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最初は、誰も気付かなかった。 ボク自身、理解していなかった。 だから、可笑しなぐらい言う言葉の通りになることに疑問を持つこともなかった。 だから、本当は誰からも好かれていなくて、気味が悪いと思われていると思わなかった。 だから…だから、気付いた時には一人ぼっちになっていた。 いや、一人になることを選んだんだ。 誰よりも忌み嫌っていたのは その日、小さな村は争いを繰り返す民族衝突に巻き込まれ、壊滅した。 丁度、戦闘を好む好戦的な部族と、その部族の文化である器を手に入れて取引をしようとする移動商人達の二つの勢力は、あっという間に互いの力を削ぎ合い、丁度中間地点に位置したこの村を襲い、失った物資の補給に利用した。 何もないただ世間から切り離されたような、自給自足で補える小さな村は、簡単に彼等に制圧され、逃げ惑う人々は、次々に斬り殺されていった。 丁度で周囲に木の実など、食料調達に出ていたボク達は、村に戻って驚きと、とにかく家族を捜す為に村の中へと走り出した。 普通に考えれば、そこで逃げるべきであるのに、ボク達はあまりにも周囲と関わりなく過ごしてきたせいか、そういう危機感が薄かったのかもしれない。 力のないボク達が来たところで、結局今の村を救う事も己の命すら守ることすらできない無力な存在であることも、何もわかっていない。 だから、次々と見つかって斬り殺されて、紅い色が周囲に飛び散った。 その時、ボクの目の前にも襲撃者が現れ、剣を振り上げた。 初めて、ボクはその力を認識することになった。 「やめろっ!止まれっ!」 咄嗟に叫んだ言葉で、動きを止めた襲撃者。周囲の他の襲撃者も、村の者達も同じだった。 どうしてこうなったのかわからない。だが、チャンスだと家族の元へと向かった。丁度、すぐ傍に危うくボクと同じく追い詰められて殺されそうになっていた妹と母親がいたからだ。 「母さん、レイナーレ。」 良かった、そう二人に抱きついた。その間も、他の連中は一切動かない。その異常な中にいても、ボクはただ二人の無事が嬉しくて、まったく気にしていなかった。 それが余計によくなかったのだろう。 ざわつき出す襲撃者。そして、ぽつりと聞こえた、友人の声。 怯えを含んだ、昔から一緒の仲が良かったアイツの言葉から、次々に聞こえて来る、この村の者達からの感情の波。 「おかしいと思っていたんだ。」 「あいつが言ったことに逆らえない。そうやって、やりたくもないことをやる羽目になったことがある!」 「悪魔だ。あいつは悪魔だったんだ。」 「きっと、この襲撃者を呼んだのも、アイツだ。そうに決まっている。」 ざわつき出す、負の感情に呑まれた彼等の言葉は、ボクには鋭い刃となって突き刺さる。 言葉は、力よりも他者を攻撃する『力』になる。ボクの力はそういうものなのだろう。だが、ボクからしても、今の彼等の言葉はこの襲撃以上の衝撃を与えた。 何よりボクが強い衝撃を受けたのは、友人の言葉だった。 ずっと仲のよい、そう思っていたアイツの『化け物』という言葉。怯えるような、襲撃者に向けるのと同じような嫌悪の眼差し。それが、何より痛かった。 「…うるさい。黙れ。」 そう言えば、ぴたっと誰もが声を発しなくなった。だが、ボクには聞こえた。声という媒体を使用できないようにコマンド入力をしたようなもので、実際は今の彼等は言葉を発しているのだ。ただ、彼等は声がでないし、もちろん他の連中の言葉を聴く事もできない。 命令したボクだけが、それを『聴く』事が出来る。正確には、画面の上に文字を並べるように、『視える』という感覚に近いかもしれない。 言葉は難しい。ボクの言葉は人へ影響を与えてしまう。それに疑問を持った事もなかったし、知らなかった。けれど、日常的に彼等は違和感を感じて気付いていたのだ。 けれど、怖いから言わない。怖いから、何くわぬ顔で笑顔を向けて騙していた。 ボクの言葉が怖いのなら、どうして理解できないのだろう。 彼等の言葉もまた、ボクを壊す『力』があるということに。 ボクにとって、ここがボクの世界で、『家族』であったのに。