その日、買出しにエステルとリタとカロルの三人が出かけ、ジュディもバウルと散歩と言っていなかった。 おかげで、家では久しぶりにユーリと二人きりだった。なので、ここぞとばかりに構ってもらおうと、ユーリの部屋へ乱入したレイヴン。 「青年っ!」 入った瞬間、手元にあったらしいまくらを顔に投げつけられた。これが綺麗にヒットし、別に本を投げられるのとは違い、痛いことはないが、地味に悲しい。 ガバッとまくらを掴み、ユーリの側まで素早く近づく。 「何するのよ。ひどいじゃないのよ。」 「・・・おっさんがうるさいからだ。」 「・・・ユーリ?」 少しばかり、反応が可笑しいユーリに、どうしたのかと眉を顰める。 すっと、おでこに手を当ててみても、熱はあるように思えなかった。 「何すんだよ。」 レイヴンの手を払いのけて、だるそうな目でレイヴンを睨みつける。 「ねぇ、どうしたの?」 「何が?」 「おかしいじゃない。何かあった?」 「・・・別に。ただ、だるいだけだ。」 本当にそうなのかと、心配そうにユーリの側でおろおろしていたら、苦笑したユーリがバーカと言ってレイヴンの頭を撫でる。 「本当に、何でもないんだ。ただ、だるいだけ。すぐに治る。・・・あいつらにはナイショな。」 「・・・わかった。でも、理由教えてくれないの?」 「・・・。」 素直に教えてくれるとは思ってない。そういう素直じゃないところも含めてユーリという人間で、いつかもっと仲良くなったら少しずついろいろ話してくれるようになってくれればいいと思っているから、今はそこまで求めていない。 だから、話してくれないと思ってただユーリを抱き寄せて、お返しに頭を撫でる。最初は嫌がったが、諦めたのか何も言わなくなった。 「眠いなら、寝た方がいいよ。」 頭を撫でていた手が、両目を覆いかぶせるようにやんわりと触れる。甘やかせやがってと、内心毒づきながら、不思議と自然に意識が遠のいていくのを感じて、一度だけレイヴンの腕を叩く。 「痛いよ、青年。本当、今日はどうしたの?」 「うるさい。・・・おっさんは黙ってろ。・・・黙って・・・。」 そこからの記憶がないのだから、たぶん寝てしまったのだろう。 そもそも、最初はラピードだけだった。 人とは違う存在のことを知ると、皆離れていった。それでも、両親がいたからおかしくなることはなかったと思う。 そして、両親がいなくなっても、ラピードがいた。 犬と同じようにしか答えないけれど、何となく言うことがわかり、何より人の言葉をラピード自身が理解しているようで、とても賢い犬だった。きっと、そっちの世界においても、賢い奴なのだろう。だから、必要以上に入り込んだりしない姿勢に、だけど黙って一緒にいてくれて、あの頃はラピードがいてうれしかった。 だが、最初からラピードがそちら側だとは気付かなかった。あまりにも犬らしくはないが犬だったからだ。 その関係が変わったのは、両親が亡くなってからだ。その時すでに仲良くなっていたフレンも心配してくれたが、ユーリは大丈夫だと言い張って、毎日変わらず過ごしていた。ラピードがいたから、大丈夫だったところもあった。 けれど、途中からラピードが犬ではないことに気付いた。もしかしたら、最初からわかっていたのかもしれない。けれど、ここへ引っ越す前のことで犬だと思いたかったのかもしれない。 そして、自分も常日頃からラピードはラピードという種族だと本人が思ってると周囲に言うように、実際そうだと認めることになった。 その日から、変わったのだ。また同じ事を繰りかえさない為、今度の人達は大丈夫だと思っても、言えずに隠したままにしていることがあった。 自分は人には見えざるものが見えるのだということ。 もう、あの頃ほど寂しいとは思っていない。そのつもりだったのだが、両親が死んでから、一人の時間が増え、静かな家にいると考えてしまうのだ。また、一人になるのではないかと。 ラピードがいるから大丈夫。