上りに、気が緩んで、つい被って隠していたフードの下を見られたのだ。気をつけていたのに、見られてしまった、かつて鬼だ、悪魔だと罵られた少し赤めの紫の瞳と蒼灰色の髪。

咄嗟に掴んだタオルを頭にかぶったが遅い。見られたことは変わらない。きっと言われる。そう思った。俺にとっての消えないトラウマであり、コンプレックス。

なのに、彼は言ったのだ。

「綺麗な紫だな。隠すのは勿体ない。それに、やっぱり綺麗に洗うと耀いて見えるな、その髪も。」

そう言って、お茶の用意が出来た。そういって、昨日はお茶を頂いて、夕食も御馳走になったのだ。

嬉しくて。暖かくて。眠れないと思ったのにぐっすり眠ってしまって、けれど彼の言葉は本心であるのかとどうしても人を疑う心は消えず、もう一度確認したくて彼に会いたくて。

そんな彼を守る為なら容赦しないと言う彼女に、興味を持った。自分達にはない守るモノの為、覚悟すら決めているその目。確かに、守りたいものの為に、俺のような得体のしれない者は近づけたくないだろう。危険回避を優先するのならば。

今までなら、俺でも賛同する。だが、今回はどうやら違うようだ。そして、いつまでもこうやって顔を隠すように被ったままではいけないなと思った。

これではいつまでたっても彼女から怪しい人物のままだ。

弱虫な自分にへどがでる。何度も期待してその度に打ちのめされる繰返しに、諦めを持って隠した数年。

「では、私は仕事があるので行きます。用がありましたら、受付の方にどうぞ。食事の要望は料理長の奏鈴にどうぞ。」

そう言って、彼女は去っていった。

部屋に戻り、まだ眠るネルの頭を撫で、これからのことを考えた。

 

 

 

どれだけの時間がたったのか。届けられた食事を食べていたら、目を覚ましたネルに食事を出すと、無言でもくもくと食べだした。片付けるのは先程言っていた食堂とやらに持っていけばいいのだろうかと考えながらぼーっとしていたら、ふと感じた気配。ネルも感じたようで、俺達は部屋を出てこの建物の入ってきた入口を目指した。

そこでは侵入者らしき者達がいた。先程の女、寧爛と言った受付は必死に応戦している。何人か居合わせたらしい男達も応戦していた。彼等は、本気でここを守ろうとしている。

確かに、はじめて見たあの凛々と言う少女の戦闘能力はすさまじかった。其れに比べてあの寧爛はまだ筋がいい方だが、男達ははっきり言って素人だ。あれでは大怪我する。

ネルの方を一度見て、この場所にとって敵とみなされた奴等の排除を開始する。

「さっきの食事の礼だ。お前等さっさと避難しろ。あと、女子供どもも奥の方へ念の為に避難させて警戒呼び掛けろ。」

そう言うと、いきなり現れた俺達に何だと少しざわついたが、すぐに手に持ったナイフの数々と不気味な人形の数に少し考えながらも頼むと言って向こうへ撤退していった。

「何の用だ。」

「だから、礼。戦いを好まないが、礼もしないのは人道に反する。ただそれだけだ。」

危ないならあんたも下がってくれ。そう言って戦闘を開始する。

主の留守を知って、わざわざ狙ってきた彼等は、たまたまいた俺達によって呆気なく倒されて転がっている。弱すぎる彼等は、俺達二人には雑魚も同然だった。

「…正直助かりました。礼を言います。切り傷の手当てをします。こちらへ。」

俺達より怪我が酷い彼女にすぐ治るからと断り、また同じ事がないように、帰れと言われないことをいいことに居座った俺達。

本当にいろんな奴等が出入りしていった。そして、彼女は受付としての仕事を全うするために、出入りした人物の顔を全て把握していた。誰かのために。そんなこと、考えずに生きてきた俺達には、少しだけうれやましいことだった。