その家族から向けられた言葉がどんな結果を生み出すのか、彼等は理解していないのだろう。 いろんなことが一瞬で理解できた。そして、何もかもがどうでもよくなった。 「母さんとレイナーレには手を出すな。哀しませることをすれば、その首は一生胴体と離れ離れになるだろう。」 そう言って、襲撃者の言葉の呪縛を解いた。動けることに、ひとつひとつ身体を動かして確認する奴等。絶望を顔に浮かべる、今も動けない村の連中。 「ごめん。母さん。どうやら、ボクはここにいちゃいけないみたい。だから…ごめん。生きて?」 そう言って、その場からゆっくりと退場する為に背を向けた。 まだ動けない、声も出ない妹が必死にボクを呼ぶ声がした。けれど、ボクは振り返らなかった。だって、ボクは言葉を使ったのだから、二人は絶対今ここで死ぬことはない。その確信があった。 動けることを理解した襲撃者は戸惑いながらも、ボクへと方向を変えた。物騒な力を持つボクを野放しにできないと判断したのだろう。 だけど、斬りかかる連中を次から次へと、消えろという言葉の通りに空気に溶けて消えて行く様を見て、すぐに標的をボクから本来の村へと向けた。 ボクが彼等に積極的に手を出さないということがわかったからだ。手を出さなければこちらが不利になることはない。ならば、当初の目的を果たせばいい。 村の連中の声なき悲鳴が響き渡る。ボクはその『音』を一生忘れないだろう。 けれど、本当にどうでも良かったのだ。 優しくしてくれた近所のおじさんも、毎朝話しかけてくれたおばさんも、一緒に遊んだ連中も、一番仲が良かったアイツも。 今のボクは誰一人信用出来なくなっていた。 重い意味を持つボクの言葉。それと同じくらい、ボクが大好きだったあの村の連中の冷たい言葉がボクを壊した。 誰も信じられなくなったボクは、オレになって、各地を転々としながら、人の記憶に残らないようにしながらただ生きていた。 本当はさっさと死んでも良かったが、あの襲撃の親玉と、壊滅した村の生き残りが数人いたことで、親玉の始末と、場合によってはその生き残りもまた始末しないといけないと思ったからだ。 何故なら、彼等はオレの力を知っているからだ。オレという存在を知られてはいけない。もし知られたら、母さんや妹に迷惑がかかるかもしれない。そう思ったからだ。 生きているかの保証はない。あれだけの惨事だったんだ。けれど、何とか逃れたという噂は聞いたので、きっとどこかで二人は生きている。そう言葉にして、その言葉が本当であればいいと思いながら、その為だけに生きているのだ。 もし、何かあった時は全力で、他の誰かに何を言われても二人の幸せの為なら手段を選ばず邪魔ものの排除をするつもりだった。 そんなオレは出逢ってしまった。 あの日、オレを化け物と罵った、幼なじみの男に。向こうも憶えていたようで、息を呑むのがわかる。 そして、出逢った場所が悪かった。 ここは、無法地帯。何をしても誰も裁かれない。何故なら、何をしても文句を言う『王』という存在がいないからだ。 常に誰かが誰かから奪い取り、生きる為に毎日奪い合いをする荒れた地。彼は、あの日からこういったところで、生きる為に必死だったのだろう。 そう思うと少しだけ心が痛んだが、あの怯えるような目で、だが、すぐにまた化け物と憎しみを向けた目で見た彼に、すぐにオレの心は冷めていった。 「よくも…よく、何くわぬ顔で生きて、俺の前に顔を出せたもんだな。」 ただ、相手を見て、それに応えず踵を返すと、怒ったように待てという言葉と肩を無理やり掴んでこちらへ向ける強い力がオレの足を止めさせた。 「何とか言えよ。」 ちょうど、その声のせいか、周囲にいたろくでもない連中供がこちらの様子を伺いだした。 ここは誰が何をしてもとがめられることのない場所だ。もし互いに潰し合えば、オレ達が持っているものを、奴等が手に入れる。そのために、潰し合いをする奴等の周囲にはハイエナのように集まる。 「オレからお前に言うことなんか、ない。そして、お前と二度と関わる気もない。」 「なっ、お前、どういう意味だよ!」 あの後、動けないことをいいことに殺されていく人を見てきて、怒りに染まる彼が続けた言葉は大切な二人のことだった。 