何処まで走ったのだろうか。なんとかあの木の集団の中から抜けられたけれど、日は暮れてしまって右も左もわからない。 それに、今頃気付いたかもしれない。追ってくるか。それとも放っておくか。どちらにしても、もうあの場所にはいられない。いたら自分がおかしくなってしまう。 さっきから、少しずつぱらつき始めた雨。走って火照った身体にはちょうどいい。 それに、雨が全て洗い流してくれたらいい。もう、何も考えないように。 「まだ・・・行かなきゃ。」 気付かれたら最後。放っておいてくれたらいいが、追いかけてきたらすぐに追いつかれてしまう。 とくに、志保がいたらいろいろうるさいだろうから、もっと離れないといけない。 「怒られるな。・・・風邪ひくって。」 さっきまでは火照って温かかったけれど、今は少し冷たいかもしれない。 歩いているから、さっきほど身体が温かくならないからだろう。それに、これだけ服が雨水を含んでいたら冷える。 「今・・・どこなんだろ・・・。」 歩いている場所も位置もわからない。 それからさらに1時間ほどが経った頃。 目の前にといっても結構遠くだが、人影が見えた気がした。気がしたというのは、そこから意識がないからだ。 膝をつき、その場に崩れるように倒れた。身体を起こそうにももう動かない。 新一が倒れた場所へ、その人影が近づいていった。 「く、工藤君?!」 駆け寄って身体を揺さぶるも、まったく反応がみられない新一の身体を起こして、急いで携帯で電話をかける。 「わかった。すぐに行く。」 相手はその言葉通り、二人がいる場所へすぐにやってきた。 「まったく。相変わらず無茶するところは変わっていないようね。」 「それにしても、どうしてこのようなことに?」 新一を見つけたのは白馬だった。 少し早いが、迷惑なお客さんを引き取る為にこちらへ向かっていたところだった。 「わかんねぇ。」 「でも、理由はあるはずよね。」 先ほどまでは熱があって苦しそうだったが、薬が効いてきたのか、だいぶ落ち着いている。 しかし、まだ一向に目を覚ます気配はない。 「で、あいつはどうした。」 「しっかりお灸を添えておいたわ。」 「では、もうしばらくしたら持ち帰っても問題はないのですね?」 「そうね。」 「まだやりたりないけど。」 まだまだやる気充分だが、それよりも新一の事が心配で途中で止めたのだ。 見つかったと聞いたときはほっとしたので、白馬も来ているということでお仕置きもかねていろいろやっていたけれど。 雨の影響があって何もなければいいけれどと思っていたら、案の定体調を崩して呼ばれたのが今の現状。 「ま、すぐに持ち帰らないでもよさそうですし。」 今はまず、原因を探しましょうかと立ち上がる白馬。快斗は側にいたげだったが、志保が無理やり引っ張って連れ出した。 「それで。原因は何もわかっていないのですか?」 「まったくね。彼だけは私でも見れないもの。」 「新一君が出て行った場所は下の階にある彼の部屋からよ。窓の外にある木を伝ってね。」 「黒羽君は気づかなかったのですか?」 「たぶん、ちょうどあいつを追いかけていた時だっただろうから。」 「そうですか。」 これでは、抜け出した経緯はわかっても原因や理由はわからない。 「・・・彼から、何らかのコンタクトをとったとしたら。」 「方角的には逆だから、逃がしたと?」 「囮?囮にもならない奴だわ。まだライバルの組織集団の方がしっかりしてるわよ。」 ずいぶんな言われようだが、実際は事実であった。 どうしてここを突き止め、侵入したのかはまったくわからないけれど。 「許した・・・そうなるのでしょうね。きっと、彼の誕生日の日に。」 「あいつなら来るだろうからな。」 「同じ思いを持つ者としてですか?」 「あいつと一緒にするな。反吐が出る。」 