一 ある町で

 




 晴天に見舞われ、見上げるほどの空がそこにはある。

 その空が突如何か起こったのかおかしな姿を見せる。

 グニャリと歪んだ空という空間は、まるで無理やり力を加えて歪めた透明のセロハンの幕がはっているのように見える。

 もし誰かが見えていれば、突然の異変に驚き騒いでいた事だろう。

 あたり一面を見渡せるほど視界が広く空も明るいが、幸いなのか人の姿はここにはなかった。

「っと、やっと出れたぜ。」

 そこから一人の青年が顔を出した。少し長い髪は後ろで、両端に飾りのような丸い珠がついている赤い紐で結い、バンダナのようなものを額から後頭部にかけて巻かれている。服は首に装飾を一つつけ、右腕にも輪をつけていてる。それ故に一見貴族の端くれのように見えるかもしれないが、服は簡単なものでとてもそうは見えない。

 そんな彼は必死に上半身を乗り出して、まるで窓から覗いているかのように、グニャリと歪んだ空という空間から顔を出している。本当にそこに窓が存在しているかのように、建物があれば誰かがいればそう見えたかもしれない。しかし、生憎これだけ広がる視界の中で、建物らしきものは見当たらない。その高さまでは、この辺の地域では無理である。

 それなのに、彼は何事もないかのように、そこから広がる視界に入る景色を見て、騒いでいた。

 今日もいい天気だと、のん気な事を言いながらもたもたしていたので、背後から青年とは違う声が聞こえてきた。少し怒りを含ませながら早口で言う、青年とは違った幼い少女のような可愛い声。

「出たなら、はやく出てよ!」

「あ、悪い。」

 青年はその声の主に押し出されるようにそこから体を出して、後ろから来るであろうもう一人を待つ。

 ごめんごめんと、二回苦笑いをしながら謝る青年の姿は、なんとも間抜けだった事だろう。

 そんな青年の背後からは、声の主だと思われる黒い猫が一匹、ぴょんっと飛び出してきた。

 綺麗な深く濃い光で輝きを見せる蒼い瞳を持った、光を吸い込むような漆黒の毛並みを持つ猫だった。

 光の加減で、銀の輝きを放つ事もあるそれを風で揺らしながら、青年の肩へと飛びついた。それが、彼等のいつもの旅をするスタイルだ。

 そんな彼等二人は今、空と言う空間に漂っている。もちろん、この場所には重力というものが存在し、ものが地上へ引き寄せられる力が働いている。

 つまり、通常ならばとっくに落ちているはずの事態でありながら、彼等は漂っていた。通常から考えれば可笑しい事だが、まるで重力は存在しないものであるかのように、無視されている。

 今彼等がいる場所は、何処を見ても果てしなく続く緑と山がある。人通りの少ない丘の真上。遠くまで見晴らしがよく、吹き抜ける風が心地よい。

 だが、こうも丘が続いてその先にあるのが山だと思うと、面倒だなと思う。目的の場所であったとしても、自然の中から探すのはいろいろと大変なのである。

 だが、もう少し先にかすかに街が見えた事で、間違えてこの場所へ繋がって降り立ったわけではない事がわかる。

 今回もまた、いつもと同じ事だろう。あの街に、きっとあれはある。

「今晩はあそこにお邪魔するかな。」

「・・・そうね。ちょうど匂いもあるし、あそこに一つ欠片があるからちょうどいいじゃない。」

「なんか、嫌な予感がするけどな…。」

 青年はいつも、その予感が当たってきたので、今回もただではすまないだろうと、少し気分が降下する。出来れば、厄介ごとに遭遇せずにすませたいからだ。

 だからといって、何も起こらずに事が運ぶのは物足りなさを感じる。まったくもって、矛盾した考えを持っていると苦笑する。

「予感が何なのか…。なんか、やだなぁ。」

「しょうがないでしょ?でも、今回も何か素敵な収穫があるかもよ?」

「だな。」

「いちいち、予感なんかの為に獲物やあれを見逃すわけないでしょ?」

「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがるんだよ。」

 悪戯好きな子供のような笑みを猫に向けて、青年は空をまるで地面を走るのと同じように蹴り、街の方へ向かっていった。

 二人は風のように空を進み、誰にも見られる事なく街へと降り立った。

 そして、街中を歩き始めた。

 

 