「お前があんなことになって、お袋さんだってっ!それにっ!」 「それに、レイナーレが可哀そう。そう言いたいのか?泣いてた、そう言いたいのか?」 「っ…お前、わかっててやってたのかっ!」 つかみかかる彼の手を交わし、睨み返す。 「お前にこそ、オレ達の何がわかるんだ。何も知らない癖に、二人のことを口にしないでもらいたいっ!」 殴りかかってきた男。そのせいで、よろけたオレは、何とか踏みとどまって、憎悪を向ける。 「アイツは家族思いの優しい奴だった。お前のことだって…っ!あの後、たくさん死んだ。お前のせいだ。それで、アイツは心を痛めて…。」 何でも知っているかのように話す男に、オレはもう、我慢できなかった。 彼は何も知らない。知らないからこそ言える。妹がどうして哀しんだのか。オレがどうしてそこまでして守ろうとしたのか。そして…恨まれて生きる希望もない今の状態で、それでも這いずり回るハイエナのように生きながらえているのか。 彼は何も知らないのに、知ったような口を聴いて欲しくなかった。 「ふざけるな…ふざけるなっ!お前に、お前なんかにレイナーレの何がわかる!それこそ、俺の何がわかるというんだ!ああ、そうさ。オレは化け物だ。レイナーレが哀しむ原因は俺が化け物であるからだろうさ!そんなことはわかってる。わかってるが、それ以上にオレは兄としてアイツを幸せにしないといけない。守らないといけない。お前に言われなくても誰よりも理解している。」 一番理解していないのはお前の方だ。そう言いきったオレに、アイツはオレの勢いに呆気にとられているようだった。 「アイツは生まれた時から身体が弱い。そんなこと、お前は知らないのだろう。それこそ、あの村の誰も知らないことだ!ああ、だから誰も知らないまま、アイツは一人で静かに死ぬ。そう、死ぬんだ。アイツは手の施しようのない、不治の病だ。見た目の変化はない。身体が弱いように見えない。だが、20歳の誕生日を迎えると同時に石のように身体が固まって、心臓も止まって死ぬんだ!」 「なっ…嘘、だろ。」 「嘘じゃない。知らないだけだろ。ほら、言ってみろ。お前はアイツの何を知っているというんだ。何も知らないくせに。オレは兄として、アイツの20歳の誕生日までに絶対死なせない、たくさんのものを見せる。そう約束した。死んだ父さんの墓にも誓った!だがな、オレに力があったとしても、アイツを助ける術はない。本当に助けられるのなら、オレはすでに死んでる。オレは力を自覚する前から、アイツの病が亡くなることを望み続けた。アイツと変われることを望んだ。けれど、オレは20歳の誕生日を迎えても生きているし、アイツの病が直ったなんて聞かない。オレは確かに化け物だ。だが、大事なアイツを守る事ができない役立たずだ。」 だから、あんな襲撃者共なんかに、奪わせるわけにはいかない。その為ならこの命だっていらない。 「アイツが哀しむのは、オレがそうやって、オレの命を大事にしないことに対してだ。それが自分のせいだって思っているからだ。でも仕方ないじゃないか。どうしたらいいんだよ!アイツはどうあがいてももう20歳までのタイムリミットは近づいている。誰もアイツを助けることができない。」 その悔しさをお前は知らない。それなのに知ったような口をきくな。アイツを理解しているように話すな。オレが無理なことを、お前はどうにかできるのか。そんなことできるはずがない。できるのならば、とっくに頼んだ。 「お前は、アイツを助けることができるのか?オレがアイツと一緒にいたら、アイツは生きる事ができるのか?答えは否。アイツは死ぬ。だからこそ、オレはアイツを20歳の誕生日まで平和に過ごせる為に必要ならば…お前だって殺す。」 其れぐらいの覚悟で、あの日言葉を使ったのだ。あの日はじめて知った、お前達の本心と力のせいで多少のショックと混乱もあったが、何よりも優先すべきなのは、彼女の幸せだ。 「アイツはオレを含めた全員の幸せだ。狭い箱庭のような、あの世界がオレやアイツにとって全てだったからだ。だが、お前だってわかってるはずだ。全て平和に解決できる術なんてこの世にはない。だからこそ…だからこそ、オレは選んだんだ。