けれど、ここにきて、侵入者対峙をして、さっきの奴らに助かったと礼を言われて、うれしかった。

誰かにお礼を言われるようなこと、ここ数年なかったことだ。誰かを蹴落とし生き残る為に奪い合うのが当たり前の中にいたから、お礼なんてことは存在しない。

「ありがとう、か。」

「セイ兄。…ネル達、ここにいてもいいのかな。」

変わらず警戒したまま気を許しきってはいないが、ネルもここにいることを気にいっているようだ。

きっと、他の連中もそうなのだろう。何となく、居心地がよくていつの間にか月日が流れてここの住人になっている、そんな感じだ。

だからこそ、危険な存在である俺達がいていいものなのか疑問はいくらでもある。

だが、今度は素直に言ってみたいと思う。ありがとうというお礼と、しばらくここにいいてもいいか、と。

「おや、どうしたんだい?」

主である男が帰らず、そのまま次の日を迎えた俺達は、建物見学もかねて、ぶらりと廊下を歩いていた。出入り自由だから好きにしたらいいと案内の女にも言われたので、いつもの散歩がてらに歩いていたのだ。

「確か…。」

「奏鈴だ。よろしく頼むよ。そういや、あんた達の名前を聞いてなかったね?」

呼び名がないと不便だから、本名を騙りたくないのならそれでも構わないし、そういう連中もたくさんいるから誰も気にしないとそう言う彼女に、俺達は俺達の名前を名乗った。俺達にはその名前しかないから、これが本当の名前なのかと問われてそうだと応える自信はないが、いい名前だと笑って褒めてくれた彼女に、くすぐったい気持になる。

「あ、そうだ。もし暇なら少し手伝ってくれないかい?」

明日の朝には帰って来るらしく、一緒に居た少女が帰るといつもたくさん食べるので、いつもよりたくさん料理を用意しておくのだと言う。だが、ちょうど人手が皆外へ出て買い出しやら何やらで取られ、待たせたくはないので少し困ってたのだと彼女は言った。

「いいっすよ。丁度、あの人帰って来るまで話できないし、暇だったっすから。」

ネルも首を縦に振って頷くと、助かるよと嬉しそうに言った彼女に案内された食堂。その奥の広い厨房。しっかりとした設備のそこは、彼等が作業をしやすいようにと、順番にあの男が整えて今に至るらしい。

「これ。これを頼んでもいいかい?」

奥からダンボールとザル、皮むき道具を持ってきた彼女が言うには、このダンボールいっぱいのじゃがいもと隣のダンボールいっぱいのにんじんの皮をむいて欲しいとのことだった。

「玉ねぎはもう用意して炒めて下準備はできているんだ。」

これで大なべにカレーを作って、それがあの少女の朝食というか、食前のおやつになるそうだ。

何となく、この厨房がこんなに大掛かりになっていった理由が分かった気がした。これぐらいしないと、あの少女の胃袋を満足させる料理を大量に作ることは出来ないとあの男が判断したに違いない。それも、聞くところによると一日五食も食べる日があるとか。

確かに、あれだけの動きが出来ると言う事は鍛えているのだろうし、それぐらいの燃費はいいのかもしれないが、化け物並みの胃袋に苦笑する。

「ちゃんと作っておかないと、お腹減ってイライラした凛々ちゃんは主様に斬りかかるからねぇ。」

元気なのはいいけれど、時々見ていてはらはらするよという彼女に、日常の一部になっているようだが、それは明らかに危険であるのに止めないのかと思ったが、口にしなかった。

彼等には彼等の日常というものがあり、きっとこれは日常の一部でしかなくて、俺達のように外から来た新しい連中にとっては可笑しなことでも、ここにいる連中には当り前でおかしいことではないのだろう。