そう思っていても、そのラピードが離れてしまうことだってあるかもしれない。ラピードだって、ラピードの事情があるだろうから。 ただ、ラピードは怪我をしていたところを見つけて連れ帰っただけ。何か懐いてくれているし、信用してくれているようだが、元々帰る場所がある奴だ。いつか帰るんだと思っていた。あの時であった白い鳥のように。 そのや先のこと、部屋にいた時ふと感じた気配に、眉を潜める。明らかな異変に、ラピードも気付いているようだった。そういうところは、やはりただの犬ではなく向こう側なんだと実感する。 部屋を静かに出て、その原因がいるであろう庭に出た。そこには、人ではないものがいた。 向こうから何か仕掛けてこない限り、ユーリは無干渉でいままでいた。だから、引っ越す前のところでも、害意がない限り、手を出さないし、怪我をしているのなら手当てだってした。 だが、今目の前にいる相手はそういう類の物ではないことが身をもってわかる。殺気を向けているのだ。明らかに殺したいという殺気を。 「うまそうな匂いのする人間だ。」 ラピードが唸り、飛び掛ろうとしている。 「うるせぇ。お前誰だよ。」 「今から死ぬ奴に知る必要などないだろう?」 「勝手に殺すな。」 「なら、こちらも勝手にお前を喰らうことにするよ。」 ラピードが飛び掛り、相手もこちらに飛び掛ってきた。 ユーリは手ぶらでなにも持っておらず、無防備だ。ラピードはユーリに手を出させないと、飛び掛って攻撃する。だが、ユーリはラピードが傷つく姿を見たくなかった。 「ラピードっ、伏せろ。」 ユーリは叫び、そのままそいつに飛び掛って切り倒した。 それでも、そいつはよけてこちらをじっと見た。 「お前、ハンターか。いや、もう一つあったな。古い一族。そう、あれは、ハンター同様の力を持ちながら、魔物に好かれる変わり者の一族。そう、生贄の一族。」 「人の家の前でうるさいのはごめんだぜ。」 「ふふふ、尚のこと面白い。」 そして再び飛び掛るそいつと何度か攻防を繰り返し、ラピードのフォローで捕らえた。 「終わりだ。」 叫び声をあげ、それは消えた。手に何も持っていなかったユーリの左手にはしっかりと一振りの刀が握られていた。 それがすっと消えてなくなり、ラピードが側に寄ってきた。 「ラピード。」 擦り寄るラピードの頭を優しく撫で、玄関に座り込んだ。 「さっきはありがとうな。」 少しだけ、顔が見えない。 「お前がラピードだという種族だと言い張るように、お前が犬ではないことはよくわかってる。」 ピクリと耳が動く。 「本当はあれ、誰にも見せるつもりなかったんだ。そう、誰にも。あれは、人にとっても、お前等みたいなのにとっても脅威でしかない。・・・お前、元々こちら側にいたんじゃないから、帰る場所、あるんだろ?」 帰らなくてもいいのかと聞く。今日みたいに、また人が襲われることになれば、最初に会った時のように怪我をするかもしれない。せっかく、怪我も治ってげんきになったのだから。 だけど、ラピードは帰る気配はなかった。手の甲を舐め、側にいるとユーリにはっきりと告げたのだ。 「そっか。・・・ありがとな。」 うれしくて、両親が死んだときも泣くことはなかったのに、何故か涙が出てきた。 そして、自然な成り行きのまま、ユーリはラピードと契約関係になった。その契約の意味をあまり理解しないまま契約関係になったのだ。 それからユーリは正式にラピードと相棒関係になった。周囲から犬と本当に意思疎通できてるように思われるほど、お互いをよく理解していた。 だけど、時々周囲の皆に黙っていることがあるのが心苦しい時もあったが、今では何故か契約人数が増えてすでにラピードを入れて9人だ。レイヴンにジュディ、カロル、エステル、リタ、イエガー、ゴーシュ、ドロワットと、はっきり言って多すぎる。しかも、かなり個性的な連中ばかりで、いろいろ大変だ。 あの時を思えば、とても賑やかで、静かな日々を忘れてしまいそうになる。だけど、いつも思うのだ。