アイツが哀しむとわかっていても、だ。お前こそどうなんだ。アイツのことを知っていると言うのなら、何故一緒にいない!あの襲撃での生き残りなら、あれだけ妹と一緒にいたお前が!アイツは誰も喪いたくない。そう思っているのに、何故一緒にいてやらない。そんなお前がアイツのことを知ったような口で話すな。目障りだ。」 一気に捲し立てるように続く言葉の数々に圧倒される彼は、次第に内容を理解し、その場に崩れるように座りこんだ。 「本当に、アイツは…。」 「結局アイツに話してもらえない部外者だ。よくそれで、アイツを知ったような風に口をきけたものだ。よくそれで…俺にアイツの話をだせたものだ。」 オレを壊し、アイツから兄を奪う一言を最初に口をしたお前が、よく言えたものだ。 「言葉の力を持つ化け物。確かにオレはそうなんだろう。だが、お前もそうだ。オレがお前達に牙を向けたのは、お前の言葉がきっかけだ。」 もう、思い出せない遠い過去の記憶。あの村での出来事はオレの中で消えていった過去だ。今後思い出すこともそうないだろう。 「…結局、お前…テスタと友人だと思っていたのはオレだけだった。おじさんとおばさんとも、信用していたのはオレの独りよがりだった。そういうことだろ。」 だから、化け物に成り変ることに決めた。先に言葉で攻撃したのはお前達の方だ。そう言って、今度こそオレはそこから離れた。 その後彼がどうしたのかは知らない。妹に会いに行こうが、あそこで野たれ死のうがオレにはもう関係のない話だ。 適当にふらふらと過ごしていたオレは、ある日人気のない森の側に続く小道で、歌声を聴いた。 今まで聴いた事がないような、美しいそれに、惹かれたオレは声の元へと足を進めた。そして、出逢ったのは美しい翼を背に、月明りで輝く白銀の髪の女だった。 周囲にたくさんの小鳥を連れ、どこか悲しそうに謡う彼女に、つい声をかけてしまった。 その瞬間、はっとこちらを見た彼女は謡うのを止めてしまった。少し残念な気がしたが、放っておけなかったのだから、そのまま彼女の側に近づいて聴いた。 すると、彼女は謡うのが好きで、小さな居酒屋で謡うことで生計を立てていたそうだ。有翼人であるが故に、見世物のような扱いでもあったが、彼女は謡うことができるのならば、それでいいと思っていたそうだ。 だが、ある日彼女に恋をした男がいた。それも複数だ。 それを切欠に彼女は歌を取り上げられてしまった。 彼女に恋した男の一人に、居酒屋の女将や、領主の男も含まれていたからだ。 彼女の歌は男を操る魔性の歌だと称され、追い出されてしまったのだと言う。そこでふと、オレは気になってあることを彼女に試してもらった。 その結果、オレは彼女が同じ言葉に力を持つ能力者だと知った。 彼女が願う通り、歌にのせられた旋律が、生気のない草木を蘇らせた。 さすがに知らなかったらしい彼女は驚いていたが、オレも同じような力があるのだと言うと、驚きながらも、先程の悲しそうな顔は消え、笑顔を見せた。とても綺麗な笑顔だった。 その時だ。突然周囲を取り囲まれたのは。 あれだけ他者への不信感で警戒し過ぎだったオレが、彼女の笑顔を見て惚けていて、気付くのに遅れた。 奴等の狙いは彼女の翼だった。噂では、『天使』の羽根は力をもった薬になるのだという。だが、彼女は有翼人だ。天使とは違う。それを、彼等だってわかっているはずだ。 それでも、天使に連なる血が混じっていればいい。その程度の認識で、滅多に人前にでてこない有翼人を見逃す程愚かでもない彼等は天使でないとしても、有翼人として売るつもりなのだろう。 この世界はおかしいことだらけだ。人にないものを欲しがる変人が多い。そして、それはお金になる。だから、彼女のような、被害者が消えることはない。 殴り飛ばされ、意識が飛びかけたオレだったが、すぐに彼女の悲鳴で意識を戻す。 視界に映ったのは、振り上げられた刃が月明かりに反射して光り、それが勢いよく彼女の翼へと振り下ろされた。 音にならない悲鳴と、醜い襲撃者の言葉の数々。 まただ。また、オレは…肝心な時に何も守れない。 心を落ち着かせ、静かにオレは言葉を『使った』。 「止まれ、武器を手放せ、オレと彼女から離れろ。」 