kiss me... ―月に願いを―



 薄手のパジャマの上から毛布を被る。
 その手には熱いコーヒーが入ったマグカップ。
 ベランダに出た新一は、雲一つ無い夜空を見上げた。
 キンとした寒さが肌を突き刺す。
 一瞬だけ身体が震えたが、そんなことは気にしない。
 このままでは風邪を引いてしまうだろう。
 お隣の少女からお小言を喰らうに違いないが、自分がこんな行動を取っているのは、今頃二課の警部を相手にしているだろう男の所為だ。
 昨年もそうだったが、こんな日の夜に自分を置いて仕事に行くなんて。
 コーヒーを冷ましながら、新一はむぅ…と眉を顰める。
 1人には慣れているはずだった。
 小さい頃から、忙しい両親に甘えることなくずっと1人でがんばってきた。
 今日は隣に泊まると言っていた義弟が、この家に来るまで。
 そしてあの子が来てからも。
 1人っ子の自分にとって、義弟ができると聞いた時は本当に嬉しかった。
 けれど、その頃には己の感情や表情が凍結していたから。
 冷めた目であの子を見ていた自分を、今でもよく覚えている。


「今ではかけがえのない、大切な家族なんだけどな……」


 昔も今も、自分の感情はどこか壊れていると新一は思っている。
 特に、『あの頃』が一番ひどかった。
 そんな自分を好きだと言ってくれた男。
 ほとんどの感情を忘れてしまった自分に、根気よく好きだと囁いた、馬鹿な男。


『俺の気持ちをゆっくりと理解して、俺の体温にゆっくりと慣れてくれればいいから。俺は工藤の嫌がることは絶対にしない。俺の前では自然体でいてくれればいいんだよ』


 あの時は、彼の言葉が正直理解できなかった。
 けれど、その言葉が嬉しかったのも事実だ。
 その言葉があったから、自分は彼を好きになったのかもしれない。
 今ではそう思っている。
 おかげで、1人には慣れているはずだったのに、彼が傍にいないだけで心が不安定になってしまう。
 それを自覚したのは、皮肉にも昨年の今日。
 思い返してみれば…今の状況も昨年とまったく変わっていない。
 新一は自分の行動に対し、思わず苦笑を浮べてしまう。
 子供じみた行動。
 けれど、素直に口にすることができない。

――――行かないで。傍にいて。

 なんてことは、絶対に言えない。
 彼の信念を、曲げるわけにはいかないから。
 その言葉を口にしてしまえば、彼を困惑させてしまうから。
 それだけは、絶対に言わない。


「ま、聡いアイツにはバレバレだとは思うけど」


 微苦笑を浮べながら溜息を零す。
 外気の所為でぬるくなってしまったコーヒーを飲み干して、ベランダに置いてある小さなテーブルの上に置いておく。
 冷たくなった手に息を吹きかけながら、新一は空を見上げた。
 ぽっかりと浮かぶ満月の淡い光が、彼を照らしている。
 包み込むようなそれに、新一はうっすらと笑みを浮べた。
 月は白い衣装を纏う怪盗を守護するもの。
 その光を浴びていると、彼に護られているような気がする。


「俺って、もしかしなくてもロマンチストだったのか?」


 てっきりリアリストだと思っていたのに。
 自分の考えに笑みを浮べながらも、新一の視線は月に注がれている。
 静寂が広がる中、時折聞こえてくるのは隣から聞こえてくる声のみ。
 今日は少年探偵団たちが阿笠邸に泊まることになっている。
 そのため、義弟も隣で泊まることになったのだ。
 新一を1人にしたくないと渋っていたが、お隣の少女と一緒にそれを説き伏せた。
 義弟が、彼女と自分には勝てないことを知っていたから。
 ちょっと卑怯かな?とは思ったが、彼には友達を大切にしてほしかったのだ。
 友達は一生の宝物だから。
 そう考えて、新一の口元が小さく歪んだ。
 感覚がなくなってきた手が、小刻みに震えている。
 ヤバイ!と思った瞬間――――


