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ただ、歌が好きだった。 それだけだった。 けれど、私は詩を謡うことができなかった。 歌姫は何を願うか 人知れず、そこにあるのは広いお屋敷と庭。人が住めるように手入れされたその場所に、常に人の気配は薄い。 その日も毎日の日課のように、広い人気のない『庭』に歌が響き渡る。 「まだ、昨日のことを引きずっているようですね。」 ふと、その音に耳を傾け、歌の主の調子を探る青年。すっと、目を閉じ、取り出した横笛でそっと音をそろえた。 歌に合わせて奏でられる笛の音が、その庭をより一層幻想的に見せる。 ふわり…と、音が変わり、庭の花の蕾が花開く。 「イミタンド…ズルイです。」 「むくれては、せっかくの綺麗な顔が台無しですよ。」 「いいの。誰も視てないもの。ここには、私達以外はいないんだから。」 だから、自由に歌える。寂しいけれど、歌えないよりいいのだという彼女には困ったものだ。 まぁ、あれだけ酷いことを言われれば人を怖がるようになっても仕方ないが、守り人の仕事で人の命にかかわることに関しては、結局怖いくせに守りたいと思って、最期には哀しむのだ。そう言う人だ。 どちらかというと、成長しそこねた子どものようなものだが。 先日、仕事で何人もの人の命が奪われ、歴史の闇に葬られた。かつて、彼女が呪いの魔女であると人の輪から外され、歴史の闇に葬り去られたあの時と同じように。 「今日、冥鎌さんがいらっしゃいますけど、体調の方はどうですか?」 「今日は大丈夫。それに、あの人と一緒に居る方が身体が安定するの。」 彼が天使であるからこそ、彼の周囲は安定しているので、彼女にとって心地よい空間になる。存在そのものが、澄んでいる聖属性であるから、それが足りない彼女は彼に会うことで補っているところがある。 彼女は詩を謡うのが好きな、有翼人だった。美しい彼女は人の欲望に触れ、壊れかけた。その時に美しい翼を片方斬りおとされた。その時丁度オレが遭遇し、咄嗟に助けてしまった。 結果、オレもお尋ね者扱いで逃げようにも囲まれて困っていたところへ、現れたのが冥鎌だ。 彼はとても強かった。そして、同じ翼を持つ者として、彼女は彼への憧れを強く持った。 何故なら、彼女は人の欲望の為に本来いた場所から無理やり連れ出され、淀んだ空気の中にいたせいで詩を忘れかけていた彼女にとってオレ以上に大きな存在になったようだ。ちょっと悔しいけれど、彼の実力を考えると仕方ないのかもしれない。 そんなオレは、きっとあの時から一目ぼれしていたのだろう。絶対に言わないけれど。 話がそれたが、彼女は結局のところ、詩を謡えたらそれで良かった。多少空気が淀んだ世界の中であっても、謡うことができれば、彼女は彼女のままいられた。 だが、彼女の歌には力があった。オレと同じで言葉、音といった媒介による能力があったのだ。 オレ達にとって、このベルセルという機関との出会いはある意味救いだった。 何故なら、音を媒介にする能力は、いろいろと厄介で、加減ができなければ、日常会話だけで、相手をどうにかすることが可能になってしまう。実際のところ、そこまで強い力はそうそうコントロールは難しいし、発動はしないけれど、感情が高まった時なんて、暴走して大変なことになる。 そんなオレ達にとってここの連中は、そういう耐性があるというか、防御する術を持っている為に、一般人相手にするより、確実に不意に発動した力でどうにかなるということがなくて気が楽だ。 「あ、来たみたい。」 「ですね…出迎えてきますので、ここで大人しくしていてくださいよ?」 「わかってるわ。私だって、いつもふらふらしてるわけじゃないわよ。」 むうっとむくれる彼女は子どものようだ。そんな彼女にわかりましたと答えて急いで『入口』へと向かった。 守り人であるのなら視えるだろうが、ここは普通の人間が誤って入り込む事がないように結界が施されている。そのため、ここには何もないように見える。なにもないといっても、あくまで古びた屋敷とぼうぼうに生えた草の山で、人が住んでいるようには視えないように、だ。 