あまりにも彼等はユーリの実力に合うような奴等ではない。勿体無いほどの高位クラスの連中なのだ。だから、それに見合う奴を見つけて去っていくだろうと。 彼等はユーリのことが純粋に好きだからこそ、そしてそんなことはないと言って怒るからユーリ自身も口にしなくなったが、それでも今も思っている。 だけど、これだけ賑やかになった後では、もう戻れないかもしれない。 きっと、怖いのだ。あいつ等の自由にしてやりたいけど、それが契約主としての役割だと思っても、賑やかな日々が当たり前になってきたこの頃、あのころのような静かな日々は、確かに静かに過ごしたいときもあるが、きっと戻れない。 だから、どこかでこの毎日に慣れすぎるのが怖いと思っている。 皆出かけて静かな今日、そのことを強く思い出されてしまったのだろう。レイヴンに気付かれるほど、はっきりと顔に出してしまうなんて、自分もバカだと思いながら。 そこで、ふっと、意識が戻った。 「あら、起きた?」 どうやら、本当に寝ていて、昔の夢を見ていたようだ。しかも、寝る前の状況と同じまま、レイヴンが近い。 だが、それ以上にそのままだったことに恥ずかしさを覚える。こうやって、人のぬくもりを感じて眠るのは久しぶりだったから。両親がいたころでも一定年齢になったらもう一緒に寝ることはなかったから、何か暖かくて懐かしいのだ。 「悪い。」 「いいわよ。これぐらい甘えてくれた方がうれしいもの。」 ぎゅっと抱きしめる腕。両親が死んでからもうないと思ったもの。 「何が悲しくて、こんなおっさんに抱きつかれなきゃなんねーんだろうな。」 「ちょっ、それはないんじゃないの?ひどい。」 強まった腕の力に、苦しい。 「・・・なぁ、本当に俺で良かったのか?」 「何が?」 冗談はこれぐらいにしておき、夢で見たせいか、やはり聞いてしまうことを尋ねる。 本当にいいのか、と。何度も自問自答し、彼等とも言って何度も言われたこと。 「契約。」 ふぅと溜め息をつき、何故かピリピリした気配を纏うレイヴン。やはり怒った。これを聞くたびに彼は怒る。彼でなくても怒るが。 「まだ、それを言うわけ?」 「だってな。・・・俺じゃ力不足だろ。」 「そんなことないわよ。」 何度も言ってるでしょと子どもにいいきかせるように言うレイヴンに、それでも納得がいかないユーリ。 レイヴン程の奴なら選びたい放題なほど、相手がいるはずだ。何故自分なのか。確かに命の恩人だと言っていたが、それでも負に落ちないのだ。 「ユーリ、俺は好きだと言ったでしょ?」 「ああ。」 「気持ち、冗談だと、嘘だと思ってちゃんと受け止めてくれないの?」 「・・・正直、わからない。おっさんは女が好きなんだろ?」 かつて、一週間こことは違う地において見てきた幼い少年とかぶる。寂しいのに寂しいといわずに一人耐えて黙っていた少年と同じ顔をしている。 もう、今更手放すつもりはないのに、反対にいつ捨てられるかとこちらが怖いというのに、自分の魅力に無頓着な彼に苦笑するしかない。 「そんな顔、しないでちょうだい。」 「どんな顔だよ。」 「そんな顔よ。泣きそうにしながら泣かない顔。・・・確かに女の人が好きだけど、俺はユーリのことが好きなのよ。」 よしよしと頭を撫でながら、レイヴンは話を続ける。 「またその話をするってことは、何かあったの?」 「別にない。」 「そう?最近そのこと言わなくなってたじゃない。」 「お前等がうるさいから言わないようにしてた。」 「じゃあ、俺達の本気、ちゃんとわかってくれたのね。」 「はじめから、生半可な気持ちでは契約してない。だけど、おっさんも含め、皆、俺では役不足なんだよ。」 どうしてこう、自分を卑下してしまうのだろうか。 「じゃあ、昔みたいにおっさんにいろいろ話してみる?何でも聞いてあげるわよ。」 お望みなら鴉の姿でもいいわよと言ったが、ユーリは首を横にふるだけだった。 「そうね。なら、少し、おっさんの昔話を聞いてくれないかしら?」 