静かなその声は、夜の闇に不気味に響いた。オレを取り押さえていた奴が動きを止めたことで、そこから抜け出し、オレは彼女の側に近づいた。 「大丈夫?」 「あ…翼はないけど、怪我はしてないから…でも、貴方…。」 「貴女と同じ。だから…オレが怖いならそれでもいいから、今はここから離れましょう?」 差し出した手を取った彼女の手をしっかりつかみ、その場から立ち去った。立ち去る際に、オレ達のことを知るものがいたら同じ事が繰り返されると思ったから、『消えろ』という罪を重ねる言葉を告げて。 落ちついたところで、腰を下ろしたオレ達は、改めて彼女の顔を見た。 「ごめん。もっとはやく動いて居たら…。」 「いいの。気にしないで。私も悪いの。この翼のせいで、そういった人達に狙われるっていうこと、わかってたはずなのに。…反対に巻き込んでごめんなさい。」 しゅんっとへこみまくってると全身で表現するかのような彼女に、さすがのオレもあたふたする。さっきまでの惨劇が嘘のように、何かマイペースな彼女にオレは心を乱されまくっている。 かつてのオレなら、こんなことになっていない。 「でも、ありがとう。助けようとしてくれて。」 いつも、誰も助けてくれないから。一人でいることが当たり前になっていたから、一緒にいる貴女を巻き込んで本当に申し訳なかったとしょんぼりする彼女に、首を横に振って、手を取って、オレも礼を言った。 「今まで、この力が嫌いだった。ろくなことにならないから。でも、同じ力の持ち主に会えて、嬉しかった。だから、そんなこと言わないでほしい。」 その時、はっと先程よりははやく気付いて、咄嗟に動いた身体。彼女を庇って倒れ込む音と、いくつもの刃が元いた場所にささった音が一瞬で和やかな空気を壊した。 そこにいたのは、人の形に見せた影だった。そう、闇のような影だ。人の表情もない、ただの影がゆらゆらと動きながら、そこにいた。 それと眼があった『感じ』がした。眼がないのにそう感じる程、それは『意思』を持っていた。目的は不明だが、何らかの『意思』をそれは持っていた。 じっとこちらを見ていた影はざっとこちらへと向かってきた。 咄嗟の事で、人ではないそれに対して何も『言葉』が出てこない。 「闇を祓う聖なる矢、降り注げ『ホーリーレイン』」 どこからか聞こえた声と、光の雨が降り注ぐ。 フワリと舞い降りた白い羽根。 現れたのは月の光で銀色に輝く長い髪をした綺麗な顔をした男だった。 「誰…?」 「嘘…。」 呆然とする二人の前で、あっさりと影のようなものを消し去った男は、こちらを向き、近づいてきた。警戒して睨みつけると、少しだけ困った風にしたが、すぐに大丈夫かと声をかけてきた。 「あのような類のものの処理をしている者だ。君達が巻き込まれずに済んで良かった。」 そう言って、一応確認だと言って、背中に広がる翼から羽根を二枚抜き取り、宙へ飛ばし、何かの言葉を紡ぐ。すると、それが光を帯び、オレ達二人を包みこんだ。 あの羽根の力なのか、言葉の力なのか、それはわからないが、先程の襲撃者からの怪我や避ける為に負った擦り傷も消えていた。 「さすがに、これは直せないが…。」 そう言って、そっと振れる彼女の翼。 そこではっと気付いて、つい聴いてしまった。 「貴方も有翼人なのですか?」 こちらをじっと見て、少し考えている男は、無自覚かと呟いた。その意味が理解できず首をかしげると、困ったように言葉を探しているのか、返答に時間がかかった。 「言葉の使い方、間違えると己に返るから気をつけた方がいい。」 まるで、オレ達の力の事がわかっているかのような言い方に、はっとなる。 「俺には利かないが、一般人には効果が得られるから、普段は使わないようにした方がいい。」 そうしないと、人の世では生きるのが難しくなる。そう言った彼に、オレも彼女も興味を持った。 理解できないこの力に悩まされたオレ達にとって、はじめて力についてちゃんと教えてくれるであろう相手に出逢ったのだから。 あの後、案内された場所は、彼の家だと言う。一度訪れたことがある、和装の造りをした神殿のようなところで、彼はそこの主なのだという。 