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「ディー。本当にひどい人ですね。」 「馬鹿にだけは言われたくないな。」 いつもと違うアルシファをただ自分は睨みつけることしかできなかった。 悪魔に好かれた神父5 その日、場内の様子がおかしかった。 「今日は元気がないですね。どうかい、しましたか?」 グレンディスに与えられている部屋。ベッドに腰掛けて本を読んでいたところへ訪れたフェン。しかし、いつもの明るい笑顔すら消えて、どこか無理をしているように見えた。 しかも、ふらふらしていて見ていて危なっかしい。これはさすがにおかしいと思い、フェンを自分のベッドに寝かせる。 「ディー様・・・。」 行かないでと不安気にうるんだ瞳を向けられ、少々困り気味だが、触れた腕がいつもより異常に熱かった。 「まさか・・・熱ですか?」 「わかんない。」 弱弱しい返答のフェンに、どうにかしないといけないと、グレンディスはすぐに戻りますからと言って、大人しくなったフェンを置いて部屋を出る。向かう先は隣の部屋。両サイドにアルシファとエルディーの部屋がある。隣の部屋というのはグレンディスにとっては不本意であったが、二人が譲らないし、自分に拒否権がないことはわかっていたので妥協したのだ。 ノックもせずにこの城の主であるアルシファの部屋に乱暴にドアを開けて入る。そして、部屋の中の静けさに驚く。いないのだろうかと思ったが、気配がある。しかも、カサッと布が動いた音がした。 「寝てるのか?」 珍しいなと思いながら、ベッドに近づき、覗き込む。そこには、辛そうに眠っているアルシファの姿があった。まさかと思い、身体に触れてみれば、フェン同様に体温が高い。 アルシファまでが高熱だとすればと、グレンディスはすぐに部屋を出て反対隣のエルディーの部屋も乱暴にドアを開けて入った。 そこには、やはりといっていいのか、ぐったりとしているエルディーの姿があった。 いったい何が起こっているんだと考えているグレンディスの腕に何かがつかむ力が加わった。 ふと見ると、その力の原因はエルディーの腕だった。 「・・・元気、なのか?」 「そんなわけ、ない・・・で・・しょ。悪いけど、イドゥのとこ・・・連れてってくれ。」 「イドゥ?誰だよそれ。」 おいっと呼びかけるがそれ以上の反応はなかった。そして、少しずつ人の形がゆがみ始め、エルディーだったものは黒いボサボサと毛を生やした生物と化した。 「・・・ネコ・・・?いや、違う。何だよこれは。」 猫に見えなくはないが、猫ではなさそうな変な生き物だった。とりあえず、サイズ的にもそんなに大きくないため、その『イドゥ』という人物のところまで連れて行くには人型よりいいと判断するグレンディス。 「あ、そうだ。あとの二人!」 エルディーを抱き上げて急いで『イドゥ』が誰なのかを聞こうとアルシファの部屋に戻るグレンディス。だが、一足遅かったようだ。 ベッドの上にはアルシファの姿はなく、黒い鳥がぐったりとそこにいただけだった。 「今度は烏・・・?もう、お前等はいったい何なんだよ。」 とりあえず、エルディーとアルシファらしき鳥を抱き上げて自分の部屋に戻る。 そこには、まだ人型であるフェンがいた。 「フェン。聞こえる?」 肩を揺らして意識があるかを確認する。すると、うっすらと目を開けたフェンがグレンディスを見上げる。 「イドゥって、誰のことかわかるか?」 「イドゥ・・・兄様・・・。」 「お前等の兄弟ってわけか。」 「そう。・・・城を出た森の中にいるわ。小屋・・・ディ・・・さ・・・ま。」 意識を保てなくなったのか、それ以上話さず、フェンの姿も黒い蝶へと変わってしまった。 「いったい、何がどうなってるんだよ。」 わけがわからないまま、その『イドゥ』と呼ばれる彼等の兄に会いにいかないといけないと、三人を抱き上げたまま、詳しい方角を聞こうと使用人を探す。 しかし、返事をしてくれる者は誰一人としていなかった。おかしなことに、使用人が誰もいなかったのだ。 