 街中ではたくさんの人が通り、多くの店が声を張り上げて商品をお客へと売っていく。

 品物を売ってお金を稼がなければ生きていけない時代になってきた。それも、大変な額が必要となってくる。だからこそ、皆が商売や買い物を楽しむように見えるその内では、黒い闇が渦巻いて様子をいつも伺っている。

 そんな中、泥棒という大きな声がはりあがり、誰もがその声の方向を見る。本日二度目の泥棒発見の声。

 今回は深く布を被って顔を隠している小柄な子供が、パンを抱えて走っている。その後ろからは、その子供に品物を盗られたであろう店の主人がカンカンに怒って、顔を真っ赤にして恐ろしい形相で子供を追いかけていた。

 町を歩く人や他の店の者は知らぬふりをして、もうその二人の追いかけっこを見るものはいない。興味を示すのは、最初だけ。そして、最後の結果報告だけ。

 この町には貧富の差が激しく、特に子供は親が生活できなくなって手放す事や、さらなる権力を手に入れる為に領主が起こした内戦に巻き込まれ、親を亡くなった子供達が多く、町では親がいない子供で溢れかえっていた。

 残された子供達は、今を、そしてこの先を生きる為に店から品物を盗む。自分だけではなく、一緒にいる仲間の分も合わせて、お金の無い彼等は生きていく為に一生懸命行動を起す。

 今はどこも、子供を雇うなんて考える雇用先はほとんどないから、余計にそうなってしまうのだ。

 そんな町なので、盗みがあったからといって他の者は手を貸そうとする事はない。そんな事をすれば、店から少し目を離せばまた別の子供が現れて、今度は自分の所の商品を盗んでいくからだ。

 これでは、自分の方が損をしてしまう。損だけはどうにかしてなくさなければ、彼等も生きていけないのだ。街は、そうなってしまっていた。

 さらに、客は客で子供に鞄を取られないようにと、しっかりと自分の持ち物は持っておかなければいけない。少しでも油断すれば簡単に取られてしまうのだ。

 日々、子供達は学習してあの手この手と使ってこの毎日を過ごすのだから、油断はできない。油断から、破滅を呼び寄せてしまう事もあるからだ。

 盗みの件は、声の上がり先を確認して、その後はその追いかけっこがどうなるか後で結果を聞けばいい。それだけで充分なのだ。誰も、自分の身が大切なのだ。

 誰もが生きていく為にすること。店は商品を守り、客は鞄を守り、何もない子供はそんな者達から盗んで生きていく。それが、この街で生まれた者達の生きる為の術。

 働くものはしっかりと働き、その半分の利益を領主へ捧げ、何もないものは捕まれば酷い仕打ちを領主から受ける。全ては領主が支配し、領主の考えで左右される世の中になっていた。

 誰も逆らわない。逆らえばもっと酷いことになることを知っているから、誰も知らぬふりをする。誰もが自分の身を守る為に、見て見ぬふりをするのだ。

 誰も、手を差し伸べることはない。自ら危険を懐へ入れるものなど、いない。

 だからこそ、どんどん生きる術を失って死んでゆく子供達が増えていくのだ。

 そんな不安定になっていく街。どうしようもないと誰もが思う街。子供による盗みと追いかけっこは日常茶飯事となりつつある街。

 この逃げる子供も、生きる為に盗みをした。それが罪と知りつつも、そうしなければいけないと思っていたからだ。

 悪い事や正しい事、その他に必要な知識を教えてくれるはずの親がいない彼等は、他に生きる術を知らなかった。

 生きる為に頑張ろうとする子供は、やはり大人には力の差があるのか、それとも体力が長続きしないのか。子供は走り疲れて足が絡まり、バランスが崩れた際に、ちょうど足元に転がっていた小石につまずき、転んでしまった。

 子供はこのままではまずいと本能で察し、慌てて立って逃げようする。だが、せっかく手に入れたパンを転んだ際に落としたので、拾わなければならないという思いから、散らばるパンを拾い集める時間に手間取り、追いつく時間を与えてしまった。

 後ろから店の主人が追いかけてくる足音が聞こえてきた。今にも手を伸ばせば捕まるような距離である。

 子供は残りのパンを捨ててでも逃げようとしたが、今度は自分の被っていた布に足が絡らみ、再び転んだ。

 そして時間のロスが生じ、再び立とうとする子供の前に追いついた店の主人が目の前に立ち、簡単に捕まってしまった。

「やっと捕まえたぞ。この悪ガキめ。」

 店の主人は子供の被っている布を引っ張って持ち上げた。どこの子供かを確認する為だ。

 最後の抵抗とばかりに、子供も簡単には顔をさらす事はなく、必死につかんで逃げようとする。

 しかし、子供の力では抵抗しつつも、大の大人との力の差ははっきりとしている。それは誰から見ても同じだろう。だからといって、顔がはっきりとばれてしまえば、逃げられても領主が探し出してしまう。