「そうですね。」 結局、何がどうして新一が抜け出そうとしたのかはわからないまま。 本人に聞くのが一番だろうけれど、その本人は眠っている。 その時だった。 「どうかしたのですか?」 「新一が目を覚ました。」 「・・・さすが、ですね。」 気を向ければわかるが、新一相手にはそんなに気を張ろうとしないから気付かない。 どちらかと言うと、外に気を張ってしまうから。 ガチャリ――― 扉を開けて、中に入る。 「気分はどう?新一。」 ゆっくりと首を動かしてこちらを見た新一。 表情からして、また体温が上がり、そのせいで目を覚ましたというところだろう。 近づいて、額に手を当てる。まだ、熱い。 「大丈夫か?」 どこか焦点のあってないとろんとした目。まるで何も映してないかのよう。 ただ、ぼんやりと動き話しかける自分に意識を向けているだけ。快斗として見てないかもしれない。 「・・・・・・・・・き・・・い。」 「どうした?」 話しかけても、瞳は閉ざされていく。 しかし、確かにもう一度動いた唇の動きから何を言っているのかわかった。 『つめたくてきもちいい』・・・それだけ、暑いのだろう。 「志保。」 「わかってる。」 熱を測って、熱を覚ます為に布で包んだ保冷材で冷やす。 「悪化しないように、しばらく見てて頂戴。」 「・・・。」 「邪魔者は退散しているのと、調べてくるわ。あと、おかゆを作って後で持ってくるわ。」 じゃあねと、志保達は部屋から出て行った。 残された快斗は、気にせず再び眠っている新一の顔を見ていた。 片方の手はあたたかい新一の手を握り、もう片方は額に手を置いて。 「まだ、熱いな。」 はやく、下がるといいのだがと思いながら、しばらくそうしていた。 次の日の朝。 「何をしているのかしら。」 冷たい目で紅子から見られても気にしない。 「まったく。黒羽君。病人に何をしているのですか。」 白馬も疑いの目で相手を見る。 それは確かにしょうがない。だが、快斗とて不可抗力なのだ。 同じ布団で新一を腕に抱いて横になっているということは。 「おかゆをとどけて、どうやら起きていないようだから食べていないのかもしれないけれど。」 あの後何をしていたのかしらと言われたが、快斗は素直に答えた。 「暑いの次は寒いと言い出して、身体を丸めて縮こまるから温めていただけだ。」 すると、震えていた身体はおさまり、規則正しい寝息と寝顔が見え、安心したのはつかの間のこと。 「俺としては手を出しそうで怖かったけどな。」 「手を出していたら容赦しませんよ。」 「同感ね。」 「うるせぇ。」 そう言っていると、腕の中にいる新一がもぞりと動く。 快斗は二人を睨みつける。さすがに起こしたとなれば二人も罰が悪そうにする。 そして、長い間見ていなかったのではないかと思える彼の蒼い瞳がこちらを見た。 ぼんやりとしながら、状況がわかっていない新一は目の前にいる快斗を見上げる。 「か・・・ぃと。」 「起こして悪い。・・・体調はどうだ?」 聞かれてもしばらく反応がなかった新一だったが、次第に頭が覚めてきたのか、少し驚いて慌てるといった仕草をしだす。 そういえば、新一の身体を抱きしめたままだったなと思い、腕を離すと、少し端へと逃げた。 「やはり、黒羽君。」 「貴方は彼にとっての毒でしかないようね。」 「待て。どうしてそうなる。」 快斗は二人に言い返そうとしたが、それよりも新一の方が気になり、舌打ちし、新一へと意識を向けた。 「新一。昨日。何があったの?」 「・・・」 ただ、下を向いて首を横に振るだけ。 「教えて。どうして、外へ出たの?」 問われても、答えられない。答えたらどうなるのか。まったくわからないから、答えられない。 「・・・。」 首を横に振って何も言わない新一に、目を細める快斗。 「・・・あいつか?」 