三 残された時間





 朝日が窓から差し、春華を起こす。

「うーん・・・。あ、し、紫音?!」

なんと、もう帰ってしまったと思っていた紫音がそこにいた。

「おはようございます。夜は知り合いの所で過ごして、戻ってきたのですよ。迷惑ならば帰りますが・・・。」

「あ、帰らないで下さい。今日もお話をお願いします。」

紫音の尻尾を掴んで引き止める春華。シーツのしわにつまずき、体制を崩して転ぶ紫音。

病室に、昨日と同じ楽しい笑い声が響いた。

「それで、今日は何の話が聞きたいですか?」

「何だったら話をしてくれるの?」

「そうですねぇ。」

考え込む紫音。今ならば、言えば答えてくれるのかなと、春華が口を開く。紫音の事を話してほしいと。

考え込んでいた紫音が、一瞬驚いたように目を開いたが、すぐに元に戻った。

だが、先程より深く考え込んでしまった。

 やはり、聞いてはまずい事だったのだろうか。しかし、気になってしょうがないので、口が先に動いてしまう。

「駄目?私は紫音の事が知りたいな。」

少し意地悪かもしれない。でも、なんとなく楽しい気分だった。

たまには、友達とふざけあってたくさん話をして遊びたいのだ。

それが、喘息だからと言って、思うように今までいった事がない。

だから、紫音相手に言えた事が少しうれしかったりもする。

「・・・しょうがないですね。私ばかりが春華さんの事を知っているのも不公平ですからね。」

そういえば、そういう理由もあるなと今思い出す。

「私にも、春華さんと同じように親友がいるのですよ。」

「私のように・・・、ちよちゃんみたいな?」

親友と言われてピンとは来ないが、言葉に当てはめるとちよちゃんは親友になる。

自分が一方的にそう思っているのかもしれないが、その方が、少し寂しさがまぎれていい。

「私の親友、魅音と言う名なのですが、つい最近まで会話をする事が出来なかったのですよ。」

「会話が出来ない?」

「そうなんですよ。でも、今は会話できますよ。ある人のおかげでね。」

昨日の出来事のように思い出される。自分がこの手で記憶を消し、こちらの世界に戻した少女の事。

出会ったのは偶然だったと思う。役目で持っていたものを彼女が拾っただけなのだから。

「魅音はある人の言葉によって呪が解けたようなんですよ。その子は私にとっては親友と呼ぶに近い存在でしたよ。出会って短時間の間だけ過ごしたのですがね。私と春華さんのようにね。」

「そうなんだ。で、その人は今どうしてるの?」

「彼女は元気ですよ。今日も、ここへ来る前に見に行きましたから。まだ、私の事を思い出せてはいないようですがね。」

「・・・寂しいね。」

「しょうがないですよ。私が記憶を封じたのですから。見てはいけないもの、踏み込んではいけない場所へ行く。そういった場合にはそれなりの対処というものが必要なのですよ。今を守る為にという言葉によって。」

