水瓶の中には麻美が拾った白い綿のような物と、紫音が取り出した光の反射加減によって色が変わる、七色の星の形をした石を入れて水を張ってある。 これで、この夜空に星と雪が舞い降りるのだという。 「上手くいくといいね。」 「そうですが…。打ち上げますよ。」 紫音は麻美にはわからない言葉で何かを呟き、本などでよく見る、魔法使いの杖のようなものを何処からか取り出し、その先を水瓶の中央を差した。 「今宵、至福の風が舞い降り、星と雪の輝きで闇を浄化し、幸せが届きますように…。」 詩のような呪文を唱え、水瓶の中から七色の光と、白い粉が空に舞い上がった。 「わぁ、綺麗…。」 麻美が見たのは、さらさらと降る白い雪ときらきらと輝く小さな星が空と地上に流れる景色であった。 これが、紫音の今日の仕事であった。 この時、紫音がすごい魔術師だと確信した。 麻美がその景色に見とれていた時、紫音が口を開いた。 「すみませんね、今日は何か巻き込んでしまったようで…。」 申し訳なさそうに言う柴音。やはり、人間がこの世界での記憶を持って元に帰るのは禁忌なのだという。つまり、この記憶は自分の中から消されるのだという。 「…しょうがないんじゃない?だって、人間が紫音達を追い出したんでしょ?だから、思い出したくはないんでしょ?それに、都合のいい時だけ、頼られるのは嫌なんでしょ。最後には結局、裏切られるから…。」 その言葉を聞き、言葉が続かない紫音。 紫音も私から記憶が抜ける事は嫌なのだという。 せっかく知り合えた友達だと言ってくれた。それだけで、麻美はうれしかった。 二人は、長い塔の階段を下り、あの壁の前までやって来た。 「…ねぇ、知ってる?人間の世界で伝えられているお話。たぶん、私のおばあちゃんかそのおばあちゃんかが創った偽物のお話なんだろうけどね。」 「どんな話ですか?」 これがきっと、最後の会話となるのだろう。夜会が終わる時間が迫っていたのだから。 「友人を助けたくて、生命を落とした人がいてね、その人の死によって助けられた友人が哀しみと失う恐ろしさを学んで、今度は自分が助ける番だと、何か方法はないかと捜しに旅に出るの。それでね、友人はある町で一人の魔術師と出会うの。そして、初めて自分と友人がその魔術師と同じ者だということを知ったの。魔術師は、真剣な思いでぶつかる彼の願いを聞き入れてくれることになったの。」 思い出して話し出す麻美を見上げて真剣に話を聞く紫音。 自分と重なる部分があるのだろう。 真剣な瞳の奥には、その先どうなるのかという好奇心と不思議があるようだ。 麻美は、そのまま続けて話した。 「魔術師は永き眠りについたものの前に立って、呪文を唱えたんだって。それでね、死んだと思った彼が目を覚ましたらしいの。魔術師が言うには、助ける為に背負った代償が死ではなく、永い眠りだっただけらしくってね。喜んだ二人はお互い抱き合い、涙を流したの。その後、魔術師は何も言わず、気配も気付かれずに消えたらしいけどね。二人は、その後も仲良くやっていったらしいけど、今があるのは全て魔術師のおかげであるから、忘れないようにと、再び会話する事が可能になった日を二人の秘密の祈り日としたらしいの。その日、崇める神に今を与えてくれた感謝の気持ちと、あの魔術師と出会えたことに感謝して。またどこかで、その魔術師と出会える事を願って…。」 話し終えた。誰かが創ったような物語を。 「…なんだか、紫音と魅音みたいだよね?いつか、彼らのように、魔術師に出会えるといいね。」 麻美の眼から頬を何かがつたった。おかしいなと袖で拭く。どうして涙などが出るのか。 「最後にさ、聞いておきたいんだけど…。」 「…何ですか?答えられることならば答えますよ。」 一拍間を空けて、言う。 「これって、本当は現実なの?夢だと思ってきたけど、夢にしては何かね…。ま、夢でも現実でも結局は忘れてしまうようになっているみたいだから、あまり今知っても意味はないかもしれないけど。」 麻美が確認しておきたかった事。ずっと夢だとして片付けてきたが、自分の中で動く哀しみや喜びといった感情がはっきりしていて、夢にしてははっきりとしすぎていたのだ。 「…これは、夢ではありませんよ?麻美さんにとっては、私という存在を夢として消し、忘れてしまうようなものだったのですか?」 確かに、夢と言う事は忘れる事が多いため、紫音が言っていた人間の記憶を消して元に戻すということはわかる。 現実では、聞かされると怖いものであるため、どうしても夢として片付けてしまう。 だが、夢であれば、紫音は存在しないものとなる。 先程までの会話も、星と雪の景色も、全て夢で存在しないものとなる。 「…夢、と思ったりしたけど、夢だとしても、紫音は存在していると私は思うよ。だって…。」 「麻美さん、ありがとうございます。」 笑みを零し、頭を下げる紫音。存在があやふやなものほど、認められてうれしいものはない。 きっと、紫音は猫の姿を得る事により、過去の記憶を少しあやふやとし、己の存在を消していたのだろう。哀しい過去は人間も動物も猫も越えることは難しいのだから。 その後、麻美は紫音に頭をぽんぽんと二回優しく触れられた。もとの世界へ戻った時、記憶を封鎖するものらしい。 これで、麻美は紫音や魅音、賑やかな夜会のことを忘れるだろう。 「簡単な処置だから、麻美さんが忘れたいと思わない限り、完全に消えることはありませんよ。」 「じゃぁ、思い出すこともあるんだね?」 「そうです。人間に対しては、ほぼ簡単に記憶を封鎖するだけで忘れるので完全には消さないのですよ。本当のことをいうと、猫達も他の動物達も、皆どこかで人間のことを信じて、また昔に戻れる事を願っていますから。」 それを聞くと、少しうれしくなった。 人間が、誰か一人でも彼らのことを忘れなければ、彼らはいつでも隣にいるから会うことが可能なのだ。 |