 だから子供は必死になって抵抗を続けた。

 だが、その抵抗は目の前の彼にとってとても大きな相手である店の主人の力に負け、頭から被っていた布はするりとずり落ちた。

 顔がしっかりと、店の主人に見られてしまった。

 しっかりと顔を確認した後、店の主人は子供の腕を攫んだ。

「ほら、立て。もうあれは食べれないからな。どうせ払えないだろうから、領主のもとへ連れて行ってやる。」

 店の主人は、子供を無理やり連れて行こうとひっぱった。だからといって、子供も素直に大人しく着いて行くわけがなく、今も抵抗を続けた。

 顔を見られたとしても、逃げられればなんとかなる事もあるからだ。領主は面倒な事は嫌いだから、わざわざ探し出しに来る事はないだろうから。

 絶対に、あの家へ帰るといつも朝に誓っているのに。あの人との誓いを守りたいのに。

 こんな時、自分の無力さを感じ、悔しい少年だった。

 

 

 そんな見るからにお取り込み中という看板が立っていそうな二人に、声をかけるものがいた。それはちょうど、店の主人が子供を無理やり引っ張り、少し歩を進めた時だった。

「それじゃぁ、あまりにも可愛そうだぜ?」

「ナ〜オ。」

 背後から聞こえた知らない声と猫の鳴き声に、ビクリと肩を震わせる店の主人。一瞬、領主を頭に思い描いたからだった。

 すぐさま、声が領主のものではないと理解した後、ゆっくりと背後を振り返った。

 そこには、肩に蒼い瞳でじとっと、まるで意思を持っているかのようなその瞳で見てくる黒い猫を連れた、この町には合わないような風変わりな若い男が立っていた。

 格好からしてこの町のものではないと分かり、たまたまここへ立ち寄った旅人あたりだろうと推測していた店の主人に、一向に返事を何も返さない相手に再び青年は声をかける。

「駄目だろ?子供いじめたら可愛そうだろ?」

「しかし、こ、こっちも商売なんだ。盗られたら、困るんだよ。だから、こいつは今から領主様の元へ連れて行くんだ。」

 確かに、それもそうだなと少し考える青年に、もういいだろうと歩き出そうとする店の主人を再び止める。

 どちらもまだ、解決していないし、見過ごすわけにはいかないからだ。

「なんなんだよ、あんたは。第一、誰なんだい?」

 その店の主人の問い掛けに、そういえばと思い出す。

「これは失礼しました。私の名前はカインといいます。こっちはキーア。私達はただの旅人ですよ。」

 猫の名前も紹介した青年カインを見て、いったいなんなんだと思いながら、余計なものには関わらない方がいいと、無視して立ち去ろうとした。

 それを、カインが許すはずもない。

「代金があれば、問題ないんだろ?」

「だがな、こんなガキにはお金なんてもんはないんだよ。だから、店のものを取るんだからな。」

「それもそうだな。」

「もういいだろ?まだ、何かあるのか?」

「そうだな…。そんなにパンの代金がほしいなら、これをやるよ。だから、その子から手を引きな。」

 カインは盗人の端くれなので、今までそういった者達とたくさんであってきた。

 お金がないから生きる為に盗んで日々を過ごす者達や、刺激を求めて盗みを行うものもいるし、理由は様々だ。

 その中で、カインが一番好む泥棒は、自分の利益の為に盗むのではなく、他人の為への盗みやどうしても必要で最後まで悩んで生きる為や人の為に盗みをする者。

 刺激や欲を満たす為の盗みは、ただの盗みでどんなに腕がよくても、愚かな賊だと思う。

 だからなのか、余計にその少年を助けたいと思ったのかもしれない。

 生きる為に悪い事だと知りながらも、自分の分だけではなく誰かの分も手に入れようとする少年。

 泥棒は確かに悪いものだが、何かの目的や強い意志があれば、見守りたいと思うのだ。

 きっと、同じ泥棒であり、輪の中に入れないはみ出し者であるからだろう。

 だから、その言い分もわからないことはないとつぶやいて、珍しく自分が変わりに代金を払おうと、服のポケットから一つ、小さな何かを取り出す。

 そしてそれを、相手へ投げ渡した。相手が取れるようにゆるく投げて。