ただ者ではないということはわかっていたが、まさかここの主である程、偉い人だとは思わなかったのだ。偉い人ということで驚けば、そんなにたいそうなものでもないと言っていたが、この辺りにおいて、この神殿と主は有名すぎる。それに本人が自覚ないようだった。 「お帰りなさいませ。」 出迎えた相手に部屋への人払いを指示し、オレ達を通した。 そして、ひとつひとつ話してくれた彼の内容は、思った以上にすごく大きなものだった。 言葉の力は使い方次第で、言葉だけで相手を殺すこともできる。それを知って、わかっていたつもりなのに、わかっていなかったことを改めて認識させられる。そして、この力は制御することが可能で、使わないように力が『閉じて』いれば、普段の会話に一切力を持つ事がないのだという。 つうまり、オレ達は制御さえできるようになれば、誰と会話してもいいし、詩を好きなだけ謡っても文句を言われることも迷惑をかけることもないということだ。 「今日は遅い。帰る場所がないのなら、部屋はいくらでも空いているから泊まっていけばいい。」 そう言って、先程の女を呼んだ。 「彼女は寧爛。普段俺が留守の際は代理人として、普段はここの管理を任せている。」 「お初お目にかかります。寧爛と申します。何か御用がありましたら、何でもお申し付けくださいませ。」 そう言って頭を下げた彼女に、反対にあたふたする。そんな対応されたことがないからだ。それに、そんな対応される程偉いわけでもないし、そういう環境の中にいたこともないから余計に、だ。 「そうそう。言い忘れていた。お前達の言葉が普通から見れば『異質』な力であることは言ったな?」 それに、認めたくないが事実であるので頷く。 「彼女もある意味においては『異質』な存在だ。」 「冥鎌様?」 大丈夫だと言った彼の言葉に従い、彼女は眼を閉じた。そして、そこに立っていた女の姿は消え、綺麗な白い翼を持った水鳥がそこにいた。 「彼女は近くで怪我をしていて、行くあてがなかったみたいだから、この裏で好きなだけいればいい、そういったんだ。」 だが、彼女はただ置いてもらうわけにはいかないと、自ら『仕事』をすると言ってきた。 そして、現在彼女はこの場所の管理者として留守を任せているのだと言った。 「世の中には、異質なものなんていくらでもある。確かに、能力は個々それぞれ違っていても、結局『普通』の奴らからすれば、俺達全員、『異質』な存在でしかない。」 自分が異質であるから、他者と違うから外れることはない。異質であっても、結局個々の能力が違うだけの『普通』と同じなのだと彼は言った。 「だから、考えすぎないことが一番だ。」 俺の方がこの中では一番の『異質』だしな。そういった彼は少し悲しそうにしていたが、その時はまだ理由を知らなかった。 それでも、案内された部屋で、暖かい布団が、忘れつつあった懐かしい過去を思い出す。 「母さん、レイナーレ…ごめん。」 もしかしたら、あの頃の温かさがないところで、毎日過ごしているかもしれない。それなのに、今のオレはとてもあたたかいし、ある意味安全な場所にいる。 自分だけが…それが少し辛かった。二人が危険な世界の中に入ることになったきっかけはオレなのだから。 安心して眠れるということは、思ったよりオレから警戒心を奪い取ったようだ。あの後ぐっすりと眠れ、部屋に入ってきた寧爛に気付く事すらなかったからだ。もし普段だったら寝込みを襲われたら終わりなので、絶対にありえないことに、内心慌てふためいていた。 「起きたか。」 そう言って、食事だととおされた部屋にすでにいた冥鎌。隣にはまだ幼さの残る少女がいた。 「あれが客か?」 「そうだ。だから、今日は暴れるのはなしだ。」 「わかった。凛々大人しくする!」 偉い?そういった彼女を適当に頭を撫でて座れと言う彼は、まるで子どもの面倒をみる保護者だ。だが、似てないところをみると、彼女もあの寧爛と同じ、拾ってきた奴ということだろうか。そんなことを考えていると、テーブルに食事を出され、その食事に驚いた。 普段、食べられるものを食べる生活だったので、こんなにきっちりとした、おいしそうな料理は久しぶりだった。 温かい料理。あの日から生きてきたことを考えると贅沢とも言えるそれは、忘れていた温もりをあった。 