肯定はなかったが、否定もなかったので、レイヴンは静かに話しはじめた。 少しだけ、知ってもらいたかったからかもしれない。ユーリに拘る理由を。 昔、ある男と女の間に子どもができた。女は一族一番の美女と言われ、誰もが求婚するも誰一人返事を貰えることはなかった。けれど、愚かな男はどこの世にもいるもので、無理矢理妻にしたてあげた。もちろん、女はいつも悲しそうにしていた。 何故女が誰の求婚も断り続けたのかということは、後に女の唯一人の親友が話したことで誰もが知ることになったが、当時は誰もどうしてなのかわからなかった。だから、無理矢理妻になり子どもを身ごもったことが悲しいのだと思っていた。何せ、愛してもいない男だったから。 そして、子どもが産まれた。だが、難産であった為か、女はそのまま息を引き取った。 生まれた子どもは男に少しだけ似た、羽先だけが少し黒い白の翼を持つ子どもだった。誰もがその翼に軽蔑のような目を向けた。彼等一族にとって白というのは忌むべき対象だったのだ。これは女の無念による呪いだと周囲に攻め立てられ、子どもの目が軽蔑の目まなざしに見え、男はとうとう狂い壊れ、自らを壊した。 その日から、子どもは一人きりになった。 周囲は誰一人子どもに手を貸すこともなく、同年代の子どもも気味悪がって嫌がらせをしたりいないものとして扱ったりした。子どもは誰も教えてくれない為に、一人で寂しいということを知らないまま、すでにその場所に居場所はないと知って一族の外へ出ることを決めた。 ただ一人きりだった子どもは時間と共に成長していった。けれど、本来様々な事柄を教えてくれるはずの親から何も教わることがなかった子どもは、何も知らずに今まで生きてきた。けれど、一人の人間と出会うことで変わった。 当時は初恋だと思った。初恋ということを知らなかったが、初恋の意味を知ったとき、これが初恋だと思うくらい、衝撃的な出会いだったのだ。けれど、これは後に初恋ではなくはじめてできた家族愛だったのだと知ることになるのだが、その人間によって愛情というものを知った。感情ということも知った。 だから、寂しいということも知った。 そして、大切で失いたくないものができることを知り、守りたいと思った。けれど、彼女は死んでしまった。人間はとても脆いものだと、改めて知った。 人との間で争いごとが起こるように、魔物同士においても争いごとは絶えず起こる。彼女と契約していた何体かの奴との争いに巻き込まれ、彼女は死んだのだ。契約していた奴は背後から刀を振り下ろされても動かずそのまま死んでしまいそうなほど、絶望で動けずにいた姿に、何と声をかけていいのかわからない。 それでも、争いは続いた。そして深手を負った。だが、何故か生き残ってしまった。何故彼女は死んで自分は残ってしまったのだろうか。どうして、必要とされる彼女がいなくて、必要とされない自分が残ったのか。変わりたいぐらい、後悔だらけだった。 彼女が死んでも終わることのない、争い。彼女の死は何だったのかと思うぐらい、簡単に忘れ去られていく過去になっていくことに、寂しさを覚えて数年がすでに経っていた。まだ、忘れられずにいる自分に苦笑しながら、それでも戦い続けた。 もちろん、表向きの仕事もあるから、そっちも忙しかったが、水面下では常に何かしらの争いが続いていた。平和なんてこと、いつもなかった。それでも、彼女の死からどうでもよくなっていたのかもしれない。どんどんと傷つけ、殺す術を覚えていった。道化を演じ、今の居場所を失わないようにただ動いていた。 そんなある日、へまをして深手を負った。もう駄目だと思うぐらい、傷は大きかった。ここで死ぬのか。あの時死ねなかった代わりかもしれないと、目を閉じた。 死ぬならそれでもいい。そう思った。けれど、こんな時に不謹慎にも過去が思い出され、彼女のことを思い出し、死にたくないという気持ちが溢れてくる。確かに、死んでもいいと思った。