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五 逃げる者と追う者
どうしてわからないんだと、怒鳴り散らす男の声が屋敷中に響いた。 「そう言われましても、あの者は放浪と歩く旅人。詳しく調べるにも、かなり無理があります。調べられた頃には、次の町へと出て行っている可能性があります。」 長年の間、領主の屋敷に仕えて尽くしてきた執事のゴード・バルーラは、目の前で手元にあった辞書を投げて文句を言うバドリックに必死に言うが、彼は一向に聞く耳を持たない。 前領主様はこんな無茶な事は言わなかった。とても立派で偉い方だった。 ゴードは前領主に拾われてここに来て、彼の為だけに仕事をこなし、補佐できるように過ごしてきた。ゴードは前領主に絶対の信頼と忠誠を誓い、全てを費やす覚悟でいた。 だが、前領主亡き後、目の前にいるのはただ思い通りに行かない事にわめき散らし、我が侭を言う子供のような男がいるだけ。しかも、また無茶を言い、時計屋で会った旅人の事を調べろと言うのだ。 旅人の中でも、放浪と当てもなく旅をする者は、調べようにも調べられない。そういったものは、ほとんどが家や家族を持たないからだ。中には、御伽話のような世界から来たという例もある為、それを信じる事は実際見てみなければわからないのだが、始めから無茶な話だったのだ。 ただ気まぐれに、当てもなく彷徨う亡霊のようにふらふらと歩く旅人。目撃情報があるだけで、これといった重要な情報を掴むのは難しい。 何より、最近では市民の不満が多く、協力して話をしてくれる者はほとんどいない。今の領主となってからまだ三年も経っていないが、信頼はほとんどと言って良い程、すでに領主の助けとして動いてくれる者もいなくなってしまっている。 市民の信頼をなくし、権力で物を言わせ力で押し付ける者に、一体誰が助け、支えると言うのだ。そんな者はいない。 この町が壊れるのは近いなとため息をついた時、もう下がれというバドリックの命令に従い、部屋を出た。 この縛られた苦痛の毎日から解放されるのはいつだろうかと、ゴードは再びため息をつき、自分の部屋へと戻った。きっと、今日は自分に仕事はないだろうから早めに休んでおこうと、部屋に戻ったのだ。 明日からまた、その旅人探しをさせられる事は理解っていたからだ。 その一部始終を、歯をぎっと噛み締めながら、カインとキーアは大きな木の上から見える窓から中の様子をずっと見ていた。 人の良い、主に忠実に従う者にまで当り散らす男。すぐに堕とすべきだなと再確認し、二人はそっと窓辺に近づき、屋敷の者に気付かれずに、その窓からすっと中へ侵入した。 こんな窓の鍵ぐらい、カインには簡単に開けられるのだ。彼は生きて行く術として、多くの事を学んだ。その時に鍵開けもマスターしていたのだ。いつか何らかの時に役立つだろうと、一通り学んだ事が、最近大いに役立っている。 鍵開けがなくても、壊せばいいだけなので簡単と言えば簡単だ。別に気付いた警備もカインが力を使えば簡単に倒す事は出来るが、あまり目立つ事は控えたいと思っているので、バドリックにのみ、姿を見せたらいいのだと、カインはまず始めに宝玉の欠片のしまわれている金庫へと向かった。 絶対に、バドリックには領主の座を降りてもらうと、どうやってそこまで追いやって次の領主を誰にするか考えていた。 良い考えが浮かばない内に、二人は金庫のある部屋についてしまった。 「さて、まずは警備さんに寝てもらわないとね。」 そういって、キーアは隠れていた柱の陰から警備のいる前へと出た。もちろん、警備の者達は不審者に気付き、持っていた剣や槍といったものを向ける。だがすぐに、警備の者達は場違いに思われる可愛い少女の登場に、領主の呼んだ客かと、話しかけようとした。 そんな警備の者達を嘲笑うかのように、クスリと魅惑的な笑みをキーアが見せ、両腕をゆっくりと真上へと上げ、その場で舞い踊り始めた。 下に短いぴったりと肌に合った、お手製の薬品の瓶をぶらさげるズボン。上から着て下へスカートのように流れる前開きの服は、長めの髪と一緒に踊りの間にふわりと宙を舞う。 警備の二人は、突如現れた綺麗な少女の舞いに見とれていたから気付かない。確かに大抵の者は気付かないだろうが、戦闘経験のある二人にしては、油断していたと思われる。 