「いらっしゃいませ。」 「…イミタンド、か。相変わらずだな。」 「貴方も相変わらず…いろいろなものに懐かれているようで。」 「…。」 少しいやそうにしながら、それ以上何も言わずについてくる彼に苦笑する。本当に彼はお人よしだと思う。だから、おかしなのに懐かれて困る羽目になっても、結局放っておけない性格なのだろう。 だからこそ、オレ達のようなのにも、気にかけて自分の時間を割いて自由な自分の時間を過ごせなくなるのだろう。 「今日は凛々ちゃんはどうされたんですか?」 「ここで暴れられては、せっかくの花園が大変だろう。」 「そうですね。けれど、賑やかでマスターも楽しそうなのでオレは構いませんけどね。」 以前あったことを思い出し、申し訳なさそうにする彼。けれど、実際賑やかで楽しくて、怒りなんてわかなかったのも事実だ。 あまりにも言葉の力による人からの目が、オレやマスターの笑顔を奪い取り、楽しいという感情を失くしていった過去。そのせいか、彼女のように目茶苦茶なことになっても、結局笑い合える、他者から罵倒されたり迫害を受けずに過ごせる時間の方が嬉しいようだ。 まぁ、実際庭の手入れは大変なのは事実だが。 「こんにちは。」 視界が広がったその先で、こちらを見つけて笑顔になる彼女に挨拶をする彼。少しだけ、彼女を慕うオレとしては気にいらない。 この後は、ただひたすら彼女が日々あったことをしゃべり、詩を謡う時間だ。彼女は詩が好きで、誰かに聞いてもらうのが好きで、けれど力を持つ言葉のせいで誰かのために謡うことができなかった。 だからこそ、この時間は彼女にとって至福の時間だ。まぁ、オレと毎日一緒に詩を謡ってり演奏に合わせてということはするが、この歌姫は他者に謡いたいのだ。 あくまでオレは彼女にとって同じ境遇の仲間でしかないから。でも、そう思って一緒にいたいと思ってくれるのは嬉しい限りなので今はそれ以上を望むつもりはないけれど。 実際、これだけずっと言葉を交わし、詩を聴くと、人は壊れてしまう。正確には、その詩に魅入られ、虜となった連中は奴隷に成り変る。彼女はそれが嫌なのだ。だから、謡うことを諦めようとしたけれど、ここでは諦める必要はない。それが彼女を笑顔にした。 実際、オレも人との会話だけで他者に影響をもたらすようなことになったら、怖いし関わる事を避ける。それを変えたのがこの組織で、わざわざ出向く彼には感謝もしているところがある。 だから、多少の嫉妬を持ちながらも、お茶やお菓子を出してもてなしてしまうのは、彼への感謝の気持ちの方が強いからだろう。 だからこそ、どこかで油断があったのかもしれない。 かつての過去の自分なら、絶対に攻撃を受ける前に攻撃を返している程、周囲を敵視して、警戒し続けていたから。そして、あまりにも最近の日常が温かくて、警戒して気を張らなくてもいいと思える場所になっていたからだろう。 最初に気付いたのは彼だった。 一瞬の出来事だった。彼女を狙う『力』に気付いた彼は彼女を押し飛ばし、周囲の椅子や机は吹っ飛び、彼は地面に縫いつけられる形になった。 視たのは二度目になる彼の白い翼にまとわりつく黒い靄が、拘束の類の術であることが伺えた。 突然の事でおろおろする彼女は冥鎌の方を見て、はっと術が飛んできた上空へと視線を向ける。オレも同じ状況で、そこにある『敵』にオレ達は同時に敵意を向けた。 彼女には似合わないその敵意。けれど、オレも結構怒っていたのだと思う。 楽しい時間を壊した『敵』に、容赦する必要なんて、あるはずもない。 「皆…あれを捕まえなさい。手加減も必要ないわ。」 そう言って、彼女が命令を下せば、木々にとまっていた小鳥達が飛びあがり、刃の姿へと変え、『敵』へと向かって飛んでいく。オレはその捕獲の補助をする為の言葉を紡ぐ。 「センティメントビレ、インセンスィービレ。」 対象を正確に認知する言葉と、対象からこちらが視えないようにする言葉をつづる。そうすれば、刃となった小鳥達の動きが視えなくなる。 「激しく、舞い踊れラメントラクリマ!」 激しい激流がイミタンドの周囲から発生して対象へと容赦なく刃のように向かう。 言葉による彼等の敵意が、対象に向かう。