「あ、すまない。ネルは細かい作業が苦手で…。引き受けたからにはきっちりやるっすから、その端のテーブル借りてもいいっすか?」

「ん?ああ、構わないよ。だが、一人で大丈夫かい?」

付け合わせのデザートの下準備したいが、一人で出来る量としては多すぎることに彼女も理解しているようだ。

「大丈夫っす。俺、こういうの結構得意っすから。」

「そうかい?じゃあ、この時計が4時になるまで。そしたら他の連中が食べにくるから、あんた達も一緒に食べてしまいな。」

「でも、俺…。」

4時まででも大きく違うからね。できる所まででいいよ。量が量だしね。」

毎度これをこなす彼女は純粋にすごいと本気で感心した。だから、俺も本気でこのジャガイモとニンジンに向き合うことにした。

「じゃあ、ネルちゃんだったかい?お茶飲みながら、これの味見してくれるかい?」

明日のデザートにするつもりなんだ。そう言った彼女が、隅っこのテーブルの隅の椅子に腰かけてこちらをじっと見ていたネルにお茶とお菓子を出してくれた。

じっと交互に彼女とお茶菓子を視ていたが、小さくありがとうと言うと、どういたしまして、彼女は厨房の奥へと引っ込んだ。

それから俺は真剣に皮をむいた。元々料理は嫌いではなく、得意と言ったのも嘘ではなく、それなりに速いペースだろうと思っている速度でひたすら皮をむいてボールに剥いたジャガイモやニンジンを放り込んでいった。

そして、思ったより速く作業は終了し、時計はまだ3時半を指していた。

「出来た奴はどうしたらいいっすか?」

ボールを抱えて彼女に声をかけると、驚いた風に振り返った彼女が、だけど笑顔で助かったよとお礼をいってきた。

「もし、何かあったら、手伝うっすよ?」

「本当にいいのかい?じゃあ、これと用意してある玉ねぎと肉を一緒に煮込む準備をして、下を焦がさないように気をつけながらみておいてくれるかい?」

「なら、作っておこうか?」

「頼めるかい?でも、用事とか…。」

「今日は本当に暇なんで大丈夫っす。」

そうして、俺は大なべいっぱいのカレーを造り上げた。相変わらずのなかなかの出来に満足だ。

「助かったよ。ほら、これ。」

たくさん食べておくれ。そう言って用意されたのは、焼き魚に卵焼き、サラダにスープ。普通に店ができるランチのようにしっかりとしたメニューの数々が並んだ。

いただきますと手合わせ、食べたごはんは、とてもおいしかった。しっかりと感謝の気持ちを込めてごちそうさまでしめ、人が増えだしたので、邪魔にならないよう退散するために食器を返し、彼女に声をかけてから部屋に戻った。

「明日の朝、か。」

朝になれば、彼が戻って来る。暖かいこの世界に、いたいと思った。

「ネルはどうしたい?」

「ネルは、ここ好き。」

「そうか。」

もし、叶うのならば、まだ、ここにいたい。

 

 

 

 

突然全体に響く破壊音。いつもなら、可笑しければ目がすぐにさめるぐらい眠りが浅いのに、つい深く眠りに入っていたようで、事が起こってからの起床だった。

舌打ちして、すぐに同じく目を覚ましたネルを連れて部屋を出た。

一斉に奥へと避難する者達の波を逆らい、騒動の中心へと走った。

そこには、受付の女と始めてみる男がいた。その男は動きからして素人ではないから、昨日のように奥へ逃がす必要はなさそうだ。

「何があったんだ?」

受付の女に声をかけると、俺の登場に驚きがあったようだが、すぐに説明してくれた。

主を狙った、隣国の侵略者だ、と。それは大雑把であるがわかりやすい説明だった。つまり、この場所にいる全ての連中からしたら敵ということだ。

「彼等は?」

「先日主様が連れてこられた客人です。腕は問題ありません。奇蝶が戻るまでにある程度片付ける必要はあるので、このまま任務続行です。」

「そうか。確かに、これを奥へ行かすと、ホーレインの治療の邪魔になるしな。」

まだ、戻っておられない主様の為、帰る家を守る。たとえ敵が大国の軍隊であろうとも、ここは聖域で主に害を成す存在を通しはしない。それが絶対の場所。

俺達も手伝うと言って、入口を爆破して無理やり乗り込んできたらしい人間共の殲滅を開始した。

確かに俺やネル、思った以上にやるあの男の存在によって、簡単にここを通す事はないし、一人一人を倒すのは簡単だ。だが、あまりにも人数が多すぎる。これではただの消耗戦だ。