だけど、一人は寂しい。感情を知ってしまったからこそ、寂しくて死ねないのだ。誰でもいい。助けてと心の中で叫んだ。 「鳥?」 声が聞こえた。そして、人の子が近づき、身体を持ち上げた。 連れ帰り、手当てをしてくれた子どもは、笑顔を向けてくれた。それにどれだけ救われたことだろう。きっと子どもにはわからない。死にたいと思っていたのに、結局一人が寂しくて、死にたくないと思って、薄汚いこんな鴉を助けてくれて、向けてくれた暖かい心が嬉しかった。そして、彼女が言っていたことがわかった気がした。 一人きりだった自分は彼女に契約を求めた。だけど、彼女は自分と契約する人は別にいるといって、結局契約してくれなかったのだ。だから、寂しくて、死んだ後も悲しくてどうしたらいいのかわからなくて。 だけど、子どもをみて、子どもと過ごす日々で、はっきりとわかった。この子が自分の契約する相手だと。彼女が言っていたのはこの子だと。一人きりだった自分がやっとみつけた唯一人のずっと欲しかった大切な人。 毎日話しかけてくれて、だけど人一倍寂しがりやなのに素直になれない、少しだけ自分と似ていた子ども。寂しさを知っているから、側にいてあげたいと思った。自分を話し相手としてでもいい、必要としてくれたこの子ともっと仲良くなりたいと思った。 けれど、子どもは鳥だと思っている。実際はただの薄汚い鴉なのに。しかも、ただの鴉ではなく天狗で言葉も話せて、人からみれば化け物だ。だから、正体を明かせず、何度も話しかけようとしてできずにうずうずしていた。 しかし、別れは唐突に訪れた。一週間という夢の時間はあっという間に過ぎて、子どもは自分を外へ放った。もう怪我も大丈夫だろうからと。そして、はじめから子どもは自分がただの鳥ではないと知っていたような口ぶりで、驚いて言葉を返せずにいたら、そのまま窓を閉じられてしまった。動揺して反応が遅れたのは認めるが、これはいけないと思った。 返事を返さないことを、否定だと捕らえられてはいけないと、訴えかけようとした。だけど、今日は無理そうだから、きっと近々引っ越すこともあって、これが子どもなりの優しさなのだろうと思ってそのまま一度は戻った。元々、仕事のままであったから、上に連絡しなくてはいけないという理由もあった。 けれどすぐにそれは後悔に変わる。慌てて次の日戻れば、すでに子どもの姿はなかった。子どもは昨晩引っ越してしまったらしい。ここではじめて、昨日でなければならない理由を知った。ギリギリまで惜しんで一緒にいてくれて、何故気付かなかったのだろう。やっと、見つけたのに。失いたくない大切なものを見つけたのに、見失ってしまった。 きっと、出会った最初に見た笑顔で、すでに一目ぼれだったのだ。今度こそずっと一緒にいたい相手だったのに。彼女の死による後悔のように、繰り返したくなかったのに、また繰りかえしてしまうのか。人はとても脆くて簡単に死んでしまうのに、もう会えなくなるかもしれないのに。 自分のような化け物と呼ばれるような存在を知っていたのなら、まだ猶予があるはずなのに引っ越してしまうことが決まっているのなら、迷わず契約を申し出ていたのに。 全ては仮定にしかならないことだけれど、後悔ばかりが深く胸に沸き起こる。 子どもはもうここにはいない。けれど、ここで諦められるはずがない。やっと、やっと見つけたのだ。彼女の死のように、後悔したくないから、絶対見つけてやると決意を新たにその日は帰った。 一人で寂しがる君の側にずっといるから、一人寂しい自分の側にいてほしい。 あれから数年の月日が流れ、それでも見つからないあの子どもに、焦りと絶望が見え隠れする。だけど、やっと見つけた。思いもしない再会だが、自分の職場にあの子が入学してきたのだ。あの顔、笑顔、忘れもしない。やっと見つけた。 最初は渋っていた、あるお姫様を含めた行き場のない変わり者達を集めた少数クラスを引き受け、あの子を引き込んだ。