止められるのは、今誰もいない。 今の二人は、普段の彼等しか知らないものから見れば、まさしく悪魔のように視えただろう。だからこそ、彼等は人からはみ出すことにもなった。 急いでも無理だとどこかで感じていた。けれど、抵抗してしまうのが己の性なのかもしれない。 「くそっ、時間が思ったよりかかった…。」 何とか黒い拘束から抜け出た冥鎌が、対象へ視線を向ける。跡形もなく、闇に喰われたのだろう、精霊のはしくれだったものが消滅した。 小さな精霊は、魔に影響されやすく、こうやって闇に喰われて暴走する事も多い。だからこそ、詩に惹かれて、助けを求めてきたのだろう。結果、『歌姫』と『奏者』の怒りを買うことになったが。 だが、最初から彼女が有翼人であるために、光を抑え込む魔術できたのは困った。生憎、冥鎌は有翼人ではないが、天使という種族だ。拘束としては面倒な魔術である。それも、元が精霊であるのなら尚の事。 だが、元とは言え、精霊が消えた事実は変わらない。面倒なことになりそうだ。そのことに、『彼等』はまだ気付いていない。いや、普通はそういうことがないから気にする必要もないということが正しいかもしれない。 だって、彼等はあくまで襲撃者を撃退して、自分達の居場所を守っただけだ。 もし、それだけだったら、『アイツ』だって出てこないだろう。『アイツ』は基本的にこちらの『生き物』には興味がない。あくまで、興味があるのは『女神』だ。 だから、決して『俺』に興味があるというのもある意味では間違いだ。 「大丈夫でしたか?」 「怪我はっ!?」 対象が消えたことで、敵意も消えた彼等が冥鎌の元に近づいてきた。普通にしていれば、本当に彼等は普通の人間と同じだ。けれど、人から離れたせいで、感情のコントロールは少々下手だ。 ほわほわしている彼女も、冷静にしているように見える彼も。 「大丈夫だ。お前達も大丈夫なのか?」 「え、あ、はい。大丈夫です。あの、ありがとうございました。」 「俺こそ、もっとちゃんと回避出来ればよかったのだが…腕が少し擦りむいたようだな。」 「あ…。」 気付いていなかったらしい彼女は其れに気付いて、イミタンドもまた慌てて屋敷から手当てする道具を取りに戻った。 以前、軽い怪我は自然に治るのが一番で、その方が身体にはいいと言ってから、彼等は言葉で治すことをやめた。言葉以外の、本来人が持つ能力を怠っては、人でなくなってしまう。二人はそれを聴いてから、なるべく何でも言葉で解決する事をやめた。 元々、彼等は言葉の力のせいで人から冷たくされてきたので、できれば使いたくないと思っていたようなので何事もなくそれはそれとして認識された。 そう言うところは本当に素直で真っ直ぐだ。 「ま、二人とも無事で何よりだ。」 「でも、どうしてこんなところに『魔』なんて…。」 普通なら近づかない存在の襲撃に疑問を持つ彼等。ここはちゃんと言っておいた方がいいのかそうでないのか。少し悩むところだ。 でも、『アイツ』がここへ来るのなら、あの元精霊も問題はないだろう。すぐに、また生まれ直し、この世界に戻ってくる。そのために『アイツ』や死神、神といった存在が世界に存在し、この世界の人間が決して消えてなくなることがないように魂の循環を行っているのだから。 「あれは、闇に喰われた力の弱い元精霊だ。ヴァーティエの詩は綺麗な音であるから、綺麗なモノを好む精霊が寄って来た。あくまで、君の詩に触れれば、浄化されて助かると思って、だろうけど。」 其れを聴いた彼女は悲しそうな顔をする。 「じゃあ…。」 「まった。勘違いしてはいけない。精霊とはいえ、魔に染まれば破壊衝動が強くなる。もし、それに従って命を奪う事をしてしまえば、もう精霊には戻れない。意味、わかるよね?」 「…でも、オレ達は…さっきの奴を…。」 「大丈夫だ。精霊を管理する管理者がいるのだから…ただ、悪いな、俺は今日はもう帰らないといけない。」 また、今度ゆっくりさせてもらうと、笑みを視た彼等がどこか不安そうにする。 「いつから、仕事熱心になったのか、教えてほしいものだ。」 そう言って、何もない背後へ声をかける冥鎌に不思議そうにする彼等は、すぐに目を見張ることになる。 