どうしてか、零れる涙。悲しいのか嬉しいのか。それすらわからない。 「たんたん、悲しいの?」 はっと、すぐ隣にいた少女に驚き、鈍い頭で、「たんたん」というのがオレを指すのかとゆっくりと認識していく。 「悲しい?おいしくない?」 「あ、えっと、おいしい。おいしいから、かな?悲しくはないよ。」 ごめんねと言えば、いい子いい子と、少女に頭をなでられた。懐かしいその手は過去を思い出させる。 あれだけ、ただ生きるだけで、全てを捨てて忘れて冷たい心で、人らしさが欠けていたオレが人に戻った瞬間かもしれない。 化け物と言われてから、人であることを己自身が諦め、人ではないものになろうとしていた。そのことに気付いた。 先日再会した彼にも言ったが、確かにオレは壊れていた。壊したのは彼等だ。だけど、誰よりも人に戻ることを拒んでいたのは、オレ自身だった。 だって、こんなにも簡単に人に戻れるのに、また人に拒絶されて化け物になるのが怖くて、化け物のままでいようとしていた。その事に気付いた。 忘れていたこの温もり。妹が求めたのは家族と共にある幸せで、オレが求めたのは彼女の幸せで、それは矛盾した願い。 オレが幸せだと思う事がなければ、決して妹はよしとしない。それがわかっていたはずなのに。そうだ、彼にも言ったようにわかっていた。 けれど、どちらかしか選べないのなら、オレは彼女の幸せしか願えない。だから、彼女の中からオレという存在を消そうと思ったんだ。 だから、あの日から会いに行くことをしなかった。さっさとやることをやって、会いに行けばいいのに。 それに…化け物であっても、人と同じ、痛みを感じる生き物である。そのことを、永い年月の間に忘れていた。 「昨日の話の続きと、会わせたい者がいる。…だから、ゆっくりしていてもいいが、できれば急いでほしい。」 そういった冥鎌に、袖で涙を拭って、急いで食事を再開した。隣に座っていた彼女は何か思う事があったのか、ただにっこり笑顔を一度だけ向けて、食事を再開した。 あの後、参拝する客の一人だと紹介されたのは、オレの妹と母だった。 あれから、流れ着いてここに到り、広いこの建物の清掃という仕事を受ける形で食事と部屋を借りていたそうだ。 必要ならば、誰であっても拒まず受け入れ、場所を提供するここは、孤児院のようなこともしているらしい。だが、彼等はタダで全てを提供されるのをよしとしなかった。そもそも、ここに訪れて過ごす連中は自給自足で、あくまで場所を与えるだけのこの場所を楽しむ為、それが合わない者達は留まりはしないし、近寄りもしない。 ある意味、結界のような力で守られた絶対の場所。広いし、地形的にも主である冥鎌と右腕とも言える凛々の存在によって絶対の守りも誇る。 その為と言うのか、広いこの場所の掃除をするには人手が足りない。元々彼等が過ごすであろう部屋もそうだ。だから、毎日どの範囲でもいい、立ち入り禁止区域以外の清掃を、順番に彼等のペースでしていけばいいということになったらしい。 そういった人は彼等以外にもいるので、毎日今日はどこの掃除をするかと挨拶のように話しあえる仲間も最近ではできたそうだ。 あくまで、冥鎌達が提供するのは、食べ物を育てる地と、最低限着替えることが出来る、簡易な服。 彼等が清掃を担当するなら、ここで暮らす連中全員の膨大な量の洗濯物を洗ってそれぞれに返却する担当の者もいる。そして、朝と晩の二度と昼間の簡易なお菓子の時間に近い食事を用意し、その片付けをする者。 それぞれが共同生活の上で担当し、空いた時間を自由にすることで、安全なこの場所で過ごす彼等は笑顔に満ちている。 冥鎌曰く、元々はこういうことをするつもりはなかったそうだ。ただ、静かに人が寄り付かないだろうここで、本業を行えればいいというだけだったらしい。 だが、仕事の上で困ってる連中との遭遇する率は高く、一晩、また一晩といろんな連中を部屋ならばいくらでもあるからと泊めていったら、いつの間にか宗教のように、信仰者が現れて、神扱いされる羽目になったそうだ。 まぁ、歪みによって巻き込まれるのを回避させる為ということで、結局あくまで彼等次第という形で好きにさせたら、こういうことになったらしい。 