キーアは両手に小さな袋を持ち、その中身を少しずつ舞い踊るたびに空気中へと撒き散らし、警備の二人を夢世界へと誘う。 キーアの服にはいつも、いろいろな薬品が備えられていて、場所によって対応できるような物をいつも持っているのだ。そして、素早く取り出して手で隠すようにしながら、その場を舞い踊りながら移動して行き、相手にその薬品を嗅がせるのだ。 すでに夢の世界へと旅立っているのか、目がトロンとしている二人の警備はその場に崩れるように倒れる。これが、キーアが異端児とされる原因の一つ。動植物から、どんなクスリも作れるほどの薬の天才調合師。 カインは柱の影から出てきて、相変わらずすごいねと言いながら、ちゃっかり二人を持ってきた縄で縛り上げておいた。まず、起きる事は無いとしても後々面倒な事になっても困るし、薬品に強い者だったとしたら、起きて動き回られては厄介だからだ。 しっかりと縛り上げたカインは、鍵のかかった扉の前に立ち、夢世界へと旅立った警備の懐からちゃっかりと拝借した鍵を差し込み、開いた扉の中に素早くキーアと共に入った。 今のところ、誰も気付いていない。面倒な事になる前に終わらせる方が賢明だ。 仕留める敵はただ一人、バドリックだけなのだから。余計な者まで怪我をさせるつもりはない。 金庫の鍵がやっと開き、中を確認するカイン。そして、端に丁寧に置かれたそれを見つけ、手をかけようとした。 その時にふと、気配に気付いた。 「気付いたのか・・・?」 何者かが、この部屋へと向かって来る気配に気付いたのだ。 「・・・気付いたわけではないのか・・・?」 慌てている気配はないので、まだ気付いていないらしいが、部屋の前では眠っている警備の者がいるから、すぐに自体に気付くだろう。気付けば、探そうとする事だろう。最初に会った時から、金には目が無いような、愚かな亡者だ。 素早くカインは見つけた宝珠の欠片を、持ち歩いていた瓶の中にいれ、キーアと共に部屋の隅の陰へと姿を隠した。 二人が隠れた数秒後、バンッという大きな音を立てて扉を開け、部屋にやって来たのはやはりバドリックだった。 相手がどう動くかと、気配を探りながらそこで息を殺し、気配も感づかれないようにひっそりと様子を伺いながら、隠れていた。部屋に広がるほど、バドリックの怒りという気配で溢れている。だが、まだ予定は崩れていないとこれからどうするか、考え出すカイン。 部屋にある金庫が開いているのを見て、その中から減っているものはないかと確認しているのだろう。がさがさと何かやっている。 そして、気付いたのか、怒鳴り散らしている。カインが今持っている、最近手に入れた何かの欠片のような物。綺麗なので拾ってきたが、他に見かけないので、もしかしたら希少価値のあるものかもしれないと考え、大事にしまっていたのだろう。それがなくなっている事を確認し、慌てて部屋の外に出て他の警備へ叫んで伝える。 「はやく、はやく侵入したこそ泥を探して捕まえろ!」 「はっ!」 あれは綺麗な輝きを持ち希少価値があるのなら、これから集めようと考えていた矢先の事で、怒り狂う。 まだ何処かに潜んでいるかもしれないコソ泥を捕まえろと。絶対に逃がすな。捕まえた者には褒美を与えるなどめちゃくちゃ言って、自分も探す為に廊下を駆けていき、足音が遠ざかっていくのを聞いていた。 カインは影から出て、キーアに目で合図を送った。 「了解。すぐに済ませてくるからね。」 キーアは素早く部屋から出て行った。先程考えていたカインの考えを、聞かずとも理解していたのだ。 カインもすぐに、自分のするべき事の為に部屋を出た。 屋敷の外ではライトが点々と光り、コソ泥の捜索をしているらしく、多くの者の声が聞こえてくる。 彼等の探しているコソ泥であるカインは、その光景を面白そうに屋敷の上から見ていた。 通常なら、出入り口がないので行く事が出来ない屋根の上。そこに、カインは立っていた。 カインは右耳に取り付けられたイヤホンから聞こえてくる声を拾っていた。 『―せ、探し出せ!必ず探し出せ!私の屋敷から物を盗む愚かさを教えてくれる!』 相手の主はかなりのお怒りのようだ。くくく・・・と、カインは必死に笑みを堪えながら聞いていた。 『―ぞ、いたぞ。あそこだ!』 