それを条件にしたらそれでいいと言われたので、うれしかった。 あの時は鴉ですらなく、ただの鳥だったから、覚えてもらえてなくてもいい。はじめましてからはじめてもいい。 胡散臭いおっさんだと言われ、少しだけへこんだけれど、それでも一緒にいてくれるし、ちゃんと適当にあしらいつつも相手にしてくれる彼に、最後には守るつもりが反対に守られるほど強かった彼に驚きつつも、うれしかった。 だから、今度こそ、あの一週間の間にあの子どもが言っていた約束を守りたい。 「寂しいわけじゃない。一人でも大丈夫。お前みたいなのもいて・・・だけど、一人が寂しくて怖くなったら・・・そばにいてくれる?って、少年が言ったの。」 それを守りたい。こっちこそ、側に居て欲しいと思うけれど。 「覚えてねぇ。」 ずっと話を聞いていた青年はバツが悪そうにレイヴンから顔を逸らした。 「鴉はね、少年が何に悲しいのかその時わからなかった。けど、出会えて、一緒にいられてうれしかった。」 自分を必要だと言った男がいたけれど、それはあくまで自分の能力で自分自身ではなかった。彼女以外で、はじめて自分を見てくれたのはこの小さな少年、今は青年のユーリだった。 「ずっと、青年のこと、ユーリのこと好きなの。この気持ちに嘘偽りはない。だから、お願いだから否定しないで。簡単に受け入れてもらえることじゃないことはわかってるけど、否定だけはしないで。」 いつも女性が好きだと言っているが、あくまで平等に好きだというだけで、唯一人欲しいと思うのはユーリだけ。 「あと、俺達じゃ、頼りない?本心、話せない?大切だから、辛い顔、見てるとこっちも辛い。」 これが、居眠りする前の話に戻っていることにユーリは気付いていたが、答えなかった。 「昔みたいに鴉だったら、話してくれる?」 「だから、何でもないって、言っただろ?」 「じゃあ、なんでそんな顔をするの。」 好きだから、大事だから、心配になるのだ。あの時一緒にいられなかった後悔も大きい。 「ただ、静かだったから。最近賑やかになって、また静かな世界に戻れるかわからないなと思っただけだ。」 夢でみてしまうほど、静かで寂しい空間。だけど、ラピードがいたから大丈夫だった。最近なんて、毎日煩くて仕方ない。 「いつまでも、こんな毎日が続くわけじゃない。」 「そう?」 「あいつ等だって、もっと違う奴と契約するかもしれない。本当に、契約したい相手ができるかもしれない。」 あくまで、自分はクラスが同じだったというめぐり合わせに過ぎないのだ。 「青年、それって・・・。」 「別に、あいつ等のことを信用してないってわけじゃない。俺なんかには勿体無いぐらい言い奴ばっかりだ。まぁ、個性的過ぎるところもあるけどな。結構俺自身も気に入ってるんだ。今の状況をな。昔じゃ想像つかない状態になってるけどな。」 だからこそ、そのときがきたら、静かになったこの家で生活できるのか、自分ではわからない。どこか、怖いのだ。 ユーリの言葉に、レイヴンは愕然とした。少しは近づいているのだと思っていた距離が一向に近づいていないことを、今更ながら知ったのだ。 「俺様はずっとユーリを探して、やっと見つけたのよ?今更離れてあげないわよ。」 「どうだかな。」 「好きなの。本気よ?」 「それは否定しない。けど、冷めるかもしれないだろ?」 とても、悲しかった。どうしてユーリがそこまでして誰かを側におかないのか。自分では駄目なのか。 「どうしたら信じてくれる?どうしたら、一緒にいてくれる?」 「だから、信じてないわけじゃない。ただ、お前等強いだろ?俺みたいなの、最後には足手まといにしかならない。だから、強い奴のところの方がいいんじゃないかと思ってるんだ。」 彼等は強いからこそ、足手まといにだけはなりたくない。 「そんなこと考えてたの?もう、やーね。そもそも、ユーリ以上に強い人間、俺様生きてきて他に知らないわよ。まぁ、彼女も強かったけど、契約してないからずっと側にいたわけじゃないから、知らないことの方が多いのよね。