「まぁたこんな所にいる。風邪引くから中で待ってなって、昨年も言っただろ?」


 囁かれると同時に、温もりが新一の身体を背後から抱きしめる。
 慣れた気配に安堵の息を零し、新一は体勢を変えて正面から男に抱きついた。
 真っ白なスーツに顔を埋めると、頭上から小さな苦笑が聞こえてくる。
 その声を聞きながら、新一は脳裏に浮かんだ光景を必死に消そうとした。
 しかし、手の震えは止まらない。
 思い出したくないそれが、彼の脳を浸食していく。
 回りが、見えなくなる。


「…ゃ…だ……」
「新一?」


 小さく頭を振りながら、掠れた声で呟く。
 訝しげな声が聞こえたが、新一の耳には届かない。
 白い衣装を纏ったままの快斗は、恋人の様子がおかしいことに、今更ながらに気づいた。
 背に回された手が震えている。
 胸に埋められた顔を強引に上げると、顔色は真っ青だった。
 自分を見上げる瞳は、しかしどこか遠くを見ている。
 快斗は舌打ちをすると、徐に華奢な身体を抱き上げた。
 部屋に戻り窓を閉めて施錠すると、ベッドに足を向けた。
 新一を抱き上げたままベッドの中央に座り込み、毛布を被ったままの彼に己のマントを被せる。
 そうして、向かい合うようにして新一を膝の上に乗せ、その身体を抱きしめた。
 傍にいるのは自分だと言わんばかりに。
 最初は抵抗した新一だったが、動きが緩慢になっていく。
 過呼吸気味だった呼吸も、正常に戻りつつある。


「……かいと?」
「ああ。大丈夫か?」
「ん。……取り乱してゴメン」
「謝ることじゃないだろ?でも、間に合ってよかった」


 新一が取り乱す前に帰って来れて良かった。
 見つめる瞳がそう語っている。
 おそらく、仕事の間ずっと新一のことを考えていたのだろう。
 その気持ちが嬉しくて、数十分前に感じていた不安と寂しさがゆっくりと霧散していく。
 しかし、快斗の背に回された手は未だ震えていた。
 こればかりはどうすることもできない。
 そう考えていると、ふと背中に衝撃を感じた。
 パチパチと瞳を瞬くと、視線の先には天井が見える。
 どうやら、ベッドに押し倒されてしまったようだ。
 覚束ない思考でそう判断し、自分を押し倒している恋人に視線を向ける。
 口元は笑っているのだが、藍色の瞳は真剣そのものだ。


「快斗?」
「また…思い出しちゃったのか?」
「…………」


 快斗の言葉に、新一は口を開かなかった。
 無言の肯定を受けた快斗は、少しだけ瞳を和らげながら新一の唇にキスを贈る。
 怖がらせないように、触れるだけのキスを繰り返す。
 何度目かのキスの最中、新一の腕が快斗の首に回された。
 口元にうっすらと笑みを浮べた快斗は、触れるだけの口づけを深いものに変えていく。
 舌を絡め合い、吐息をも奪う激しい口づけ。
 甘い声を上げながら、新一は恋人が与えるそれに陶酔していった。


「ん…っふ……」
「新一…1人にしてゴメン。でも、明日はずっと傍にいるから」


 クリスマスイヴの今日は傍にいることができなかったけれど。
 明日はずっと傍にいるから。
 耳朶に囁かれる言葉に、新一は小さく頷く。
 しかし、あることに気がつき、困ったように快斗を見上げた。
 キスのせいで濡れた蒼の瞳が、月明かりでキラキラと光っている。
 それに見惚れながら、快斗はどうしたのかと首を傾げた。


「あの…さ。明日、アイツらのクリスマスパーティに呼ばれてンだよ。俺とお前」
「アイツらって…少年探偵団?」
「ああ。今日から3日間、博士ントコに泊まり込んでんだ。今日はコナンも隣に泊まるんだけど……」
「そっか。でも、ずっと新一の傍にいてもいいよね?」
「…ん。傍にいてほしい」


 完全に甘えモードに入ってしまった新一は、快斗の言葉に素直に頷いた。
 可愛すぎだよなぁ…と快斗は内心でにやける。
 裏の仕事に行くときは、いつも言葉を飲み込んでしまう人。

――――行かないで。傍にいて。

 綺麗な瞳が無意識に語っていることに、快斗は気づいていた。
 言われたところで、それを叶えてやることはできないけれど。
 それでも、こうして甘えてくれることに喜びを感じてしまう。