紫音はあの日の出来事を春華に話した。自分が呪によって猫の姿で過ごしている事を含めて、隠さず話した。





 話が終わった後、春華は小さな寝息を立てて眠った。

長い話病気持ちの子供には辛いものだったのかもしれない。

だが、一人で過ごす時間より、誰かと過ごす時間の方が楽しい。それで無理をしたんだろう。

紫音はもっと気をつけるべきだなと反省する。



 誰かが、話している。知っている声が何かを話している。

 誰と誰が何を話しているのか、知りたかったが、身体は重く動かなかった。目もまぶたが重くて動かない。


『 誰・・・だろう・・・。知っている声、そう、いつも聞く声・・・。せ・・・ん・・・せい・・・、お・・・かあ・・・さ・・・ん・・・。 』


自分がよく知っている声の持ち主。瞼を開いて眼で確認すればすぐにわかる。

だが、体が言う事を聞かない。何かを拒んでいるようだった。

何を話しているのかを知りたいが、どこかで知ってはいけないと拒否している。

 今はこのまま眠っていよう。次に意識が戻った時、目を覚まして動けるだろうから。

今焦っても、何もかわらないのだから。

 意識を手放し、だんだんと声が遠くなっていく中、母の泣き声が聞こえた気がした。






 病室の窓が開けられた。カラカラカラと誰かが窓を開ける音。なんだろうと、目を覚ました。

先程の事が嘘のように、身体は言う事を聞いてくれて起きる事が出来た。まるで嘘で夢だったかのように。

 窓を開けた犯人は紫音だった。今日も様子を見に来てくれたのだ。

昨日、急に疲れて眠ってしまったから心配したと言われた。

少し悪い事をしたなと思い、今度からは気をつけないとと、決意する。

「顔色、昨日に比べるとまだましになりましたね。」

「あ、昨日は本当にごめんなさい・・・。」

紫音は決して責める事はしない。ただ、哀しい思いを目に宿すだけ。きっと、親友の事を思っているのだろう。

過去に二人の親友を一度手を離してしまっている紫音。

忘れたとしてもどこかで相手は覚えていると信じて、だけど、このような事態になってしまった自分を責めている。春華もよく思う。自分がもっとしっかりしていて大切なものを見失い、失ってから気づくという事態。

春華も同じような経験をしているので少しはわかる。紫音ほど辛く厳しいものではないが、失うという恐ろしさは同じだろう。

 春華が無くした大切なもの。

それは今、何処にいるかもわからない、引っ越して連絡が取れなくなってしまった幼馴染。

別れの日、春華はけんかをし、仲直りも出来ないまま分かれてしまった。相手も、連絡先も何も言わずに行ってしまった。

何度も、どうしてあの時素直に謝ることが出来なかったのだろうと悔やんだ。

大切な幼馴染を失い、哀しみがわくが、別れの日の夜に一度大泣きをしただけで、その日からその事では泣かなくなった。

何故か、涙が出なかった。

親や相手を知っている友達や知り合いに連絡先を聞いて謝ろうと思えば謝れたかもしれない。

だが、それは出来なかった。今の自分は自分から謝れなくなってしまっていた。

相手が来てくれることを望んで待つだけで、何もしなかった。

いや、正確にはしたくなかった。

自分がもう時間が残されていない事を知ったから。

自分も相手にも哀しみを増やしたくなかった。

 結局、逃げたのだ。これ以上失う事に繋がるかもしれない事実から、目をそらして逃げたのだ。

 でも、やはり悔やんでいる。近付く本当の永遠の別れがそうさせる。

謝ろうと何度思っても、親には聞けず、今では心の隅であっちから来てくれると思い込んでいる。

お互い大切な幼馴染だったのだから、自分の事を知って来てくれると信じて日々を過ごした。

春華にとって大切な幼馴染。失う事を恐れ逃げ出してしまうほど、大切な幼馴染。

友人のちよちゃんとはまた違う、大切な人。

 出来れば、この体が動かなくなる前に、もう一度会いたい人。






 日は完全に沈み、病院内も消灯時間を迎えた。

まだ幼い春華は紫音が見守る中、小さな吐息と共に眠りについた。

「・・・また、私は友人から手を離して助けられないのでしょうか・・・。」

ため息をつく黒い猫。そこへ、別の影が姿を現した。

紫音のような猫の陰ではなく、人の形をした影。長い髪をなびかせた、すらりと背の高い、若い女性に見える影。

「・・・紫音、そんなに思いつめては駄目。人は、どんなに願っても、死という別れからは逃れられないのだから・・・。私達が死という形で生から逃げられないのと同じように・・・。」

「わかっていますよ。でも、私はいつも、後悔ばかりだなと思いましてね・・・。」

二つの影はゆっくりと眠る春華の側から離れ、窓から外へ出て行った。

誰にも気づかれず、スッと姿を消して去って行った。