やはり、あの男と何らかの接触があったのだろうか。 「あいつが何か言ってきたのか?」 新一に言うと、顔を上げて快斗の方を見た。その時、誰かの携帯の音が鳴った。 当たり前だが、音で誰のかわかる。動いたのは快斗。 新一に背を向けて、電話に応対する。 「おい、青子。今忙し・・・・・・・・・・・・なんだと。」 快斗の表情が変わったことから、白馬と紅子も顔を歪める。 彼女は知っているはずだ。快斗の仕事のことを。何より、彼女も少しだけこちら側に属す者だ。 いくら幼馴染という関係でも滅多にかけてこないということと、快斗の表情から何かあったのだと悟る。 新一は新一で、『青子』という名前に心当たりがあり、また下を向いていた。 快斗の幼馴染で、蘭とそっくりという女の子。怪盗を長年追い続けてきた刑事の娘。 彼は身近にその怪盗に繋がる者がいるなどと気付かずに、今日も仕事をしている。 だが、今の新一には警察のことより快斗のこと。 さっき言っていた『あいつ』は彼女のことではないかということ。 「お前、今俺は仕事中だとわかってるんだろうな。」 そんな快斗の言葉にあれっと二人は首を捻る。重大なことが起こったのかと思ったが、どうやら違うようだ。 「・・・わかった。紅子。」 放り投げて紅子へ渡し、悪態つきながらも、大切にしているのがわかるようなその顔を見せ、彼女には勝てないという白馬の言葉で、新一は快斗から視線をはずして沈み込む。 そんなことなど知らない快斗は新一の方へ向き直った。 話が中断して悪かったと詫びてから、もう一度だけ聞いた。それでも、新一は首を横に振るだけだった。 このままでは埒が明かないので、一度部屋を出ることにする。 青子がこちらへ来るということもあるが、新一の食事のこともある。 側には冷め切って固まっているおかゆがあるが、これを食べろとは言えないので、自分が食べて作りなおそうと思ったからだ。 だから、背を向けた彼等は気付かない。新一の様子が少しだけ変わった事に。 快斗達に気配が近くからなくなってから数分後。体調がまだよろしくないが、新一はまた抜け出した。 一階で、玄関に近い部屋だったので、今度は真っ直ぐ入り口までいけばなんとかなるかもしれないと思って。 そして、さっきとは違い、数十分ほどして入り口まできた。 誰もいないようなので、周りを見て外へ出た。このまま真っ直ぐ行けば町につくだろうかと考えていた時、かすかに聞こえる自分を呼ぶ声。 もう見つかったのかと思い、確認の為に振り返ると、入り口付近で予想外の人物がいつころに気付いた。 「服部っ!」 かなり苦しそうで、怪我をしているが、自分の姿を見て驚きながら起き上がろうとする服部に近づく。 「どうしたんだ?!」 こんなになって、何かあったのかと聞けば、途切れ途切れに話し出す。 自分を探してここまで辿り付いたらしい。そして、見つかってこうなったのだと言う。 それを聞き、自分の知らない間に大変なことになっていることに気付く。 両親が両親だし、お隣もこちら側だったので警察に関してもその他に関しても気にしていなかったけれど、この事態はいけない。 げほっと咳き込む服部に、早く医者に見せなければとどうようと焦る新一。とにかく町へ向かうべきだと立ち上がろうとしたところ、服部に腕を攫まれた。 「どうした?」 聞くと、まだ話があるという。 早くどうにかしたいのだが、そう言われたら行くに行けない。 「く・・ど・・・・・・無事・・・で・・・よか・・・・・・た・・・・・・ま・・・すぐ・・・・・・町・・・ある・・・さか・・・い。」 「服部っ!」 咳き込む服部にどうしたらいいのかわからずパニックになる新一。 その時、現れた影。振り返ると、そこには快斗が立っていた。まったく表情のない顔。 自然にわく恐怖。