「実際、あまりにも人の出入りが多くなったのと、ここで過ごす者が増えすぎたこともあって、出入りの確認もかねた案内人として寧爛に管理者を任せている。」 育てる為の術や、衣服の調達、食事の用意の指示を任せる者も一人いると教えてくれた。今日は食材を取りに裏の山奥へ狩り回っているのだという。 「お前が望むのなら、彼女達と一緒にいるのもいい。他にやることがあるのなら、出て行くのも一つの手段だ。選ぶのはお前自身。俺がどうこういう問題ではない。あの子も、今はお前が幸せになる為ならば、笑顔で見送ってくれるだろう。」 死に近づく彼女の『病』という名の呪いは解けてはいないが、猶予をつくることはできた。だから、20歳に死ぬことはない。そういった彼に、どうして彼が神と人に慕われるのか分かった気がした。 オレがどうあがいてもできなかったことを、彼はしてくれた。妹を助けてくれた。その事実が何よりもオレのかたくなに鎖そうとした心を溶かした。 「良かった…本当に、良かった。」 嬉しくて、久しぶりに零れる涙。その場に崩れる自分。涙が流れるが、ほっとした安心感で、笑みが零れる。 「だが、何度も言うが、呪いが解けたわけではない。本来の人の寿命よりはたぶん短い。」 彼の言葉に、彼の方を見る。 「きっと、呪いが解けることもないだろう。だが、普通に生きることはできるだろう。」 「呪い…何が原因であるのか、わかるのですか?」 「まぁ、な。だが、今の君がそれを『理解』することは難しい。まずは、自分の『力』を認識して制御できるようになるのが先だ。そうしないと…今度こそ、君は彼女を『殺す』ことになる。」 「…なら、この『力』を制御できたら、その呪いがどういうものか、理解できるようになるってことですか?」 「ああ。力を理解するころには、世界を理解することになるだろう。そうしたら、何が原因であるのかが結果的にわかる。」 話は終わりだ。そう言った彼は、仕事があるから行くといって、そこから立ち去った。 去っていく背中を見送り、置いていかれた子どものように少し心細く思ったが、すぐに気い持ちを切り替えた。切り替えざるえなかった。 ここまで一緒にいた彼女がどうしたの?と服の裾を掴んで見上げていた。 「何でもない。そう、何でもない。ただ…今まで諦めていたいろんなことが急に諦めなくていいとわかってどうしたらいいかわからないだけ、なんだ。それだけ。」 首をかしげている彼女に、苦笑しながら空を見上げた。 その日の空は、あの日と同じ、かわらない青い色。 妹なら、間違いなく怒る。あくまで、心配させた事に対してだ。そして、結局俺が何をしても許すのだ。許してほしいと望みはしないが、息苦しい今の状態のままでいることもできない程、自分は結局弱い。 結局、どこかで許して欲しいと思いながら、一番許せずにいるのは自分自身だと、この時はっきりと理解した。 二人は元気だ。楽しそうにしていた。それが、救いだった。元気な姿を見られたことが、何よりも、今の俺には喜びだったから。それなのに、まだくすぶる胸の奥に潜む闇。 異質な自分がいるから、普通の二人を巻き込んだのではないかと、どこかで思っていた。 だけど、今、思い出したのは、泣きやまない妹をあやすのに困った俺の思い出。 空は綺麗な青色で、そんな中泣きやんだ妹の笑顔が、救いだった。だからかもしれない。 何よりも、彼女が生きることができる世界を望み、だけど、こんな異質な力があっても助けることができない自分のふがいなさにイラつきを覚えていた。 それを押し殺して、だけど、あんなことがあってとりあえず別々になって、それでも気になって…結局彼女を助けてくれたのも、今自分が此処にいる為に廻り合わせてくれたのは、あの男のおかげだ。 そして、そんな醜いどろどろした感情を癒やしてくれる彼女の笑みと唄が、何よりも優しくて哀しくなった。 どこかで独りだと思っていた。独りきりだと思っていた。 違うのだと、今日初めてわかった気がした。 「ねぇ…君の為に奏でるから、俺…『オレ』の為に唄ってくれませんか?」 お互い、誰からも望まれない、禁忌。だけど、互いの為になら最高の旋律が生まれるかもしれない。 |