「何か一気にかたをつける方法はないのか?」

「生憎、そういうのが得意なのはここにいない、避難誘導している奴と、主様と出かけたままの凛々殿だ。」

あの二人はむしろ人数は関係ない。全部をぶっ飛ばすからだ。だが、反対に今ここにいる四人は一人ずつ確実に、それでも通常よりははやいペースで潰しているのだが、ここまで多いと後半は少々問題がでてくる。

「おい、無理するな。そろそろ下がれ。」

男は受付の女にそう声をかけるが、かたくなに女は下がろうとしない。

「じゃあ、今すぐあの女呼んでこい。交代だ。どうやら、向こうはこちらの生死は気にしないようだ。」

そういって、向こうに見えるものを目線で示せば、さすがに彼女も少しの間お願いしますと言って、すぐにそこから立ち去った。

「なぁ、あれって…。」

「軍事開発とかしてたといういうのだろ。早々に壊しにいかないと、あれを撃ち込まれたら困るしな。」

だから、少し前に出て撹乱しながら潰せそうなら潰す。だから、ここは二人で別の奴が来るまでふんばっててくれ。そういった男は一気に外へ向けて走りながら、斬り込んでいった。

「ネル。」

「大丈夫。ネル達、ここをお願いって頼まれた。だから、誰も通さない。相手が死んでも…もう、死なないように手加減はしない。」

「そうだな。結構しっかりしたのをきてくれてるみたいだし、丈夫そうだからいけそうだよな。」

そう言って、ネルは今出していた二体の人形以外に、三体の人形を出した。俺も、ナイフをしまい、右手に持っていたものと少し型の違う銃を左手にとって構えた。

スッと、その場の空気が変わる。そして、張り巡らされる糸、冷たい風。

「全員、一歩でもこちら側に踏み込めば、全員無事ではすまないと思ってくれ。」

向けられた銃。二つ目の銃は特殊なもので、決して弾切れを起こさないものだ。理由は簡単。俺の精神力で撃つからだ。通常の弾と威力は同じ。ただ、精神力が続く限り、いくらでも撃ち続ける事ができるという例外があるだけ。

そして、この糸はネルの人形による仕掛けの一つ。絡まった獲物を逃がさない、力を奪うもの。つまり、立っていられなくする効果があるので、こう言うときは有意に使える。ただ、味方がいると、味方がよっぽどこちらの戦い方を理解してくれていないとできないことではあるが。

「さぁ、はじめよう。」

「アソビマショ。」

急に変わって不気味な二人に少しひるみはしたものの、軍隊は命令があればそれに従う生き物だ。すぐにこちらへ向かってきた。だから、俺達は一切奥へ行かさない為に容赦なく潰していった。

