◆はじまりの物語sid田所





そこにあるのはただ広がる闇だけだった。何もなく漂っていた僕は、このまま闇に溶けてしまうのだろうかと思っていた。

けれど、突如視界が真っ白になった。

「ようこそ、死者の眠りの地へ。」

目の前にいる存在が、そう話しかけた。僕はそこがどこなのかわからなかった。ただ、先程までいた暗闇ではないことだけはわかった。

「まずは名前を与えよう。今日から、『ハゼ』だ。」

それは僕をそう名付け、それが僕の名前ということになったらしい。

その日から僕は死者のリストを見ながら、死の直前の対象の側にいき、時刻が来た際に肉体が死んだ対象から魂を回収する仕事を続けた。

毎日、死にゆく人から魂を回収する行為を続け、それに慣れた頃、リストの中から見覚えのある名前を見つけた。

手が震える。言葉も出てこない。

知らないはずなのに、僕は確かに知っていた。

「誰…誰なんだ?僕は、知ってる…?」

気になった。何もない僕を『僕』に戻してくれる存在だと思った。だから僕は彼女の居る場所へと飛んだ。

まだ、彼女は死ぬには数日あるが、じっとしていられなかった。そして、僕は彼女を遠くから見た。もちろん、彼女も遠いといっても僕に気付いて驚いた顔をして、泣きだした。

僕の元へ走ってきて、飛びついた。どうしてなのと彼女は言った。続けて、何故歳をとっていないの、と。

僕は愕然とした。全てを思い出したからだ。
全てを思い出した僕はもう『俺』になっていた。同時に、長い年月があの日から経っていたことを知った。

思い出した今なら、あの日の事は鮮明に思い出せる。あの日からこんなにも年月が経っていたことと、死神という存在になった自分と、数日後には彼女の魂を回収しなくてはいけ ない自分に愕然とした。

そもそも、はじまりはあの日、彼女との婚儀の日だった。いや、もしかしたらもっと前からかもしれない。

僕が知人から過剰な好意を無理やり押し付けてくる女がいるという相談を受けたことからかもしれない。

彼はストーカーのように執着に付きまとう彼女に、いい加減精神的に追い詰められてノイローゼになりかけていた。

その女はとても有名で、一目ぼれしたと相手を執着に追いかけ て断ってもしつこい、性質の悪い女として有名だったからだ。少し前まで別の相手をターゲットにしていたようだが、今はこの知人がターゲットになっているようだった。

彼は本当に困っているようだった。何故なら、彼は困ったことに男しか愛せない男だったからだ。

だからといって、僕は男が好きなわけでもないが、別に偏見を持って彼を嫌う理 由にはならず、人としては真っ直ぐな彼とは知人として付き合うにはいい奴だったから結局長い付き合いになっていた。

そもそも、何故か男に好かれる自分なので、偏見を持っていた男と関わるのは最初から避けたいところだ。

彼が言うには、そろそろ何か企んで強行手段をとりそうで怖いのだと言う。それが殺人に発展する可能性もあったので、僕は彼をしばらく家に泊めることにした。

男同士であるし 、彼女にも理由を言って危険だから式の当日まで家に近づかないように連絡を入れておいた。
あれから女が姿見せないとほっとする知人に、僕も良かったと安堵した。もしかしたら次のターゲットを見つけて移動したのかもしれないと甘い考えをその時は持っていた。
婚儀の当日、僕は知人に行ってくると告げ、家を出た。