しょうがないと、グレンディスは見つけたバスケットに三人を詰め込み、城を出たのだった。 とりあえず、方角がわからないので、この三人と同じ血の気配を持つ方角を探すことにしたグレンディス。 一度会った相手なら探し出せる魔術が存在し、会った事がなくても、同じ気配ならある程度この魔術で絞り込めるだろうと思った。 「二箇所か・・・。どちらも弱い気だな。」 どちらが本当か本人かわからないし、どちらも違うかもしれない。だが、行ってみないよりはましだと考え、まず近い方へと向かって歩き出した。 しばらく歩き、目的の場所についたグレンディス。しかし、周囲は森が広がるだけで小屋は見当たらない。 「間違ったか・・・。」 もう一度、何の仕掛けもないか確認し、もう一つの方へ行こうとした。その時だった。 ボトッ――― ガサガサと葉がこすれる音がしたと思えば、何かが目の前に落ちてきた。 ぐったりと動かない、細く長い生き物が渦を巻くように丸くなっている。どこからどうみても、それは蛇だった。 「っ、ヘビッ?!」 歩こうとした進行方向に落ちてきて、危うく踏みそうになったそれを慌ててよけ、蛇と確認してさすがに驚きに声をあげるグレンディス。しかも、黒い蛇だ。黒と考えると、どうしても嫌な方向に考えてしまうが仕方ない。 しかし、何故こんなところに蛇が落ちてくるのかがわからない。ただ、嫌なことにこれが気配の原因だとわかっただけ。 自分にとってよい方向になりそうにないが、このままこの蛇を放置しておくわけにもいかない。 「今日はどいつもぐったりする日なのか・・・?」 少しだけ考え、ぐいっと蛇の胴体をつかんで、適当にバスケットの中へと押し込んだ。どうせ、同じ気配なのなら、本物の蛇ではないだろうし問題ないと思ったからだ。 バスケットの中身も変なのに分類していいものだし。どうせ、似たような知り合いだろうと当たりをつける。 あ、フェンは別かと考え、再び歩きだした。 お使い気分でのんびりと森を進むグレンディスだった。現在、この森で元気なのは彼だけかもしれない。 昔話で、寄り道したりおかしなものは拾ってはいけません。そう言われるのだが、グレンディスの頭にはまったくなかった。 はじめから持っているモノがおかしなものだから今更だからだ。 さて、向かう二つ目の目的地。そこには煙突から煙を出している小屋があった。小屋と言われるわりにはグレンディスが想像していたよりも大きかったのだが。 とにかく、あそこだろうと急ぎ、扉の側に備え付けてあるベルを鳴らした。 「イドゥさんって方、こちらにいますか?」 とりあえず、声をかけてみる。しかし、シーンと静まり返った小屋の中からは何の反応もなかった。 もう一度、声をかけようとした時、中から声が聞こえてきた。 「・・・誰、だ?」 誰という言葉を強調して区切られた言葉。もしかして自分は警戒されているのだろうかと思いながら、グレンディスは返事を返す。 「えっと、フェンとその他三匹のただの知り合いです。何かぐったりしてて、ここへ連れて行ってと頼まれたのですが・・・。」 名前を呼ぶのはフェンだけで、あとは匹扱い。それでも気にせず、とにかく引き取ってもらおうと見てもらえないか頼んでみた。 すると、ゆっきり扉が開き、フードを深く被った人物がそこに立っていた。何か変な奴だなと思いながら、グレンディスは持っていたバスケットを手渡した。 相手はそれを開け、少し驚いたようだった。 「フェンレス・・・エルディーにアルシファまでいるのか?ん?珍しいな。シーラスカも一緒なのか。」 最後の名前に、グレンディスは眉間に皺をよせる。ただの知り合いかと思ったが、拾ってくるんじゃなかったと思ったことは言葉には出さないが。 「この、蛇のことか?」 「なに?知らないで連れてきたのか?」 面白い人間もいたものだなと、少し笑う相手。しかも、変な奴に変な奴呼ばわりされて少々機嫌も降下する。 「とりあえず、中に入れ。」 相手はグレンディスを小屋の中へ入るように進めた。個人的には置いて帰りたかったが、仕方ない。 