怖いと思ってしまった。やはり、彼は殺し屋なのだと思えた。 「こんなところで、何してるの、新一。」 腕を攫んで立ち上がらせ、腕に抱きこまれた。 「・・・っ、て、てめっ!」 それを見た服部が必死に立ち上がろうとする。 だが、それを快斗は蹴り飛ばし、服部は少し飛ばされて動かなくなった。気を失ったのだろう。 「快斗。何やってるんだよ。」 快斗の腕を振り解いて服部のもとへ行こうとする新一の身体を捕らえ放さない。 「快斗っ。服部がっ!」 「・・・そんなに、あの男が大事か?」 「あたり前だろ。あいつは・・・。」 そこまで言って、快斗の様子が変わったのに気がついた。 「快斗・・・。」 何の表情も浮かべていない。 「新一。」 名前を呼ばれて、その目で見られるだけで、動けなくなってしまう。 この場から離れたい。だけど、身体は動かない。 「別にいいけどね。でも、俺たちは俺たち。あいつはあいつ。身を置く場所が違うからね。」 確かに、彼の父親は俺たちを知っているけれど、知らないところを見ると信用されていないから、このまま町へ帰すからと言い、新一の身体を引き寄せて己の唇を重ねた。 最初は驚愕していたが、すぐに事態を理解し、必死に抵抗するが、息が出来ない状態のせいで、ついに口移しでおくられた液体を飲み込んでしまった。 「おやすみ。」 「・・・ぃ・・・。」 意識がだんだんと遠のいていく。まだ、話は終わっていないのに。だけど、身体は素直に眠りにつこうとした。 快斗はぐったりと意識を手放した新一の身体をしっかり抱き上げ、倒れている服部には目もくれず、屋敷へと戻って行く。 部屋に戻り、ベッドに寝かせる。今度は部屋から出ずに、側に椅子を置いて座って見張る。 二度も脱走されてしまったから、また消えてしまわないようにするためだ。 「見つかったのね。」 「ああ。」 「・・・彼だけは、私にはわからないのよ。」 「わかってる。」 それにしても、そこまであの探偵のことが大事で、ここから出ようとまで考えるとは。 解放してあげた方がいいのかもしれない。だけど、自分の側から手放せない醜い自分がいる。 新一の幸せと思っても、心は納得してくれない。 新一の幸せのためならば、自分はこの思いを隠し続けていこうと思った。 たとえ結婚することになっても、相手が女性、快斗も認めるほどの人、蘭や志保なら納得しただろう。 だが、今回外へ出る理由があの探偵ならば、快斗は納得できない。 確かに、立場上わかってはいるが、男には渡したくない。友人という関係であっても、男には渡せない。 長い間続いた片思い。簡単には諦められない。そんな醜い自分が最近とてつもなく嫌いだ。 「・・・新一。・・・俺が側にいるのは、お前にとって迷惑でしかないのか?」 その言葉に答える本人はいまだ眠りの中。 「二回も同じ失態をおかしたとしても、少しは寝ないと駄目よ。この前だって、仕事で忙しかったのだから。」 「わかってる。・・・わかってるんだ。でも・・・。」 「わかったわよ。気が済むまでそこにいたらいいから。ただし、倒れても知らないから。」 「・・・わかってる。」 それだけ言って、紅子は部屋を出た。それと入れ替わるように志保が入ってきて、簡単な食事を出してくれた。 体調管理ぐらい、ちゃんとして頂戴と言われた。そして、へましても今度は見ないわよとまで言われた。 だけど、それが彼女なりの心配の仕方だから気にしない。 「起きて話がついてからでいいから、一度顔を見せなさい。彼の診断できてないのよ。」 「わかった。後で。」 「じゃあね。」 志保は部屋を出て行った。 意識が浮上する。 「・・・あんな形でだが、キスしたには変わりない。」 「確かにそれはそうですね。」 「もう駄目だ。」 「弱気にならないで下さいよ。貴方らしくない。きっと話したらわかってくれますよ。」 