バイトを終えて帰宅した奏は、自身の部屋に行く前に家族がいるであろうリビングへ足を運んだ。案の定、そこには妹二人が一緒にテレビを見ていた。

「おかえりなさい。」

「お土産ないの?」

「お前は兄を迎える気はなく、要求だけをするのか。」

「だってー。」

むぅっと頬を膨らませて剥れながら、後でとってつけたかのように小さくおかえりと言った。

そんなやり取りが聞こえたからか、キッチンから梨恵が顔を出した。

「あら、お帰りなさい。今日は早いのね。」

 こうやって、彼女は帰れば迎えてくれる。それが純粋に奏はうれしかった。

 別に、マザコンだというわけではない。奏が勝手に彼女に感謝しているだけなのだ。何せ、彼女は奏の産みの親ではない。それでも、本当の子のように接してくれる彼女、山宮梨恵に感謝の気持ちでいっぱいなのだ。それ以上は言葉では言い表せず、今のところは感謝という言葉が合うのではないかと思っているだけだが。

彼女とは、まったくの赤の他人であるが、今は家族である。同じように、この家の大黒柱である山宮賢治と、奏の本当の妹である詩亜と一緒に会話をしているもう一人の妹玲理との血の繋がりはない。それでも今は家族なのだ。

 本気で心配してくれるし、悪いことなら本気で怒る。遠慮なんて言葉はない。そんな彼女はかつての母と被る。決して容姿や性格似ているわけではないが、母親なんだと思わせる。

真っ直ぐ向かってきてくれる彼女に、奏はうれしいと思っているのでできる限り心配させないように気をつけている。それでも、彼女はかなり心配性で、時折困ることもあるのだが、今は大分慣れた方だ。

 そもそも、このように複雑な家族になってしまったのは、三年前の事故が原因だ。

あの時は突然の事ですぐに理解できず、泣くことさえできなかった。けれど、両親が奏と詩亜の元へ帰ってくることはなく、現実なんだと思い知らされた。それでも、今は泣いている場合ではないと奏はわかっていた。

親戚一同、誰が奏とまだ小学生の妹を引き取るかと揉めたのだ。

それを聞いてしまえば、両親の死が悲しいというよりも、身内にとって自分達の存在がどう思われているのかわかってしまい、虚しかった。

少しだけ俺達二人に遠慮して、あまり大きな声で誰も言わなかったが、あからさまだったので気付いていたし、彼等にそこまで求めていなかった。どこも急に子ども二人を引き取るなんて、したくはなかったのだろう。

それでも、日頃の付き合いでそれなりに優しげな笑顔を向けてきたおばさんの嫌そうな顔を見た時、両親が生きていた頃とは違い、現実を思い知らされた気がした。

常日頃から、両親は奏や詩亜が笑顔で過ごせることが一番の幸せだと言った。今、自分達から笑顔を奪っているのは紛れもなくその両親であるし、この余所余所しい親戚の集まりだ。

すぐには無理だとしても、俺達を引き取るであろう親戚の誰かの家から、自立しておさらばしよう。

すでにこの時、奏は決意を固めていた。

けれど、親戚全員を黙らせる一言が奏の耳にも届いた。それは奏自身も、予想外のものだった。その男こそ、彼女の夫でありこの家の主である賢治であった。

 彼は、生前両親と仲がよく、奏と詩亜とも顔見知りだった。顔見知りというよりも、もう一人のお父さんという感じで、親戚の伯父や叔母よりも親密な関係だった。

幼い頃の奏にとって、賢治は小柄で大柄な父と並ぶと、より一層小さく見えたが、存在感はとても大きかった。

はっきり言い切り、全員を黙らせた彼の背中は頼りになる父の背中と似て、とても大きなものだった。

賢治は父と同じで、曲がったことが嫌いな真っ直ぐな男である。だからなのかもしれない。両親の死という大きな不安で戸惑っている奏と詩亜に気付き、葬式で誰が引き取るかと揉める彼等を、黙って見ていられなかったのだろう。

あまりにも両親の死についてもだが、引き取られる経緯も全てが急すぎて、頭の整理がつかない。けれど、大丈夫だという、彼の言葉に自然と彼なら一緒にいても大丈夫という安心感がその時の自分の中に芽生えた。

けれど、おいでと誘うその手を俺達は少しだけ取ってもいいのかと戸惑った。本当に、この手をとってもいいのかと迷った。自分達の存在が、彼の家族に影響を与えてしまわないかと。

それでも、両親がまだ健在だった頃、最後に会ったあの日と同じ笑顔で差し出された手を今この場で唯一二人に不安を消し去り、味方である手を取った。

その時の驚きと安堵、そして喜びは今でもはっきりと覚えている。

詩亜も、もめたとしても、本来引き取られる予定だった伯父夫婦の事を、両親が健在だった時からあまり好いてはいなかった。だから、行かなくてもいいということで素直に喜んだ。

この時、やっと詩亜に笑顔が少しだけ戻り、奏はほっとしたのだ。両親の死から、笑顔が曇っていて、奏にはどうすることもできなかったからだ。

葬儀が一段落着いた後、二人は荷物を片付け、迎えに来た彼と共に必要な物だけを持って新しい家へと向かった。

ここで、俺と詩亜は彼の家族のことを思い出した。彼とは面識はあるが、彼の妻や娘とは顔を合わせたことがなかったのだ。

彼が会いに来る時に、何度か妻や娘の話題はあったが、お互い顔を合わせるのははじめてになる。もしかしたらここでも長く住めないかもしれない。そんな不安が急に込み上げてきた。