「まったく、あれほど発熱の実は食すなと言っておいたというのに・・・。何をやっているのやら。」 困ったふうに言いながら、深く被っていたフードを脱ぐ。くすんだ灰色の髪。細められた目の色は綺麗な紅い色。何に似ているんだろう。そんなことを考えながら、相手の行動を目で追う。 ぶつぶつ文句を言いながら、料理を作るように何かを作っている姿は、文句を言う割りには少し楽しそうに見えた気がした。 しかも、何気に無駄がなく手際がいい。そのことにすごいと感心している自分も、馬鹿が移ったかなと最近思う。 それにしても、今やっと彼等がここへ連れてきて欲しいという理由がわかった。この男は、ただ彼等の兄弟なわけじゃない。薬師なのだろう。 もう出来上がった薬らしきモノを順番に飲ませ、4匹を奥の部屋に適当に片付ける。なんだか、慣れてるような気がして仕方ないのはきっと気のせいではないのだろう。 一段落着いたところで、グレンディスは名前の確認をしてみた。 「あなたは、魔王後継のイルドゥカ・ゲスタ・ベルディック、ですよね?」 その問いかけに、ビクッと肩が震えるのを見た。そして、振り返るイルドゥカの目は相手を見定めるような鋭い目だった。そして、何故知っているのだと目が語っていた。 「それ、後継者の名が刻んであるのだろう?」 と、指差すのは左耳の飾り。そして、口調を改めることをもうやめたグレンディス。 「・・・成る程。お前はこれが読めるのか。」 その呟きにグレンディスは頷いた。 「あいつらの兄だと言われていた時点で身内だろうとは思ったけど、後継の一人だとはそれを見るまではわからなかったけどな。」 「お前、いったい何者だ?」 ただの人間が、たとえ彼らと一緒にいても自分の事は語られていないはずなのに何故だという疑問。 「こいつらを何故連れていたのかは知らんが、魔族ではないだろう?」 聞かなくても、イドゥルカならすでにグレンディスが人間であることぐらい気付いているだろう。 「理由は簡単だ。あっちでぶっ倒れている馬鹿その1とその2に誘拐されただけだ。」 「何?人間を誘拐したのか?」 さすがに少し驚いたようだ。 「バカその3は今日たまたま拾っただけだ。放っておいても良かったんだが、バカ共と似たようなもんだろうと思った一緒に拾っただけだ。そもそも、二度と会いたくはなかったんだがな。」 蛇が誰なのかを知らなかった。知っていたら本当に拾う気などなかったのだから。 「フェンはバカ共と会う前から、『向こう』での知り合いだ。」 その話を聞き、少し考えるイドゥルカ。 「なぁ、礼は何がよい?」 考えの途中に割り込む声。 「何がだ?」 「そのバカ共は殺しても死なないだろうがな。突然来て迷惑をかけた礼だ。薬代と思ってもいい。大事な友人のフェンを助けてくれた礼だ。」 「別に何もいらん。こちらとて、こやつらは我の身内だ。」 気にするなと背を向けるが、何も返さないのは気に入らないと譲らないグレンディス。 「ならば、勝手にやらせてもらう。どうせ、目が覚めたらあいつらだってお腹減ってるだろうしな。」 キッチンを借りるぞと言って、ベッドの上の4匹の側にいたイルドゥカが背を目で追う。何か言おうとして、黒い腕輪に気付いた。 だが、気付いたからこそ納得したのかもしれない。誰かに執着することが少ない兄弟達が見つけた誰かが彼で、だからこそ頼んだのだと。きっと、信用しているのだろう。 ふっと意識が浮上する。見上げれば、そこは見慣れない天井だった。 「どこ・・・。」 どこだろうと少し考え、体を起こす。すると他のベッドに深く眠りについたままの兄達の姿を見て、自分の姿も見る。 「そっか・・・。」 あの熱くだるい症状は消えていた。そして、この場所がどこかわかれば、状況は見えてくる。すっと、人の姿へと戻り、ベッドから降りる。 そして、話し声のする隣の部屋への扉に手をかける。 「あ、目が覚めた?」 扉を開ければ、そこにはグレンディスとイルドゥカの姿があった。しかも、向かい合って椅子に座り、テーブルの上にはお茶といちごのタルトがお皿に乗っていた。きっと、自分達が目を覚ますまでお茶していたのだろう。 