キーアによる警備の錯乱操作も上手く行っているようだ。このまま混乱に乗じて、バドリックに領主を辞めるという念書を書かせようと企む。別に、文字が本人でなくても、サインが本人のものであれば、この世界では充分通じるのだ。だから、混乱させ、一人となった時を狙ってサインをさせようと考えていた。 そろそろ動こうかなとカインが、背筋をぐっと伸ばした折に、たまたま見た屋敷の高い塀。なんとそこには一人の小さな人影があった。その予定外の事が起きている事に慌てた。 「どうしてあいつがいるんだ!」 くそっとカインは屋敷の屋根から飛び降り、真っ直ぐその場所まで走り抜ける。今は庭中にキーアが上手い具合に相手を翻弄させているが、いつ警備の者に見つかっても可笑しくはない状態だ。 カインが見つけたものは、昼間に会った少年。クロウだった。このままでは、カイン達と間違えられて捕らえられてしまうかもしれない。カインはクロウの事を手短にキーアに告げ、反対方向へ警備の目が向くように誘導してほしいと指示を出す。 『了解・・・。その子の事はカインに任すから。あとで合流しましょ。』 「ああ、連絡はまた後でする。じゃあな。」 一度お互いの耳にあるイヤホンと頭にしっかりと固定して走りながらでも話せるようにしたマイクのお互いへの受信を切り、それぞれ屋敷の庭を走り抜けた。 その様はまるで風のごとし。背中に羽根があるかのように、軽やかに走り抜けた。 なんだか騒がしい。何かあったのかなと、やっとの思いで塀を登って中へ入ることの出来たクロウは、転んでついてしまった泥を落としていた。 クロウはどうしても、バドリックから取り戻したいものがあった。だから今夜、ここへ忍び込む決意をしたのだ。今日でなければ、またずるずると引き延ばされ、決意が鈍ってしまうかもしれないから。 たとえ自分が捕まったとしても、カレンには何も問題はないはずだから。そして出来るなら、カレンに持ち帰って渡したい思っていた。 バドリックはあの日、カレンの大切なものを持って行ったのだ。カレンが唯一持つ、両親の形見であった扇を。いとも簡単に持って行ってしまったのだ。 クロウがつまずいて転んだ時に、ちょうど彼は落としたお金を拾おうとした時で、タイミングが悪かった。 転んだ拍子にお金は再び当てもなく宙を飛び、下水の中に落ちてしまったのだ。拾ってきちんと洗えば同じなのだが、バドリックはそんな事をしない。 落ちたお金はもう使えない物と言わんばかりに無視し、損をしたバドリックが怒りでクロウを捕らえるように命じた。それを、カレンが助けてくれたのだ。 その時に、カレンが持っていた親のいない子供が持つには高価だと、価値を知らないバドリックでも見て判るその扇を渡すのならと、返事も聞かないうちにそれを持ち去ってしまった。 カレンは哀しそうな顔をしていたが、クロウが無事で良かったと、無理して笑っているのを見て、大変な事をしてしまったのだと気付いた。その時のカレンの思いは半々であったのだと、クロウは感じ取っていたのだ。 そして今日、カレンの両親の命日。だから、どうしても今日、扇を取り戻したかった。散々迷惑をかけても支えてくれた大切なカレンの為にどうしても取り戻したいと思ったのだ。悲しませたお詫びでもある。 屋敷の庭に足を踏み入れて、クロウは背後から聞こえたカサリという草木の音で、ビクリと肩を震わせた。ただの風で葉が揺れただけで、見つかっていませんようにと祈るクロウ。 恐る恐る勇気を出して振り返ると、そこには屋敷の警備の男が一人、立っていた。風であってほしいという願いは通じなかったようだ。 「お前か、コソ泥は!」 見つかったことに、見せ付けられた細長い剣に足をがたがたと振るわせながら、庭の奥へと逃げようと駆け出す。 もしかしたら、逃げ切れるかもしれないという微かな望みを持って、クロウは走った。 「待て!」 怖いと思った。捕まっても覚悟しようとしていたが、やはり怖い。逃げ切れるかもしれないという微かな希望は、すぐにクロウの中で掻き消された。 足音はどんどんと近づいてくる。怖い。誰か助けてと、クロウは逃げた。逃げて逃げて、どんどん奥へと走っていくが、大人と子供では足の速さは歴然としている。すぐそこまで、クロウは追い詰められていた。 「大人しくしろ!」 