ぼんやりとだが、視界に天井が映った。 すると、それにも気付いたのか、声をかけてくる。 「新一。」 「では、僕は失礼しますね。」 そう言って、白馬は部屋から立ち去る。 新一としては、さっきの声音とすぐに変わった快斗の声音が気になり、あんなことがあったために、顔をあわせづらいのでいてくれた方がありがたかったが、無情にも彼は出て行ってしまい、快斗と二人きり。 「大丈夫か。」 薬が異常に効く時があることを彼は知っているのだろう。 「・・・大丈夫。」 「そうか。ならいい。」 義務的な言葉。感情が見えない彼の言葉。放っておいてくれたらいいのに。どうして、何度も連れ戻しに来るんだろうか。 「突然、悪かったな。・・・・・・睡眠薬とはいえ、男と・・・。」 「別に・・・。あんなの、数に入らねーよ。」 「そうか。」 快斗から顔を背けて答える。 その態度が言葉ではないけれど拒絶されているようで辛い。 「困るのはお前だけだろ。」 「何がだ。」 「・・・なぁ、俺がここで一番偉いんだよな。」 「そうだな。」 「なら、『命令』だ。」 今まで命令しない彼だったので少なからず驚くが、次の言葉にいったいどうしてと内心焦る。 「俺は『ボス』をやめる。そして、その地位を『黒羽快斗』に渡す。」 相変わらず視線はあわせず、そう言い切る新一に、それほどまでに外に出て、自分から離れたいのか。そう思い込んでしまった。 「でしたら・・・今は私がボスですね。」 「ああ。」 遠くで、何かが切れるような音がした。 「なら、文句は何もありませんね。」 がしっと腕を攫まれて、再び布団に倒された。 衝撃を受けた際には目をつむってしまったが、次に目を開いた時に合った視線。 また、見た事がない快斗のもの。目線を離すことができない。そして、身体も動く事ができない。 「か・・・いと・・・。」 「新一がボスをやめたとしましてもね、優作さんから新一のことは頼まれているから、外に出ても制限させてもらういますからね。」 それに、ここを外で口に出されるのも困る。 「言う事聞けるように、躾けてやるよ。」 「やっ、かいっ・・・。」 「まだ、何も知らない綺麗な身体だからな。やりがいがありそうだよ。」 拒絶の言葉を聞く前に、唇を奪う。深く、息継ぎの余裕など与えず、抵抗する力が弱くなるまで。 気がつけば、ぐったりとして、意識のない新一がいた。 原因は一目瞭然で、やったのが自分だともわかる。 こんなこと、するつもりはなかったのに。思い出せば思い出すほど、身体が震えだす。 あの時、何と言った? 自分が彼に浴びせた言葉の数々が、鮮明に思い出される。 どうしよう。そう思ってもすでに遅いのはわかっている。 そこへ、ノックと共に中に誰かが入って来た。足音と気配から誰かわかっているから快斗は気にしない。 だが、入ってきた人物はそれどころではない。 「ちょっ、新一君っ!何してるの、貴方!」 体調が完全によくなったわけでもないのに、こんなに無理なことをさせて。 「ちょっと、頭冷やしてきなさい。」 彼女の言葉に、その方がいいかもと足を一歩前に出した時だった。 「大丈夫?」 どうやら、新一は目を覚ましたようだ。 弱く、呟かれた言葉。快斗の名前を呼んでいる。 だけど、どう顔をあわせていいかもわからないし、身体が動かない。 それを動かしたのは、新一。 ぐいっと、服の裾を攫む弱い力の手。そして、紡がれる言葉。 「・・・か・・・ぃと・・・・・・・・・いか・・・な・・・ぃで。」 行かないで。そう言ってくれるのか。まだ、そう言ってくれるのか。 独りにしないでと、まだ、側にいてもいいのだろうか。 嫌われるようなことを、突き放すようなことをあれだけ言ったのに。 しゃがんで、その手を握り返すと、少しだけ見せた笑み。 