 店の主人が受け取ったそれは、小さめな石のようなものだった。向こう側が見えるような透明な石で、光の加減で七色に輝く珍しい価値のある宝石だった。

 いきなりの事態に判断が遅れながらも、店の主人は子供をつかんでいた手を離して投げられたそれまじまじと見る。

「それくらいあれば、このパンの代金ぐらいにはなるだろ?」

これなら文句はないだろうというカインに、店の主人は驚きを隠せなかった。

 これはまさしくあれだと、石の正体が理解できたからだ。

 これは、小さくてもかなり価値のある宝石である。自分が知っている程、この町では有名でありながら、実物を拝める事はそうそうない代物だった。

 過去に一度、これだけ力の支配をせず、友好関係を気付いていこうとしていた前領主が、好んで身に着けていた物と同じ。

 現領主とは比べ物にならない程の偉い方で、自分が尊敬する唯一人の領主で、彼がこの石を好み、自分に見せてくれたのだ。

 当時、店の主人は領主へ朝のパンを届けるのが仕事で、ある日、いいものを見せてあげようと見せてくれたものと同じだったのだ。

 店の主人が手の中にあるそれを見て呆然としている間に、もうどうでもいいと思ったのか、カインはゆっくりと地面に座り込んで、動かない子供の元へ近づいて行った。

 カインは子供と視線を合わせやすいように膝を落とし、大丈夫かと頭にぽんっと手を乗せて優しく言う。ここで怯えさせたりしては何も答えてくれなくなる事はわかりきっている。

 彼はたった今、生きるか死ぬかの危機に立つ事になったのだから。怯えさせれば、話してもくれないし、このままここでうずくまったままだろうから。

 にっこりと子供のような笑みで大丈夫だったかと聞くと、子供は小さく頷いて、店の主人の足元に転がっているパンを見た。

 そこには、無残にも砂が被ってしまったパンが転がっていた。

「あの人にお金は払ったから、あれは君のものだよ。俺があげたんだから、君のものなんだけど…。」

少し、無事ではないかもしれないなあぁとぼやく。もう少し早く対処していれば、こんな事にはならかったかもしれない。

「あれじゃぁ、食べれないかなぁ?どうする?…新しいのを買いに行くかい?」

 少し困ったなと、店の主人を無視して転がるパンを拾い上げて言う。もちろん、内側は大丈夫だろうと、周りについた砂は叩き落とす。

 その時、良い事ひらめいたと、少年とパンの事で気が沈んでいたカインは、急に元気を取り戻して、少年に話しかける。

 肩では、いった何を考え付いたんだかと、いつもの付き合いでろくな事はないだろうと思いながら、ため息を吐くキーアがいたが、周りは誰も気付いていないようだった。

 そんなキーアの心配を無視して、話を進めていく。

 カインは砂を掃ったパンを子供に渡してやる。中身は食べれないという事はないので、持って帰ると少年が言ったからだ。

「ねぇ、君。お兄さんちょっと頼みたい事があるんだ。聞いてくれる?」

 パンに気を取られていた少年は、カインの突然の言葉に驚き、どう答えたらいいのかと迷っていたが、小さくうなずいた。

 子供の判断の基準は、悪い人ではなく助けてくれた恩人という事で、恩返しが出来るのならしたいと思ったからだった。

 助けてもらったらお礼をするのだと、育て親であるあの人が毎日言い聞かせていたから、彼にはしないといけないと、小さいながらに考えた結果である。

 最低限の必要な相手に対する礼儀を知らない事は恥ずかしい事で、同時にあの領主と同じようになるから駄目だと言い聞かされてきた余計にだろう。

 カインはうなずいた少年を見て、さらに笑みを見せて、続けた。

「お願い聞いてくれたら、俺がもう一つ、新しいパンをあげるからな。」

 そんなカインの言葉に、子供は家としている場所に一度戻ってからなら、カイン頼みを聞くと小さく話し、歩き出した。

 それでも構わないと、カインは子供の後について行った。

 何せ、カインの用事は、その家にいる親代わりの方がいいと、思ったからだった。

 少年のような子供では、内容が偏る事があるからだった。

 

 少年はカインについておいでと手で示し、カインもそれにしたがって、二人とも黙ったまま目的地へと向かったのだった。