けれど、それはいらぬ心配だった。まず、妻の梨恵が出迎えてくれて、娘の玲理も気安く迎え入れてくれたのだ。

彼等もまた、賢治から二人のことを聞き、いつか会いたいと思っていてくれたそうだ。何より、両親とはすでに会ったことがあるらしく、父と賢治が仲良いように、母と梨恵もまた仲が良かったらしい。

つまり、両親と賢治と梨恵は学生時代からの親友同士だったのだ。

だからこそ、まるで本当の家族と錯覚するかのように、あっさりと打ち解けてしまった。とても居心地のよい場所に、ついここが自分の居場所のように思い込んでしまいそうだった。

詩亜は打ち解け、すっかり姉ができたことで喜び、明るさを取り戻していった。奏にとっても、妹が二人いるようで反抗的な態度をとられたりすることもあるが、二人とも自分にとっては妹になっていた。

確かに家族を失ったが、家族が迎えてくれた。好意はありがたかったけれど、このまま甘えているわけにはいかないということは奏にもわかっていた。

あくまで、この場所は彼等の居場所であって、奏の居場所ではない。

賢治と梨恵は自分の家と思ってくれたらいいと言ってくれるし、それではいけないと奏はわかっていた。

気付かない程、奏は愚かではなかったし、まだ幼い詩亜も薄々わかっていたと思う。

 小学生と高校生が突然家族として増えることによる負担。妹に関しては国が定めた法により、中学卒業までは学校へ通うことが義務付けられている。奏にしても、私立である為に年間に必要な学費が高い。

 いくらそのまま通ってもいいと言われても、二人一緒に引き取ってくれた事だけで十分だった。それ以上、望んだら罰があたりそうだ。何より死んだ両親が『働かざる者喰うべからず』と文句を言ってそうで、二人の生前を思い出しながら苦笑してしまう。

 そして、奏は高校を中退する結論を出した。

 もちろん、賢治と梨恵は不服そうであったが、本当に学びたいことがあれば、いつでも学校は行けるだろうし、独学でどうにかなるものだって世の中にはたくさんある。

 しかし、今の時代では、高校卒業していない者の就職先はほとんどない。いくつかバイトを掛け持ちし、収入の半分を賢治に渡していた。

 最初は受け取れないと言っていたが、今はいつか奏の為にという名目で使わず溜めているのを知っている。

 それでもいい。誰の為とか関係なく、必要だと判断した時に仕える貯えがあってもいいのだから。

 両親のように、いつ何処で誰がどのような事態に陥るかは、誰にもわからないのだから、貯えがあって損なことはない。考えてはいけないことであっても、両親と同じような事態が起こらないという保障は一つもないのだから。

 それが、両親の死から学んだことの一つだ。

 今の毎日が続くことを願いながら、バイトで忙しく働く日常が当たり前になっていた頃、奏は一人の男と出会った。

 この男こそ、アニメ空夢の制作責任者であり、奏をカナリヤの歌担当にスカウトしたのだ。

 こうして、奏はカナリヤとして歌を謡いはじめた。

 どうして、世間からカナリヤの正体が謎とされたかは、奏が表に出ないという約束の上でなら、引き受けると言ったからだ。

 玲理と詩亜が空夢の本をシリーズ一作目から好きで、読んでいるのを知っていた。カナリヤが女役であるのを奏も妹から話に付き合わされて知っていた為、何となく恥ずかしさがあって顔と名前は出さないで欲しいと思っただけだった。理由を詳しく聞かず、彼等は迎え入れ、今も黙っている。

 こんな大きな事件へと発展し、家族を心配させるということもあるが、同時に同じ仕事仲間にも迷惑をかけていることはわかりきっている。

 それでも、両親が死んだあの日以上に、どうしたらいいのかわからず、奏は悩んでいた。

 何より、奏自身も、自身が演じるカナリヤを利用されて怒りを持っている。

カナリヤは、家族がいた頃の思い出の一部で、今を生きる上での自分の一部だ。思ったよりなくせない存在だったそれを、悪用される。

「どうしたものか・・・。」

 犯人の手がかりは一切不明のまま、唯一の手がかりが奏だと警察は探っている。そんな中で、奏ができることなど、無しに等しい。

 適当に会話を切り、今は部屋にいる。疲れた体を横にし、一息つく。

 その時だった。奏の携帯の着信音が鳴った。

「はい、奏です。何かあったんですか、黒澤さん。」

黒澤永智。この男が制作責任者にして、奏をスカウトし、今も一切KANADEの正体を隠し続けている男だ。

「悪いが、今暇かい?」

「はい。今日はもうバイト終わりましたし、明日は休みですから問題ありません。」

「なら、今から来てくれないか?遅いから、無理ならそれでもいいのだけど。」

「わかりました。すぐに向かいます。」

 携帯の通信を切り、ポケットに突っ込む。すぐに財布が鞄の中に入っているかを確認し、そのまま部屋を出る。

「あら、またお出かけ?」

「すみません。店長から呼び出しがあって・・・はやめに帰ってくる。」

「いいのよ。ちょっとぐらい夜遊びぐらいしてもね。賢治さんなんて、昔は毎日こそこそ出て行くんですもの。それに比べたら可愛いものだわ。」

夜遊びではないが、それを許す梨恵はある意味変わってるかもしれない。けれど、そんな彼女だからこそ、自由にできるのでそれに感謝しながら、いってきますと言う。

「いってらっしゃい。気をつけてね。」

 両親が死に、二度とできないと思われていたやり取り。これが続くのはいつまでか。

 家を出た奏はそんなことをふと脳裏に浮かべながら、すぐに考えをどこかへやった。