「本音を言えば、もっと我が儘になってほしいんだけどねぇ……」
「?なんか言ったか?」
「手加減なしに新一を抱いたら、明日コナンと哀ちゃんに怒られるんだろーなって考えてたのv」
「……ちゃんと手加減しろよ?」


 子供たちとのパーティを楽しみにしている新一。
 ちょこんと首を傾げながらの言葉に、快斗は手加減できないかも…と内心で呟いた。
 しょうがないから、大人しく怒られますか。
 苦笑を浮べながらそう考えて、目の前の肢体に没頭していく。


「ぁ…んっ……」
「新一……」
「……かいとぉ」


 互いの名前を呼び合う。
 そうして、与えられる快楽に2人は溺れていくのだった。










「……貴方は手加減という言葉を知らないのかしら?」
「あはははは…………(汗)」


 呆れながらも冷めた瞳でそう言われてしまい。
 快斗は乾いた笑いを返しながら、視線を彷徨わせた。
 結局、快斗に手加減なし抱かれてしまった新一は、昼間になってようやく目を覚ました。
 パーティには間に合ったが、情事の痕を色濃く残す身体は言うことをきかない。
 気怠げな様子でソファーに座る新一に、コナンはおろか少年探偵団の面々も頬を赤らめている。


「新一お兄さん、前よりも綺麗になってない?」
「ええ。色っぽさが増してます」
「なんかうまいモンでも食ったのかなぁ?」
「……元太(溜息)」


 的はずれな元太の言葉に、コナンは思わず溜息を零した。
 食い物のことしか考えられないのか、コイツは。
 そう考えたのはコナンだけではないだろう。
 光彦も歩美も、呆れたような表情で元太を見つめている。
 当の本人は、向けられた視線に首を傾げていた。
 3人同時に溜息を吐き、気持ちを切り替えるために庭へと出て行く。
 今日のクリスマスパーティは庭でするらしい。
 テーブルの上には、色とりどりの料理が並べられている。
 半分はケータリングだが、残りの半分は快斗が作ったものだ。
 喜ぶ子供たちに笑みを浮べながら、快斗たちも庭へ向かう。
 快斗に抱き上げられた新一は少しばかりむっとしたいたが、大人しく彼に身を任せていた。
 博士が持ってきてくれた飲み物が全員に行き渡る。
 子供たちはジュースだったが、大人3人は安物のシャンパンだ。
 グラスを高く掲げ、それをぶつけ合う。
 カチンという音と共に、子供たちの楽しげな声が庭に響いた。


「「「メリークリスマス!」」」
「「……メリークリスマス」」


 満面の笑みを浮べる歩美たちに対し、コナンと哀は溜息を吐きながらのセリフ。
 それが照れ隠しだとうことは、新一も快斗も理解していた。
 お互いに顔を見合わせ、くすりと笑みを浮べながら。
 彼らはもう1度グラスをぶつけ合う。


「Merry christmas、新一」
「Merry christmas、快斗」


 言いながら軽く交わされる口づけ。
 もちろん、誰も見ていないことは確認済みだ。
 ただ、コナンと哀にはバレているだろうけれど。
 案の定彼らはそれを目撃し、呆れたような溜息を零している。
 しかし、新一が幸せそうな笑みを浮べているので、無言のまま料理をつまんでいた。


「ねえ」
「…あんだよ」
「『サンタクロース』になにをお願いしたの?」
「………。言わなくても分かるだろ?」
「そうね」


 突然の問いかけに、コナンは胡乱げな眼差しを送った。
 しかし、灰原はそれを気にすることなく、再び問いかける。
 少しばかり考え込んだコナンは、しかし答えを返すことはなかった。
 彼の言葉に即答した灰原は、快斗に抱きしめられている新一を見やる。
 自分たちの願いはただ1つ。
 けれど、それを願う相手はサンタクロースではない。
 白い怪盗の守護者である、月に願うもの。
 それは自分たちの願いであり、怪盗の願いでもあるから。
 だから、彼を見守る月に願いをかけよう。


 あの人が、幸せでありますように――――と。




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夏岐志乃香samaから頂いてきたクリスマスのお話。
コナン君がいて、キッドがいて、彼女もいて。
とくに最後の彼女の快斗への言葉が彼女らしくて好きです。
それにしても、風邪大丈夫なのでしょうか。この後拗らせなかったどうか・・・。
素敵なクリスマスのお話をありがとうございます、志乃香sama


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