「何、してるの?」 わかっていても、聞いてしまう。グレンディスの側によって、聞けば、頭を撫でてくれる手があった。 「こいつ、薬草に詳しいだろ?だから、いろいろ聞いてたんだ。」 「確かにイドゥはそういうこと詳しいけど・・・。」 あまりにも楽しそうにしているから、兄にとられてしまった気分になる。 「それはそうと、もう大丈夫なのか?」 「え?あ、うん。大丈夫。」 にっこり笑顔を向ければ、彼も笑顔を返してくれる。 「イドゥのおかげでもう大丈夫。ディー様もここまで連れてきてくれてありがとう。」 「じゃあ、フェンの分も用意しないといけないね。」 そう言って、頭を撫でていた手が離れていく。そして、しっかりとグレンディスの隣の椅子に座るフェンは、ぶすっとしながらイドゥルカに問いかける。 「ディー様に何もしてないよね?」 「ああ。お前達のように無闇に手は出さん。我とて、話が面白いから聞いていただけだ。」 「ふーん・・・。」 それでも、楽しそうにしていたのだから、面白くないと思いながらグレンディスが戻るのを待つ。 何より、すっかり忘れていたが、自分達のことばかりで彼の話はあまり聞いたことがないことを思い出したのだ。しかし、すでに今更な気がして、どうやって聞けばいいのかわからない。 そんなフェンの目の前にカップが出された。 えっと、出してくれた相手を見れば、そこにはグレンディスがいた。 「ディー様?」 「熱が出た後はタルトよりプリンの方が食べやすいかなと思ったんだけど、嫌いだった?」 そんなグレンディスの不安そうな顔を見て、首を横に振る。そして、今は出されたプリンを一口食べる。 甘くて冷たいそれが口の中で溶ける。 「おいしい・・・。」 「それは良かった。」 フェンは暖かい気持ちになりながら、プリンを食べるのだった。そんな喜ぶフェンの顔を見て、自然と笑顔がこぼれるグレンディス。 そこへ、ガタリという音が耳に届く。 音の方を見れば、頭の上に何かがのり、足元に何かがまとわりついてきた。 「おい・・・人の頭の上に乗るな。バカその1。」 振り払おうと手を伸ばせば、危ないだろうと文句を言い、膝の上におちつく。だが、そんなこと許した覚えはない。どけっとふりはらおうとするが強情だった。しかもエルディーまで膝の上に飛び乗ってきた。 「兄様達ずるいっ!」 「フェン、これはずるいとかいう問題じゃなくて・・・本当、お前等降りろっ!プリン食べる気ないのか?」 そう言うと、大人しくテーブルの上に移動する二人。テーブルの上なので行儀が悪いのは確かだが、先程よりはましだ。 そして、キッチンへと向かうグレンディスの背を見て、二人はテーブルから降りて人の姿に戻った。 プリンを持って戻ってきたら二人とも戻っているので、げっ戻ってやがるとつい嫌味にように言ったが、彼等にはきいていない。まぁいいやと、グレンディスはテーブルにプリンを並べる。 本当に自分達の分もあったのかと驚き半分嬉しさ半分で、プリンを口にする。嬉しそうにプリンを頬張る二人を呆れながら見やり、一匹足りないことに気付いた。 別に、放っておいても良かったのだが、せっかく珍しく自分が人数分のプリンを用意したのだ。しかも、今回は一応病人だしフェンの身内だ。まぁ、フェンの身内でなければ無視するところだったのだが。 「おい、あの蛇はどうした?」 「蛇?」 「・・・ああ、シーラスカですか。」 二人はプリンを口に入れるのを止め、何のことかを考えて結論を出す。 「気になるんですか?」 スプーンを置き、じっとグレンディスを見るアルシファに当たり前だろと言い切る。それにはアルシファは気分を害した。気が他所に向くのが面白くないのだ。 「バカその3であっても、元々は俺が拾ってきたんだ。拾っておいて死なれたら目覚めが悪いからな。」 何怒ってやがると文句を言い、はっきり理由を言うが、納得しないアルシファ。 「無事かそうでないかを聞くぐらい、問題はないだろう?」 「・・・。」 チラリと奥の部屋へと続く扉を睨みつけるアルシファ。