現れたのは、圧倒的な力の差を思わせる、空間の裂け目から現れた人影。そう、人影だ。力の差と彼が身にまとうフードのあるコートが相手を隠して視えない。 イミタンドが心の中で何度も相手を視る為の言葉を並べても、決して視えない。 「ストレイン。」 すっと伸ばされる腕が冥鎌の腕を取る。止めようと思うのに、身体が動かない。そして、直接頭に響く声。 「精霊のまま『魂』を還してくれたことには感謝する。だが、行きすぎた行為の代償は貰う。」 そもそも、これはお前達のもではない。こちらのものだ。そう言って冥鎌を連れて行こうとする。 何とか、恐れを抱きながらも、冥鎌の言った彼に対する名前で気づいたヴァーティエは言葉を発する。 「どうして、貴方自ら…どうして、彼なの。」 必死な彼女に足を止めた人影はすっと冥鎌の頬に手を添え、眠りへと誘う。そして、意識を失くし、糸が切れたように崩れる身体を抱きとめたそれは彼女の問いに答えた。 「先程も言った。これはこちらのもの。困った事に、こやつは己の価値を低く視る。放っておくと、取り返しのつかない…奪われてしまうやもしれぬ。それが恐ろしくもある。だから、引き取りにきた。こやつの近くにいれば、お前達のような存在は魔に囚われない。そういう力もまた、持っている。だから、わかるだろう?」 こちらの精霊が巻き込んだ事に関して詫びを入れるとしても、こやつを巻き込んだことは別だとそれは言う。そして、今度こそ冥鎌を連れたまま消えた『異界の王』に、力が抜けるように二人はその場に崩れる。 「ワタクシは…謡えるだけで幸せ…でも、守られた籠の中だから…こんなにも弱い。」 「…オレも忘れていました。…どうか、気を弱く持たないで下さい。オレ達はその言葉もまた、毒になりえるんですから。」 「そう、そうだったわ。忘れる程、ワタクシは、毎日楽しかった。あの人が来るのが楽しみで、ワクワクした気持ちだった。」 あれだけ闇の中に深く堕ちて、手が汚れるぐらい赤に染まった手をとってここに引き上げてくれたのは彼だ。そんな彼を簡単に連れて行かれるなんて。それ程弱いなんて。 別に守ってほしいとも思わなかったけれど、今が幸せで守りたいという感情を持つこともないと思ったのに。 「イミタンド…ワタクシは、はじめて、はじめて思ったのです。ワタクシはわかっていなかった。だから、今のままではあの人を守ることはできません。」 彼は誰のものではないはずなのに、彼はこうなることが解っていたかのようにはじめから諦めていた。もしかしたら、反対に守られていたのかもしれない。 「ワタクシ…もっと強くなりたい。ただ、謡い毎日を過ごすのではなく…仕事は確かに辛くても、あの人と対等であり続けることができるのなら…」 嫉妬の気持ちを持っていても、今があるのは彼のおかげで、イミタンドもまた彼のことが嫌いではない。 「ワタクシと共にこれからも…一緒にいてくれますか?」 「…オレでよければ…オレは今もこれからもマスターについていきます。オレのマスターは貴女で、オレにとって貴女と同じで彼は失いたくない人ですから。」 いつものほやほやした彼女とは違う、泣きそうなけれどうれしそうな、美しい笑顔をこの先きっと忘れないだろう。 眼がさめればきっと怒るだろう。それでも、できればあまり聞かれたくなかった。 何故なら、結構彼等を大事にしているようだったから、あまり言うと泣きそうなとくにあの女を見れば、間違いなく怒ると思ったからだ。 戻った異界の王の部屋。広い、誰もいない己だけのそこは、とても冷たい。寝具の上に腰かけ、眠る彼の寝顔を眺める。 「確かに、女神のことは愛しい。けれど、女神はあくまで女神で、神と『魔王』が愛した、一緒にいた彼等そのもが愛しいのだから、君とは別ものなんだ。」 この感情は彼にとって迷惑なものであると自覚はある。それでも、何度消そうとしても消えないのだ。 女神の子であることもきっと関係ない。彼だから、なのだと思う。 周囲は女神の力を受け継いだからこそ好かれるのだと言うが、少し違うと思う。何故なら、女神へ抱く好意と彼への好意は別物だ。きっと、他の連中もそうだろう。 それを理解できないのは、あくまでも彼を家族として、仲間として愛する連中だけだ。 