もうすぐで手が届くといったところで、クロウは転ぶ。昼間の再現だと、悔しく思う。ここではもう、誰も助けてくれる人はいないからだ。昼間のように、偶然助けてくれる人の良い人はここにはいない。もう駄目と目を思い切り瞑った。 腕を掴まれて領主の下へと連れて行かれるのだと思ったが、一向に掴まれるどころか、先程まで後ろから迫ってくるように聞こえてきた声も聞こえてこなかった。 恐る恐る目を開けると、警備の男はクロウを見ずに、その背後を呆然と見ていた。その引き攣った男の顔を見て、一体何があったのかと、クロウは背後を振り返った。 そこには知った気配を持つ人がいた。そう、昼間にあった男。カインのものだ。昼間同様に、クロウはカインによって、助けられたのだった。 これは自分にとって都合の良い夢なのかなぁと、呆然とカインの顔を見続けるクロウ。都合の良い夢だとしても、どうしてここにカインが出てくるんだろうと思っていると、突如カインが動き出して我に返り、転んだ際にすりむいた怪我が痛む事で、夢ではないのだと理解した。 「悪いが、寝ていてもらうぜ。こっちもいろいろと面倒なんでな。」 言い終わる前に、カインは男の腹に一発ドゴッと鈍い音が聞こえるほど入れて、草の上に寝てもらった。動きに無駄がなく、すごいなとクロウは考えていたら、いつの間にかすぐ近くにカインが来ていた。 「・・・で、大丈夫だったかのか?」 カインはすぐにあの鋭い目を緩め、クロウの方を見た。 「まぁ、間に合ったみたいだからいいんだが・・・。いったいお前は何しに来たんだ?」 嘘も誤魔化しも聞かないと尋問するカインの目。少し怖いと感じ、黙り込んでしまったクロウにはぁとため息をついたカインは、もういいと言って、しばらく仕事の邪魔されては困るからと、クロウを抱きかかえて暗い闇を進んだ。 カインはクロウが何か目的があってここへ忍び込んだことぐらい、目を見てわかっていたので、言いだすまでは何も聞かない事を決めた。 クロウを抱えている腕と反対の手で切っていたスイッチを入れ、キーアに一度合流しようと、連絡を入れた。場所はもちろん、屋根の上だ。 場所は屋敷の屋根の上。見つかってもすぐには手を出せない場所なので、いろいろと出来て便利なのだ。 特に、こういった屋敷の場合はかなり有効だ。ほとんどの者がこういった場所での戦闘に慣れていないので、隙をつきやすいのだ。 しばらく我慢してろよと、小さくクロウに言い、カインは側にあった木の枝に飛び乗ってどんどん上までいき、木の一番上からまだまだ高さのある屋敷の屋根に向かって飛び上がった。 さすがのクロウも落ちるとカインの服をギュッと掴んで目を瞑ったが、二人とも落ちることなく、無事に屋根にたどり着いた。 その後しばらくして、キーアが姿を見せ、クロウはこの二人にならと、ポツリと話し始めた。今自分がここにいる理由を、一生懸命に伝えた。 カレンの大切な親の形見の扇がこの屋敷にある事。今日が両親の命日だと言う事。どうしても、何とかしたかったからここへ来たのだと二人に言った。 「僕のせいで、僕があの時・・・。」 「お前のせいなんかじゃないだろ?」 「そうだよ。物と人の命を比べるとしたら、きっと彼女は貴方の命を選ぶね。だってそうでしょ?」 クロウは目の前にいる少女がキーアだと気付いていないが、今はどうでも良いだろう。どうせ、今夜限りなのだからと、二人共何も話さなかった。 普段、あまり人に干渉しないキーアが珍しく、「両親の死の重さを知っている彼女は、命あるものを見捨てたりはしないんだから。」と言った。本当に、この町の暖かさで甘くなっていくなぁとカインが苦笑する中、月の光を浴びてキラリと輝く目を見て、今いない黒猫の目と似ているなとクロウは感じていた。 クロウは小さくありがとうと、二人に向けて礼を言った。二人はただにっこりと微笑んで、大丈夫だから、任せとけと言った。 依頼を受ける事を滅多にしない二人が受けた。それは異例の事だが、彼等にとってのお礼の気持ちでもあるから、受けたのだ。 その後、扇がどんな物か特徴を聞き出し、何処からか地図を取り出して、二人は相談を始めた。 必ず、その扇も取り戻すと誓う二人。 月が三人を空から見守りながら、優しく照らしていた。 仕掛けておいた盗聴器はまだ気付かれていないようだ。