いくら弟であっても、グレンディスの気が向く原因であるのなら、アルシファだけでなくエルディーも面白くなかった。 「おい。何ふてくされてやがる?バカがさらに間抜け面になったら救いようがないぞ。」 「誰のせいだと思ってるんですか?」 「知るか。勝手に怒ってるバカのことなど知らん。」 「ディーのせいだろ。」 「文句言うなら食うな。食べるんなら黙って喰え。」 「・・・。」 二人は再び黙々とプリンを食べるためにスプーンで口に運ぶ。 確かに彼は誰のものではない。自分達が勝手に連れてきただけだ。だけど、自分達が連れ去るより先にフェンとは知り合っているし、いつの間にかシーラスカと契約するような状況になっているし、何より今日あったばかりのイルドゥカともすでに仲良くなっている。 なんだか蚊帳の外に放り出された気分で嫌だった。どんどんと彼の心が離れていくような気がしたのだ。元から近いわけではなかったが。 完全に不機嫌丸出しでプリンを食べるアルシファとエルディーの姿に、バカだと疲れがでてくるグレンディス。 そこへ、賑やかなそもそもの原因が姿を見せた。 「本当、助かったよ姫さん。もう、君こそ女神だ。助けてくれた礼に口付けを・・・。」 「黙れ。」 スパンと近づいてくる男の頭を叩き落とす。いつでもこの男は変なハイテンションなのだろう。きっと直ることはないだろう。そう思う。 いっそのこと、さっきまでのように熱でぐったりしていた方が平和だったかもしれない。しかも、姫だとか女神だとか、よくそんな台詞をいえるものだと反対に感心してしまう。 引き剥がしても離れずまとわりついてくるシーラスカに殺すと物騒な考えが頭に巡っていた時、アルシファが引き剥がしてくれた。なんだか本当に雲行きが怪しいぐらい様子がおかしいアルシファにどうしたんだと見上げると、弟でありながら本気で殺す気でいるあの目に慌てる。 「身内同士で殺り合うな。」 喧嘩なら迷惑だから外でやれと怒れば、アルシファはシーラスカを荷物のように投げ飛ばし、グレンディスを見た。その眼はいつもの彼のものではなかった。 突然強い力が腕にかかり、顔を歪めるが、アルシファは気にしたそぶりも見せずに引っ張って歩き出す。 「おいっ。」 引き留めようとするが、その力は強く、無理だった。 小屋の外へ連れ出され、突如ふきあがる風と共にアルシファの姿が変わった。 「なっ、何考えてやがるっ!」 漆黒の闇のような黒に覆われた、大きな鳥獣がそこいた。弱いっている時と大きさはまったく違うが、これもアルシファなのだろう。 驚きながらも、そんなことを冷静に考えられていたのも最初だけ。 翼をはためかせ、浮かんだ巨体。鋭い爪にがっしりとした細長い足が見えたと思ったと同時にそれによって胴体をつかまれる。 そして、空高く飛び上がる。慌てて外に出てきたエルディー達だったが、その時すでにアルシファとグレンディスの姿はそこになかった。 落ちれば、人間である自分は間違いなく死ぬであろう高さ。今は暴れず大人しくしているのが一番だと判断し、必死に胴体を支えられているとはいえ、黒い鳥の足をつかむグレンディス。 意外に飛ぶ距離は短かったのでこの飛行はすぐに終わった。それだけ、彼が速いのだろう。もう、アルシファの城は目の前だ。何しに自分を連れて帰るのかは理解しかねるが、降りるまでは大人しくしていた方がいい。そう考えた矢先の事だった。突如、身体を揺らす力が加わり、宙へと投げ出される。 落ちる先はアルシファの部屋に繋がるテラス。距離は短いので死ぬことはないが、打ち所が悪ければそんなこと問題にもならない。咄嗟に頭を庇い、なんとか転がりながらだが足場のある場所に降り立つグレンディス。しかし、身体を起こすのは大変だった。先程の衝撃で咄嗟に頭を庇った際に左手首をひねってしまったようだった。 「いっ・・・てぇ・・・何しやがるっ!」 アルシファを睨み返して怒鳴るように文句を言うが、それ以上はキスによって言葉を飲み込まされる。確実に今までと様子がおかしいアルシファに混乱しながらも、抵抗を続けるグレンディス。 「このっ、まだ日の高いうちから、さかってんじゃねー!