どれだけ続いたか。ドンッと響く地響きに何かと音の方を視ると、こちらに狙いを定めていた大筒がまっぷたつになって崩れていた。

何が起こったのかと思ったが、すぐに理解した。

あの『少女』なら、あんなものぐらい、確かに簡単に壊せる実力があるはずだ、と。

そして、全てを吹き飛ばすかのような竜巻が現れ、敵を一掃してどこかへ飛ばしていく。倒れた敵の山も全て、だ。

後に残ったのは俺達だけ。

「お帰りなさいませ、主様。」

いつの間にか入口まで戻ってきたいたらしい男が出迎えたのは、あの男と少女だった。

すぐにやってきた女はもう終わってるじゃんと騒ぎながら、顔には出さないが疲れているであろう男に勝負を挑もうとして二人してどこかへ行った。

そんな二人にほどほどにと声をかけ、彼は俺の前にやってきた。

「彼等を助けてくれてありがとう。」

彼はそう言って俺達の前に立った。

「あ、いえ。元々、助けてもらったのは俺達っすから。」

「だが、ここにきてまで巻き込んだのはこちらの不手際。だが、お前達が手を貸してくれたおかげで、被害が少なくすんだ。」

もう一度言われたありがとう。うれしくて、つい戦いでフードが落ちて顔が見えていることに気付くのが遅れた。

また、見られた。綺麗だと言われたが、その言葉に気付いて咄嗟に、もう遅いのだがフードを被った俺に、彼は俺に何かを手に乗せた。

「こんなもので礼になるかわからないが、そんなに気になるなら、それをかけていればいい。」

綺麗な昼の空の色だ。夜の闇に包まれる少し前のお前の瞳も綺麗だが。そう言って渡されたのは、サングラスだった。

「あと、これもだな。」

暗い色のスーツのような感じの服にマントですごく変な格好だが、ある意味で喪服でもあるこれを気にいっている俺に合わせたかのような、暗い夜のような帽子を頭にかぶせた。

「手持ち隠すのにそれを被るのはいいが、顔ぐらい出した方がいいぞ。」

それでも隠したいなら、それをあげるから、もう少し太陽の光にあたれ。そう言って、彼は立ち去ろうとした。そんな彼を呼びとめ、ずっと言いたかったことを言った。

「ここに、連れてきてくれて助かったっす。ありがとうっす。嬉しかったっす。あったかくて…むずがゆくて、邪魔になるなら出て行こうと思ったっす。けど、けど、俺達はもう少し此処に居たいっす。居させてもらえないだろうか。」

頭を下げてお礼と、今後の願いを言う。初めてだ。誰かにこうして頭を下げることも、いたいと願うことも。

「何を言ってるんだ。」

ぽんっと頭を撫で、彼は言った。

「いたいなら、いたいだけいたらいい。誰も文句は言わない。出たいなら出ればいい。いたいならいたらいい。ただ、それだけだ。」

ようこそ。改めて迎え入れるように言われた言葉。

「後で建物の中の事、ものの入手についてや食事、説明しておかないとな。時間が出来たら部屋にきてくれ。」

そう言って、彼は今度こそそこから立ち去った。

「ネル、いてもいいって。」

「うん。いてもいい。はじめていわれた。」

いらない。それは何度も聞いた。使えない、生き残れない奴はいらない。それが当たり前の世界だった。

「なぁ、ネル。俺、ここ守る為なら戦ってもいい。」

「うん。ネルもね、ここにいたいから戦ってもいい。」

しばらくぼーっと今の状況を整理していた俺達は、部屋に戻らず彼の部屋へ向かった。

すると、飛び出してきた少女に危うく潰されるところだった。

「あ、セレセレだ。ネルネルも。れんちゃんに用事?」

セレセレというのが俺のことだろうか。それとネルネルというのはやはりネルのことだろうか。咄嗟のことで驚いて固まっていると、彼が声をかけて凛々をどかした。

「すまない。こいつは人の名前を勝手につけて呼ぶ癖があるんだ。あまり気にしないでくれ。」

そう言って、彼は首根っこを掴んで適当に壁の方へ放り投げた。いいのかと思ったが、身軽な彼女はひょいっと普通に立って、10点とかいってポーズを決めてから、何するのさと文句を言っていた。

どうやらこれが彼等にとっては日常のようだ。

「あ、そうだ。セレセレ。」

「あ、何っすか?」

「あのね、いただきます。あと、ごちそうさま。」

いきなり謎な彼女の言葉に首を傾げる羽目になる。

「おいしかったよ、カレー。」

また食べたい。彼女はそう言った。

「奏鈴が、調理補助しないかと言っていたぞ。絶賛付きで。」

うれしそうな少女に、俺もうれしくなった。昔では、家族がまだいた頃は当たり前だったこと。

俺が作った料理を嬉しそうにほおばっておいしいという『妹』のことを思い出した。