甘い男だなと、嘲笑うカインは着替え終わったクロウをキーアが連れてきたのを見て、さすがと褒める。 クロウは古ぼけているが黒っぽい服を着ていた。だが、この服ではいくらなんでもまずいし、身を守る術がないクロウを守る為の物を一つでも与えておかなければ、もしもの時に何かあれば、いろいろと大変なのだ。 クロウはカインのように体にサイズがぴったりの黒い服で、だぼだぼとしていたあの服よりも動きやすそうだ。 ズボンの腰辺りに取り付けられている太い紐には直径が二センチぐらいの珠がついている。これは、三秒程衝撃を受けた直後に光を放つ代物で、相手の目くらましで、影に隠れるには充分だろう。しっかりと、目は光で傷めないように黒いグラスをかけている。 最低限身を守れるようにと、キーアが説明して、なんとか理解してくれたクロウ。 一先ず準備は完了だなとつぶやくカイン。盗聴器から聞こえる声からして、今は屋敷内は結構手薄なのを知る。 「とりあえず、俺が扇見てくるから、キーアはここで奴等の動きの確認、しておいてくれ。俺の居場所ぐらい、それでわかるだろ?」 それだけ言って、カインは早々と屋根から飛び降りて下に付かずに窓の枠に手をかけて、器用に鍵を開けて中へと侵入して行った。 「まったく、相変わらずな男だ・・・。」 キーアは苦笑するが、クロウはすごいと、感心していた。あの身のこなしは、通常では中々身に着けられないものだと、クロウは感じていた。 相当な訓練や練習を重ねて来たのだろうと重い、尊敬する。そしていつか、カインのようになりたいと願う。 もし本人がいれば、ならない方がいいぞと、照れながら返事をしていただろう。 キーアは受け取った盗聴器のイヤホンを耳に当て、手元にある黒いもので仕掛けた別の盗聴器の物に切り替える。何処からでも情報を手に入れたいからだ。 クロウはただ、ここに座ってカインの帰りを待つだけ。屋敷から出るという大きな事が残っているが、なんだか何も出来ない自分に嘆いた。その事にキーアは気付きながらも知らないふりをしておく。 考えたいだけ考えて、それでも答えが見つからなければヒントぐらいはあげてもいいなと思いながら、動き回る彼等の様子を聞いていた。 キーアやカインという存在は持つものがあまりにも強大である為、下手な事は出来ない。クロウのように何も知らない者ならば、必要以上に知る必要もないし、自分たちに関わる事もないと、何処かで一線引いて決め込んでいるから。聞かれるまでは黙っている事にしたのだ。 この世界の均衡を崩したくはないので、大きくは動けないのが悔しいと、キーアは思う。今はクロウもいるので余計に難しくなっていた。それ程までに、二人の持つものは大きい。 だから、最小限の動きで成果を出すしかないので、現状を知る為にイヤホンから聞こえる声を聞き逃さないように、ずっと静かに聴いていた。クロウも、キーアから予備のイヤホンを渡されて大人しくそれを聞いていた。 一方、屋敷内に侵入したカインは、真っ直ぐ目的の場所へと向かっていた。誰にも見つかる事なく、楽勝かもなと思うぐらいすんなりと進む事が出来た。 同時刻、庭を捜索していたバドリックはふと他に取られた物はないかと、確認しなければいけないかもしれないと、屋敷へと戻っていた。 どんな時も油断大敵という事。この仕事も、そう簡単には終わりそうにはなかった。それに気付く頃は、鉢合わせした時だ。 カインはバドリックのコレクションルームへ足を運び、その中から聞いていた特徴で目的の扇を探し出し、それを部屋から持ち出した。 ちょうどその時に、廊下の向こう側から来るバドリックと一瞬だけ目があってしまった。 バドリックはコソ泥を見つけ、屋敷中に響くかもしれない程の大きな声で、捕らえろと怒鳴った。 その声に、庭にいた警備の者達は声の聞こえる元へと向かって来る。もちろん、その間にカインは逃げるが、バドリックも結構しぶとく、面倒だなと思いながらどうやって撒こうかと考え始めた。 それにはまず、屋根の上にいる二人の存在に気付いて行動を起されてはまずいと、カインは誘導するように屋敷の中を走り、町から見れば裏側に当たり、普段は見る事がなく利用される事もない、古い塔のような場所へと逃げた。 塔は屋敷から少し離れた所に、ひっそりと存在している。大勢の人間が中へ入れば崩れても可笑しくないぐらい、屋敷とは打って変わって汚くて脆い。 