・・・っこのバカ。」 咳き込みながら、開放されると同時に殴りつけて叫ぶ。しかし、簡単に右腕はとられるし、捻った左手首は身体を支える際に痛みが走り、崩れるように倒れる。 「ならば、暗ければよいのですか?」 ふわっと、抱き上げられて宙に浮く身体。すぐに窓から部屋の中へと入り、閉じてカーテンを閉める。そうすれば、外の光は入らず、暗い部屋になる。これで、アルシファの表情はわからなくなる。 寝室に入り、乱暴にベッドの上に投げ下ろされる。その際に再び捻った腕に衝撃を与えてしまい、痛みがかけめぐる。覆いかぶさるように乗りかかり、左腕をもしっかりと押さえつけられる。我慢して痛みを押し隠そうとしたが、失敗した。 「・・・手首、捻ったのですか。」 どうでもよさそうにそんな言葉を呟き、さらに力を込める。 「ぐっ・・・てめぇ・・・っ!」 反抗しても、さらに加えられる力に、痛みに悲鳴に近い声があがる。 「こんなになってしまって・・・しばらく使わない方がいいかもしれませんね。」 暗くてもだんだんと慣れてきた視界に、言葉に似合わない笑みを浮かべたのがうつる。完全にいってしまっている。 ジッ―と、上に着ている服のチャックを降ろす。そうすれば、袖にかかるだけの布になる。あとは、シャツとズボンだけ。 だが、ここで大人しくやられる程可愛い性格はしていない。正気でないというのなら、強硬手段にでるまでだ。 ここまで、アルシファに理性が残っているのではないかと思い、呼びかけ続けた。だが、無理であるのなら、多少力を使っても問題はないだろう。少し、頭を冷やせばいいのだ。 「いい加減にしやがれ、この大馬鹿野郎がっ!」 アルシファをしっかり眼を合わせ、睨みつけながら右手でしっかりとつかんだ得物を首筋ギリギリに添えて止める。 出来れば使いたくなかったが仕方ない。神具を剣の形に変え、近づけば喉を切り裂く距離でそれ以上の動きをしないように様子を伺う。 「勝手にいじけるにしても、怒るにしても、勝手にすればいい。それこそ馬鹿やるにしてもだ。だがな、周囲を巻き込むな。確かに悪魔なら好き勝手迷惑かけることもあるだろうが、お前はそんな奴じゃないだろうがっ!」 何一人暴走してやがると言い切ってみるが、相手は反応がなく静かだった。また暴走して突っ走らないとも限らないため、油断はせずしっかりと得物を握る。 「・・・・・・か・・・。」 小さな声で呟かれた声で、グレンディスは聞き取れなかった。何だよと不機嫌な顔のまま言い返すと、今度は正気を失って暴走していた時とは違う意味で切羽詰った顔をしたアルシファが見下ろしていた。 「・・・どうすれば、貴方は私の名前を呼んでくれますか?」 「はぁ?」 想像していたことと少し違い、間抜けな声を出してしまう。これほどにまで暴走しておいて、言うことがどうすれば名前を呼んでくれるかだなんて、今更だという思いだった。 「・・・お前を封印する時になら呼んでやるよ。どうせ、正確に呼ばなきゃできないからな。」 「なら、今すぐ封印して下さい。」 「おい、お前とうとう馬鹿通りこして大馬鹿になったのか?」 どうしたものかと思い、答えた言葉に速攻返された返答。まさか、そう返ってくるとは思わなかったため、だんだん呆れて冷静に考えるのも馬鹿らしくなってきたグレンディス。 それにしても、人を突然攫っておいて、言うのも嫌だが傷物にしてくれた挙句、人間界に返さないと勝手に決め、名前をはかせて契約して封印させないと言った馬鹿。その馬鹿が今度は勝手に暴走して、冗談抜きで真剣に封印してもいいだなんて、笑うしかない。 本当に、魔界にはまともな奴はいないと思う。 何をそんなに必死になっているのか。 「そんなバカなことを言ってるうちは封印なんかしない。余計目覚めが悪い。それに、名前を呼ばれたいためだけに封印を許すようなバカなんか封印する気にもならん。」 本気で呆れてしまったのでそう言い返せば、再びアルシファは黙り込んだ。 「名の持つ力。わかってないわけではないんだろう?」 「・・・ええ。わかってますよ。」 