その時の知人はどこか様子が変だったが、気付かないふりをした。決して僕がどうにかできる問題ではないと気付いていた からだ。

彼もまた、僕に気付かれているわかっていて、それでいて僕にその気がないということをわかった上で僕の知人であり続け、彼女との婚儀を祝福してくれたのだから。

きっと、お互いが近づくことはできなくても、これからも変わりなく知人であり続けることはできる。そう思っていた。

けれど、家を出て向かう道の曲がり角でいきなり背後から頭を殴られ、意識をもっていかれた。

次に目が覚めた時には右手首を柱に繋がれ、その場所から逃げられない状態になっていた。 ここはどこだと身体を起こした時、己の身に降りかかった異変に気付いた。

体中が熱く、そして引き裂かれるような痛みが走った。

苦しい。息がしにくい。これはさすがにまずいと僕は思った。同時にこれが最近世間で騒がれている突然死の症状に似ていることに思い至った。

これは、解毒が今現在不可な、毒の一種だ。それも、死ぬまでに時間がかかる性質の悪いタイプのものだ。

「苦しい?苦しいでしょう?私もそれぐらい苦しいの。わかる?」

カツンと足音と共に入ってきた女が僕の前に立った。その女には嫌というほど見覚えがあった。

「…お前が、今までも…犯人だったのか。」

「そうよ。だってね、私から奪おうとする人たちだもの。私は嫌い。だから、いなくなってもらったの。」

あなたもそう。あの人が振り向いてくれないのはあなたのせいだ。そう、彼女は笑いながら言った。

もう、この女は狂っている。駄目だ。危険だ。このままではあいつも危ないかもしれない。もっとはやく気付くべきだった。何故、気付かなかった。

この女が今まで追いかけていた男達は、いったいどこへ消えたというのだ。誰一人、噂になった相手は今生きていないではないか。

最悪の想像をしたら、理解できてしまった。殺して自分のものに無理やりしているのだ。そして、男との関係を邪魔する存在を全て殺してきたのだ。

そう、今まで騒がれてきた全ての事件を引き起こしたのは、この女一人の犯行だったのだ。

「そこで、寝ててね。私はあの人のところへ行かなくちゃいけないから。貴方がいないからすぐに会いにいけるわ。」

そう言って、女はそこから去って行った。

「あ、そうだ。」

けれど、途中で足を止めて女は引き返し、適当にあった長い刃を持ち、振り上げた。

「もしもっていうことがあるから。…有名なんだよ。なんでもできちゃうんでしょ?この状態で無理だと思うけど、追いかけてこられたら面倒だからね。」

そう言って、女は容赦なくその刃を僕の右足に振り下ろした。

裂ける強い感覚と痛み。悲鳴は音にならなかった。もう、起き上がる力はわかない。

「とりあえず、これでいいか。」

女は刃を適当に放り捨て、今度こそ鼻歌を歌いながら出て行った。

脈を打つのがわかる。外に流れ出る感覚も感じられる。そして、自分はもう死ぬのだという実感も強くなる。

女の力だったので、切断されることはなかったが、結構深く入った。これではもう、毒で死ぬか出血で死ぬかわからない。

最後の力を振り絞って、死ぬ前に…簡易手紙を取り出して字を書く。簡易手紙とはこの国だけで使われている、伝達手段の一つで、これに書いて息を吹きかければ宛名の相手の元 へ飛んでいくというものだ。

一つしかないそれに、本当ならば彼女に最後の言葉を伝えるべきなのだろうが、知ってしまえば放っておくわけにはいかない。何より、彼には彼の気持ちに応えることができない償いの気持ちと知人として最後に礼もしておきたかった。

あの女が今殺す為に家に向かっていること。簡単に書いて、最後に知人として過ごせて良かったと書いて飛ばした。

これで、無事に逃げてくれればいい。

「悪い、な。…一緒にこの先、生きることできそうにない…クイナ、サレイ。」

二人の顔を思い出す。むせかえるように咳が出て、口から血を吐きだす。そろそろ限界のようだ。

「どうか、幸せに…。」

僕のせいで、彼等が不幸にならないように。そのことだけを祈る。

そして僕が次に目を覚ました時、何も覚えていなかった。そして、ハゼという名を与えられ、死神として生きるようになった。

あの後、どうなったのか僕は知らない。死んだことはきっと彼女も彼も知っただろう。なのに、死神としてでも戻ることが出来るのなら、もっとはやく、会いに来るべきだった。

何故、僕は全部忘れてしまっていたのだろう。

「…ごめん、ごめんね…あの日、行けなくて。会いに行くのがこんなに遅くなって、本当にごめん。」

「いい、もう、いいの。」

泣き崩れる彼女を抱きしめる。

「あの日、待っても来ない貴方のことが心配で不安で、貴方が殺されたと知らせが来た時は驚きと悲しさと悔しさで…恨んだこともあったわ。」

それでも、今もまだ僕の事を覚えていてくれた彼女の気持ちがうれしかった。ずっと、忘れずにいてくれたのだ。

「…愛していたわ、ハゼス。昔も今もこれからも愛するわ。」

彼女のその言葉がとてもうれしかった。

そして、数日彼女と一緒に何気ない会話をしながら過ごし、静かに眠る彼女の魂を回収した。

「…絶対、あの女も…。」

行方不明のあの女。放っておけばさらに問題になるに決まっている。だから、必ず魂を回収する。

いつか、彼女の魂がこの世に戻った時、今度こそ平和な人生を歩めるように。そして、唯一人の『親友』の安息の為に。