だけど、すぐに目は閉じられた。 「・・・半分、夢。というところかしらね。」 「新一。」 「・・・貴方、最近彼を独りにしてたでしょ。」 「・・・。」 「彼ね、一人で大丈夫、強く見えるけど、かなりの寂しがりやよ。」 あの家にいたら、隣に私がいるし、幼馴染も顔を合わせる。学校の友人や警察とも。 だけど、ここでは誰とも顔をあわせない。快斗以外とは会わなかった。 つまり、一人きりで、知らない敵でもある人間がたくさんいる場所で、落ち着けない場所。 「もしかしたら、ただ単に、誰かを探して外に出たんじゃないかしら。」 あの場所にいても、誰も来ないから。 それを聞いて、最近のことを思い出した。 新一と最後に目を合わせて合ったのは、いつだっただろうか。 仕事が忙しかったということもあるし、彼が寝ていたということもある。 守る。そう言っていたのに、そんなことにも気付けなかった自分が情けない。 その結果、いらいらして、怒りをぶつけて。 「彼は貴方を嫌っていない。・・・ちゃんと話をしなさい。」 また、手を出すようなら私が殺してあげるわと脅しを入れて、哀は部屋を出た。 すごく、怖かった。 快斗が快斗じゃなくなっていた。 ・・・あれが、一線引いていない彼の持つ感情の一つなのかな。 いろいろ言われた。でも、抵抗しても適わないし、何より、快斗を拒めなくなっていた。 もう、無理なことだけど、拒めない。 こんなことになって嫌だと思うと同時に、伝えられないことから喜んでいる部分もあったから。 それに、いつも距離を持つ彼が近くにいると思うと、どんな感情であってもよかった。 でも、もうどうでもよいのかもしれない。 嫌われていても、命令であっても、まだ、彼が側にいてくれるのなら。 目を覚ますと、彼の顔が近くにあった。どうやら眠っているらしい。 起きようにも、起き上がれず、痛みから何があったのかを思い出す。 でも、あれが最初で最後なら、別にいいかもしれない。 そんなに、長くは自分に構っていないと思うから。彼には、大切な人がいるから。 ただ、ずっと手を握ってくれていた。それが彼だったのがうれしかった。 夢の中で誰かが握り返してくれた。 それが快斗だった。今はそれだけでいい。これ以上、もういらない。 自分が起きた気配に気付いたのか、快斗のあの瞳が新一を映した。 「・・・新一。目が覚めたみたいだな。・・・体調はどうだ?熱でてたのに無茶して・・・。」 「・・・。」 なんだか、変わらない快斗に戸惑いが隠せない。 また、どこか距離という壁が作られてしまったように。 快斗は快とで、新一の熱はどうかとおでこに触れようとしたら、びくっと目を瞑って怖がられたように反応を見せ、それ以上手が伸ばせなかった。 やはり、傷つけ、無理やり奪っても何にもならない。わかっていたのに。 新一に否定されることが、快斗にとって恐ろしいこと。 「・・・悪かった。頭に血が上って・・・。もう、何もしないから、安心して。」 でも、そんなことを言って安心できるわけがないことぐらい快斗はわかっている。 これでは、話をしようにも進まない。やってしまったことは取り消せないが、快斗は焦る。 少し、哀が言うように頭を冷やしてきた方が良かっただろうか。 怖いなら、しばらく視界にも入らない方がいいのかもしれない。そう快斗は思い、部屋を出ようと新一に背を向けた。 「・・・まっ・・・。」 待って。いかないで。 快斗の服の裾をしっかりと攫んで、もう一方の腕で快斗の腕に飛びつこうとした。 けれど、痛みから急に起き上がったことでバランスを崩した。 それを快斗はしっかりと捕まえたが、どうしたらいいのかわからずにいた。 弱々しく、行かないでと、ぎゅっと腕を背には回さず、服を攫んでもたれかかる。 「言う事、聞くから。大人しくしてるから。