そもそも、その名前のせいで、最近でこそ多少自由に外を歩きまわれるようになったが、魔界に閉じ込められているのだ。それも、契約主にはどこにいるのかわかってしまうような状況になったのも名前のせいだ。 「それでも、ディーには呼んでほしいのです。力が宿るものだからこそ、弱い者は誰も呼ばない。それに、私自身呼ばせはしません。しかし、ディーには呼んでほしいのです。私個人を指す名前を。」 名前が力云々の前に大切なものだということはわかっている。だが、アルシファがここまで切羽詰る程になるとは思いもしなかった。 「そう易々と名は呼ばせません。それでも、ディーには呼んでほしいから、だから名を許したのです。」 魔界で、魔王が名前を呼ばれないのは、呼べないからだ。だから、魔王という肩書きで皆が呼ぶ。アルシファ達も同じで、魔王の子息、血族といった肩書きで呼ばれる。 自分自身が許さない相手に名を呼ばせることなどはしない。だが、許した相手には呼んでもらいたい。たくさんある中の一つではなく自分自身を指す名前を。 だからこそ、名前を呼ぶことを許す相手を選ばなければいけないのだが。名を知らせてしまえば、その相手なら己を殺すことは簡単にできてしまうのだから。 それだけ、名前は重要な意味を持つ。 「まったく、バカだな。・・・気が向いたら呼んでやる。」 「・・・本当、ですか?」 「ああ。だがな、お前がバカやっている間はバカその1で十分だ。」 話が済んだのなら、戻るぞ。そう言うが、上半身を起こしたグレンディスを抱きしめて動かなくなるアルシファ。顔は見えないのでどんな表情をしているのかわからないが、困った奴には変わりない。 「おい、戻るぞ。」 「いやです。」 「・・・いい加減にしろよ?」 抱きしめたまま動かないアルシファ。しかも、突然のことで心配しているであろう彼等の元に戻ろうと思うのだが、嫌だとはっきり言うアルシファ。 「急に戻ったんだから、戻るべきだろう?そもそも、お前をイルドゥカは治してくれたし、ファンだって心配するだろう。」 「・・・。」 「おい。聴いてるのか?」 「聞いてますよ。・・・フェンはしょうがないと思っていますが、何故イルドゥカまで名前を?」 「・・・。」 「ディー。」 先程よりは大人しくなったし、抱きついて離れないだけだったが、今のは失言だった。そもそも、名前を呼んでくれないと文句を言われたところなのに、今日会ったばかりのイルドゥカの名前をはっきり呼んでしまった。 グレンディスの顔をじっと見ているアルシファは、駄々をこねる子どものようなものだったが、少し危ない方向に走りかけていた。 「理由を、身体に聞くのもいいかもしれませんね。」 「まったく・・・お前はどうしてすぐさかるんだっ!」 左手で一発殴る。その際、動いたせいで再びズキリと痛む左手首。ごたごたして痛みを忘れていたのに、最悪である。 「すいません。」 「謝るぐらいなら、最初からやるな。」 「・・・。」 「勝手にいろんなもの溜め込んで、暴走してるなよ。だからお前はバカなんだよ、アル。」 しゅんっと沈んでいたアルシファだが、はじめて呼ばれた名前に、はっと顔をあげ、驚きが隠せず固まったままグレンディスの顔を見る。 「ディー、今・・・。」 「もう満足したんなら、戻るぞ。文句はないな?」 「あ、えっと。」 「反応鈍くなってとうとう本当のバカになったか、アル?」 ピンッと無防備なアルシファの額で指ではじく。 痛いと呟くが、どこかうれしそうにするアルシファに、まぁいいかと思うグレンディスだった。 その後、戻る前にエルディーとフェンを筆頭に部屋に乗り込んできた四人を迎える。 もちろん、グレンディスの左手首の怪我に関しては散々怒られたが、しょうがないと受け入れて大人しく文句を聞き続けるアルシファ。 しかし、大人しいのはそれまでだった。治療をするために左手首の様子を見ていたイルドゥカが、右腕の黒い輪に手を触れ、契約を交わしてしまったのだ。さすがにグレンディスも驚いたし、部屋にいた他の四人も同じ。これで、魔王の子息である五人全員と契約をしてしまったことになる。 