とにかく、ユーリは強いのよ。だから余計に皆ユーリに惹かれたのよ?」 強い奴程強い奴に惹かれる。ここまで自分に疎いとは思ってもいなかった。そして、その考えからこんなにも距離が出ていることに気付けずにいた自分がバカだ。 「そもそも、契約主を守れない契約魔なんて、失格よ。さっきも言ったでしょ?彼女の死で契約してた奴等は全員絶望して生きる屍状態だったのよ。それに、俺様ってば、貰い手なくて引き取ってもらえてうれしいのよ?それもユーリだから尚更。」 だから、自分をそんなに卑下しないでほしい。皆ユーリが好きだから契約しているのだ。間違いなく、全員途中で目移りなんかするような連中じゃないことはわかっているから、独り占めできずに自分が少しばかり悲しいのに。 「ねぇ、やっぱりこんな鴉なんていらない?」 「ズルイ。」 一方的にレイヴンが話し、静かに黙っていたユーリが一言だけ言葉を返した。 「何が?」 レイヴンはユーリが捨てるなんてことしないとわかっていて聴き返す。こう聞いたら、確かにズルイだろう。わかっていてやっているのだ。 「そもそも、寂しがりやの少年を・・・青年を一人にはしないわよ。」 だから、これからも側においてくれませんか? そして、頬に触れるだけのキス。 「な、何すんだ。」 「何って、だから、何度も言ってるでしょ?一目ぼれですー好きだよー愛してるー。」 「ちょっ、何だよそれ。」 少しだけ焦るユーリが少しだけ面白い。 「何度でも言うわよ。信じてくれるまで。信じてくれた後も。そして、恋人にしてくれるまで。その後も。」 「・・・気の長いおっさんだな。」 「長い間待ち続けることに比べたら短いわよ。」 あの寂しい長い日々を思えば、今がどれだけ幸せなのか、ユーリにはわからないだろう。 「俺は・・・。」 ユーリも、さすがに退く気のないレイヴンに、元々話すつもりのなかったことを話した。かつて、見えることで周囲から気味悪がられたこと、避けられたこと、罵られたこと。 だから、ユーリ自身も白い鳥との出会いは救いでもあった。 「きっと今だと憧れだったのかもしれないけど、近所のお姉さんに初恋のような思いがあって、だけど、その日を境にして見る目が変わって、避けるようになった。」 悲しかった。あいつ等は何も悪いことをしていないのに。認めない周囲の人間も、避けられることも、悲しかった。 だから、近しい人を作らないと決めた。だけど、結局フレンという友人ができたわけだが、見える事に関しては隠しておいた。今もまだ、トラウマのような状態になっているから、隠していること後ろめたいところもあるが、話せずにいる。そして、特定の仲良い人も作らずにいた。 「だから、どれだけ言われても、俺はもう作らないって決めた。」 たとえ、人ではない奴等だとしても。見えることが前提である相手であっても。 仲良くなった後に離れるのは辛いから。 「おっさん、離れないよ。」 「確かにおっさんはしつこいよな。入学してからずっと。」 これでやっとユーリのことが知れたが、同時に尚更あの時一緒にいられなかった自分が悔しい。契約してもどこか距離があるのはきっとこのせいなのだろう。 しかし、レイヴンとて、理由を知ってもはいそうですかと素直に答えるほど大人ではない。ユーリをここまで追い詰めた原因に腹が立つが今は横においておく。 「じゃあ、お試しで恋人期間とかじゃだめ?」 「何だよそれ。一生恋人(仮)ってか?」 「それでもいいわよ。一歩前にいられるなら。必ず落とすから。」 「そりゃ怖いな。」 そう言いながらも、少しだけ笑うユーリに、大好きといて抱きしめる。 「今日から、改めてよろしくね。」 「ま、がんばれよ。」 「頑張るわよ。本気なんだから、覚悟してよね。」 この日から、恋人候補になり、少しだけ距離が近づけた気がした。
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