・・・もう外に出て行かないから。」 行かないでと身体を振るわせる。 そんな新一の身体を抱きしめる。 「我侭だな。怖がって近づくのを恐れるくせに、行くなって。」 その言葉に、新一が服をつかむ手の力が緩んだ。 そして、離れようとしたが、快斗が許すはずがない。 「新一が望むなら、どこへも行かないよ。ずっと、側にいてやるよ。」 その言葉を聞いて、新一が快斗を押し返そうとする力がやんだ。 「・・・その言葉、聞けて良かった。」 不思議な、曖昧な笑みで快斗を見上げる新一。 「もう、大丈夫。・・・俺なんかの我侭、聞かなくていい。・・・か・・・黒羽さんは自由なんだから。」 命令で縛られぬよう、父さんにも言っとく。そう言うと、少しだけ快斗の様子が変わった。 「どういうことだ。」 「黒羽さん?」 我侭言わない。快斗を『日常』に帰そうとと思ったのに。まだ何か、あるのだろうか。まだ何か、彼を縛る何かを自分が持っているのだろうか。 「名前以外で呼ぶな。」 「でも・・・。」 「なぁ、どうしてだ。どうしてそう、俺から離れようとするんだ。そんなに、離れたいのか?」 彼は仕事の一環でしかない。でも、離れたくないと言えば、仕事としているだろう。 でも、もう無理だ。知ってしまったら。 彼には、行くべき場所があるのだから、自分の側にいることは、本来ないこと。 「新一には、迷惑なのか。俺が側にいることが。なぁ、新一。」 真っ直ぐ新一を見る瞳。いつもとは違い、どこか不安定なそれに、さすがの新一も困惑する。 こんな彼は見た事がなかったからだ。 そして、いったいどうして彼がこうなっているのかわからない。 「新一の側にいられないのなら、今の俺は意味がなくなるんだ。」 生きる希望も何もないあの日、出会った君に心を奪われ、惹かれていった。 そして、君を守る為に、強くあろうとした。君を守る事が、たとえ側にいれなくても、生きる理由だったから。 今、自分は君を守る。それも、こんなに近くにいる。 なのに、とても遠い。どんどん、離れていく。 「新一、俺を嫌ってもいい。でも、側にいることだけは許して。」 ずっとずっと、君が好きだった。好きなってもらえなくてもいいから、守りたかった。そして、側にいたかった。 「新一にしてしまったことは取り消せない。」 「別に気にしてない。」 「嘘だ。男に抱かれて、何も思わない奴なんかいない。」 普通ならそうだ。 「後悔しているけど、していないのも事実だ。俺はずっと、新一に仕えたいわけじゃない。側にいたいんだ。隣に立っていたいんだ。」 あの時の言葉の再現なのだろうか。ぼんやりと新一は思いながら、快斗の言葉の続きを聞く。 「はじめて出会った10年も前から、ずっと新一が好きだったんだ。」 ずっと言いたかった言葉。側にいることが出来て、触れそうになるこの手を押しとどめてきた。言葉も同じように。 だけど、もう、止められない。快斗自身もわかっていない。 快斗にとって、この10年間は、全て新一の為だけに。否定されれば、もう生きていけない。 あの頃と同じように、希望も何もない自分に戻ってしまう。 新一を腕に抱きしめて、泣きそうになりながらも泣かない快斗に、どこか冷静な新一は考えていた。 快斗と同じ気持ちでいたということなのだろうか。 あの時の意味はそういう意味だったのだろうか。 長い片思いの相手が、本当に自分なのだろうか。 恐る恐る、新一は快斗の背に腕を伸ばした。 「・・・お前に迷惑じゃないのなら。・・・側にいてくれるのなら。別にいい。・・・・俺は・・・・・・。」 最後の言葉。小さな声だったが、快斗には届いた。 「ありがとう。」 許してくれて、側にいさせてくれて。 そして、新一の気持ちを教えてくれて。 孤独な飛べない鳥にとって あの日の幼い少年にとって 幸せはほんの些細なこと |