それでもここへ来たのは、ここからは二人がいる場所が見えないからだ。だからこそ、カインはここへ向かったのだった。 塔の入り口を突き進み、中にある長い階段を上へと上っていく。下からは追いかけてくる者達の足音が聞こえてくる。エコーがかかりながら、音が塔の中で響いて、今何処に居るかがわかりにくい。 カインはただ、真っ直ぐ上を目指して走った。所々に塔の中に光が入るように造られている窓があるので、その一番上にある窓から外へ飛び出せば、確実に逃げられると踏んでいたからだ。 この世界の常識はカインには通じない。これぐらいの高さならば、カインは下へ飛び降りる事は可能だった。 なので、ぎりぎりまで上へと導いてそこから飛び降りれば、混乱と、再びこの長い階段を下りる時間があるので逃げ切れる。 クロウを連れても逃げる時間が少しでもほしい。その時間稼ぎが出来るかもしれないのだ。 やっと着いた最上階の部屋。どうやら、ここは昔、誰かが生活していたようだ。簡単に身の回りの物がそこにはあった。 そこでカインは壁に貼り付けられている鏡の枠に、挟まっている紙切れに気付いた。見落としそうなその紙を手にとって、カインは中に書かれている言葉を読んだ。 読んでいくうちに、自分でもわかるほど顔が歪んでいるのがわかる。信じられない。そう思うような事が記されていた。 この世界で物事を考えれば、ありえない事だった。何より、そこに書かれたその名前に驚いた。 今という事態で知るには、うれしくない状況だった。そこで立ち止まっていたカインに、後ろから追って来た者達が追いついたのだ。 気付いたカインはクソッと舌打ちして、この部屋の唯一の窓へと走り寄り、足をかけて外へ飛び降りようとした。急いでこれが本当かどうかを確認する必要があったからだ。 下は、屋敷の塀と暗い闇のように広がる木々がある。部屋は塔の上にあるので屋敷の領域内にありそうだが、部屋として大きめに造られている為に、飛び降りれば塀を越えて外へ落ちるのだ。 警備の者達にやっと追いついたバドリックは逃がすかと、息を荒上げながら懐から銃を取り出した。 「今すぐ観念して、こっちへくるんだ」 さもなくば、打つぞと容赦なく脅す男。そう、脅しだけのはずだった。カインはその事が理解っていたので気にせずに飛び降りようとした。 その時だった。空気を切り裂くような音と共に、何かがカイン目掛けて飛んでくたのだ。がたがたと怒りで震えたバドリックの手は、力が入ってしまって引き金を引いてしまったのだ。 直前で気付いたカインは身を動かしてよけようとしたが、普段では考えられないミスを犯してししまった。彼は窓枠から出ている釘に足を引っ掛けて、それが彼の右足を掠めたのだ。 その勢いでバランスを崩したカインは宙へと投げ出され、下へと重力に従って落下していく。 暗い闇へと落ちていくカイン。そこに居た誰もが絶望の思いを感じながら、窓から外を見た。バドリックさえも。 すでにカインの姿は闇に飲み込まれた後だった。 その様子を偶然見ていたキーアとクロウは驚いてすぐにカインへマイクからイヤホンへ呼びかけたが反応は無い。 経緯はわからなくても、彼がこんな簡単にミスを犯すわけがないという長年からの確信があったので、何か予定外の事で意識が持っていかれたのかもしれないと、慌てて行動を開始する。 バドリック達に捕まればどうなるかわからない。その前に見つけだすと、キーアはクロウの腕をつかんで腰に用意しておいた薬品を一つ空高く蒔いた。 それは、移動手段によくつかう特別な調合の香り。 バサバサという鈍い羽音と共に現れたのは大きな黒い鳥だった。急いでとクロウは驚いて固まっていたのだが、キーアに鳥の背中に乗せられて、命令で夜の空へと飛び立つ鳥。 カインを見つける為に、落ちたと思われる森へと向かって。悪運が強い彼が死ぬなんて事はない。そう自分に言い聞かせて、空を飛ぶ。 その頃、バドリックもまた捜索で動き出したようだ。 逆らうものは何ものも絶対に許さないという普段の権力者だと威張る彼の思いと、人を殺める事をした事がない臆病になっている彼の思いが交差しつつ、それぞれが動き出した。
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