「この俺が本気になるなんて…困った話だよ。本当にね…失いたくないんだ。」 女神を失った日、今でも覚えている。あれほど神を含め、おかしくなったのはない。きっと、今の自分にはあの時以上の衝撃が襲うのだろう。 「どうしたら、君は俺の気持ちを理解してくれるんだろうね…シャルマルタ。」 かつての彼の名前を呼ぶ。眠る彼からの返事はないけれど。 「時々、自分がわからなくなりそうになる…だから、呼んでくれ。俺の名前。ねぇ、シャルマルタ。」 ストレインもゆえるも正確には自身の名前でありながらも違う名前だ。 「…レイストール。」 はっと彼の方へ顔を向ける。 「いきなりとは…一発殴ってやろうかと思ったが…。」 目を覚ました彼は渋い顔をしながら、手を伸ばして顔に触れた。 「ストレインの顔じゃなくなっているな。」 そう言って笑う彼を抱きしめる。嬉しかった。ただの名前であっても、誰も呼ばないその名前を呼んでくれることが。簡単にこの名前は呼ばせるわけにはいかないが、誰にも呼ばれないのは寂しいのだ。 それも、ずっとただここにいるだけでは。 本当に彼は、俺の望みを叶えることは昔から上手い。だからこそ、彼の事が愛しいのかもしれない。 「すぐ、帰す。けど、しばらくこうさせて。」 殴りたいなら後で一回ぐらいならやられてもいいから。そう言えば、苦笑した彼が軽く頭を叩き、背中に腕をまわし、抱きしめられる。 その温かさが今は嬉しくて悲しい。 昔は滅多に抱きつくことすら許してくれなかったのに。そう思ったが口にはしなかった。 その時ふと聞こえた詩に顔を上げる。 謡う彼の姿は綺麗だった。綺麗で、触れることが恐ろしいぐらいだ。 ふと、止まった詩。 「今日だけだ。次は近づいたら容赦しない。」 頷くと、そっぽ向いた彼が再び詩を紡ぐ。美しい調べは考えていた負の思いを消していく。 様子がおかしい俺の為に気遣ってくれたのだろう。いつもなら離せと言って意地でも離れ、あの家へと帰るのに。 滅多に謡うことがない彼の詩は心に響く。あの歌姫にもまだまだ敵わない、天上の歌声。 本当は、彼のことが愛おしいからこそ、堕天した女の気持ちもわかるし、彼の大事な彼女のことを憎く思うこともなかったわけではない。けれど、彼が哀しむからこそ、ただの傍観者でいた。 その事を知ったら、彼は軽蔑するだろうか。神なんかより彼の方が大事だと言ったら、怒るかもしれない。 だって、本当に俺にとってこの世界はどうでもいい。守る意味があるのか怪しい世界だ。確かに己が生み出した精霊達は可愛いし大事にしている。けれど、それだけ、なのだ。 彼がいたから、今もこちら側で世界を維持することに賛成しているだけだ。そうでなければ…それ以上は考えれば魔に落ちかねないから言わないけれど。 空っぽだった俺にとって、光をくれた君の事が愛しいのは本当で、手に入れたい程の歪んだ思いもまた、事実としてある。 だから、これからも決して隙を見せないで。じゃないと…手折りたくなる。 君は何よりも自由であることが望みであったとしても、閉じ込めておきたくなる。 そうしたら安心できる。失わなくていい。 君はまだ気付いていないのだろう。 女神の失われた後、残った最初の『命』はずっと探している。女神の魂の欠片を。 けれど、間に合わないかもしれない。そうなったら、君は消えることになるんだよ? それは、俺にとって耐えがたい苦痛だ。君のブラコンの姉もまた、暴走するかもしれないね。神と魔王も、今度こそ壊れてしまうかもしれない。 そうしたら、魔神の囁きに惑わされ、世界は終わるだろう。 ねぇ、君は何を望むんだ。俺の望みは君。君の望みは叶えたいけど、君の望みがわからない。 君はどうしても、君以外の誰かを守る事しか考えていないから、己の命を軽く視てしまっているから怖い。 お願いだから、これ以上俺に隙を見せないで。 もっと欲深く、君を縛りつけてしまいかねないから。 今は君の詩だけで我慢するから、お願いだから、少しだけこの時間を満喫したら帰すから…勝手な言い分だとわかるけれど、どうか逃げて。 出逢った時に君が俺にかけてくれた言葉から、ずっとずっと、君が愛しくて欲しくて仕方ないから。 |