「気に入ったからだ。それに、ないよりはよいだろう?」 だが、それによって、一番性質の悪い奴が動くから困るのだが、苦笑いしかできなかった。 「ディー・・・。」 こっちをじっと見ているアルシファの眼。今は手首を傷めていて良かったと少しだけ思えた。 その後、きっちり包帯をしてイルドゥカもすぐに治るというのだが、アルシファは甲斐甲斐しく世話をやこうとする。自分がやってしまったことに対する後悔なのか知らないが、いい加減鬱陶しい。 「間違いなくお前はバカだ。間違いない。」 「・・・。」 「自分の部屋で寝ろよ。」 「嫌です。」 「俺も嫌だ。」 夜も手は出さないとは言え、離れない。そうなると、エルディーやフェンまでやってくる。さすがに人様の家だと認識しているのか、シーラスカは来ないが。 「寝ないのですか?」 「お前こそ寝ないのか?」 「・・・名前呼んでおやすみのキスをしてくれれば・・・。」 それ以上話すなと言いながら頭をはたく。 「・・・レーテ。」 「レーテ?」 「名を隠すため、昔は『レンディー』と偽ってた。親はわかってたからだろうな。で、今は『グレンディス』と名乗っているが、これも間違ってはいない。しかし、俺はレーテでもある。」 「なら、名前を縛ることはできないのでは・・・?」 本当の名前は一つしか持たない。レーテというのは本当の名前ならば、彼はいつでも外へ出られたのではないかという疑問が浮かぶ。 「だから、間違ってはないんだ。だが、違うんだ。俺には名前が二つあるんだ。」 「二つ?どうしてそんなことに?」 理解ができなかった。確かに、肩書きという名の名前は誰だって持てる。しかし、個人を指す名前はやはり一つなのだ。 「生まれたその時に神につけられた名前がある。お前等だって、魔王が名前を決めてるだろう?だからこそ、魔王は名前を知っている。まぁ、魔王の場合は何かに対して名前をつけた瞬間に知ることができるといった方だろうが。人間は神が名前をつけられているんだ。自覚はしてないがな。」 だから、それを知ってしまえば親から授かったという実感はわかなくなる。 「だが、俺の両親は従わなかった。生まれた時に一度呼んだだけで、誰も呼ばない名前がある。それが両親がつけた神に逆らう名前。」 どうして神に逆らえたのか。どうして二つともに効力を発揮することになってしまったのか。その理由はまだアルシファには言えない。 だが、覚悟を持って名を呼ぶ許しを出したのなら、こちらだって多少は妥協してもいいだろうと思ったのだ。 それに、また落ち込んで勝手に暴走されても困るからという理由もあるが。 「『グレンディス』っていうのは神が与えた名前。つまり、一般的に人が名乗る名前だ。親がつけるものだけどな。俺の家はその点ではおかしかったということだが。」 両親が考えてつけてくれた名前。だが、それが本当の名前として名乗ることはできない。神が人に与えた名前とは違うからだ。それでも、グレンディスにとっては決して呼ばれることはないものだが、大切な名前なのだ。 「それが、レーテ?」 「ああ。『ヴィフェアレーテ』・・・失われた言葉で光を灯す者だ。」 「ヴィフェアレーテ・・・。」 名前を復唱し、うれしくなるアルシファ。 「しかし、どうして失われた言葉をご両親が?」 「いつか、理由も教えてやる。だが、今はその名前だけで満足して忘れろ。あ、教えてやるだけだからな。絶対それで呼ぶなよ。」 「何故ですか?」 自分だけが教えてもらえた名前なのに、呼んではいけないなんて不満だと文句を言う。 「他の奴にもバレるだろうが。それに、それは呼ぶための名前じゃない。お前が二度とバカなことをしないように教えただけだ。心の奥にでもしまっておけ。」 「わかりました。」 「なら、とっとと寝ろ。俺も寝る。」 「ありがとうございます、ディー。」 名前を呼んでくれたことと、名前を教えてくれたこと。少しずつ近づけた感じがして自然と心が満たされる。 満たされた思いのまま、眠りにつく。 同じ過ちを犯し、彼を傷つけないと心に誓って。 |