kiss
me... ―始まりの日―
12月に入ると、東都タワーの下に巨大クリスマスツリーが設置される。 2年前から始まったそれは、短冊に好きなことを書いてツリーに飾ることができた。 まるで七夕みたいだと思うけれど、実際に願いが叶った人もいるらしい。 そのうちの1人である江戸川コナンは、茶色いダッフルコートにマフラー、手袋といった完全防備な姿でツリーの下に立っていた。 普段かけている眼鏡は、コートのポケットにしまわれている。 さらりとした黒髪が風に揺れた。 道行く人並みをぼんやりと見つめていると、視界に白いものが映る。 なんだ?と首を傾げ、空を見上げると―――― 周りの人たちから歓喜の声が上がった。 はらはらと落ちてくる、白いもの。 それは今年初めての雪だった。
「ホワイトクリスマス…か」
呟いて、そういえば…と過去の記憶を思い起こす。 昨年はイブに降ったけれど、2年前はクリスマスに雪が降っていた。 はらはらと降り積もる雪の中で、このツリーの下で。 コナンは恋人に出会ったのだ。
「懐かしいよなぁ……」
恋人に出会ってから丸2年。 想いが通じ合ってから丸1年経った。 その間、いろいろなことがあったけれど、今となっては懐かしい思い出だ。 ツリーを彩る、色とりどりの電飾が目に映る。 電気代、いくらぐらいするんだろう…と妙なことを考えながら、コナンはポケットに入れていた携帯を取り出した。 時間を確認すると、待ち合わせ時間を10分ほど過ぎている。
「ま、仕方がないか」
呟いて、携帯をポケットにしまった。 12月に入って恋人のスケジュールは一杯に埋まっていた。 だから、時間に遅れることは予想していたことで。 けれど…予想していても、少しばかりの寂しさを感じてしまう。 音沙汰のない携帯に溜息を零し、コナンは東都タワーを見上げた。 ライトアップされたそれに瞳を細め、ふと思案する。 再び携帯を取り出し、時間を確認した。 今日は大手財閥のパーティに呼ばれているはず。 金持ちに引き留められているのだろうと判断して、コナンはタワーの入り口に向かった。 どうせ、1時間ほど遅れるだろうと勝手に判断しながら。
コナンの姿がタワー内に消えた直後、足音を響かせながらツリーに駆け寄る青年の姿があった。 きょろきょろと辺りを見回し、苛立った表情で乱れた髪を掻き上げている。 しばらくの間待ち人を捜していたけれど、青年はふとタワーを見上げた。 苛立った表情が、少しだけ和らぐ。 乱れた息を整えた彼は、スマートな足取りで東都タワーに向かった。
展望フロアから見る景色はとても綺麗だった。 分厚いガラスに手をついて下を見下ろすと、キラキラと光るツリーの装飾がよく見える。 周りはカップルや親子連れが主で、こんな時間に1人でいるコナンは結構目立っていた。 しかし、当の本人は気にすることなく景色を眺めている。 ときおり浮かぶ笑みは、幸せそうでいてどこか寂しげだ。
(2年前の今日、俺たちはここで出会った。そして1年前のイブの日に、気持ちを伝えあった……)
俺たちにとって、ここは始まりの場所なのかもしれない。 分厚いガラスに額を押しつけて、コナンはぼんやりと考える。 ――12月25日は特別な日。 そう考え始めたのは、つい最近のこと。 それを口にすることはなかったけれど、恋人にもそう思ってほしいという我が儘な考えが浮かんだ。
「俺って、我が儘…だよなぁ…」 「どこが我が儘なんだよ」
ぼそりと呟いたそれになぜか返事が返ってくる。 慌てて背後を振り向くと、息を切らした恋人が少しばかり怒った表情で自分を見つめていた。 ――――なんで? 内心で呟いた疑問は、しかし彼に届いていたらしい。 少々乱暴な足取りでコナンに近づくと、黒羽快斗は小さな身体を徐に抱き上げた。 そうして、たった今歩いてきた道を引き返していく。 快斗の腕の中で、コナンは呆然と彼を見つめていた。 ――――なんで? もう1度疑問を呟く。 どうして、自分がここにいると分かったのだろうか? 地上から展望フロアを見上げることができても、人の顔を判断することはできない。 なのに、なぜ彼は。 いとも簡単に自分を見つけることができたのか。 エレベーターに乗り込んだ快斗は、無言のまま扉を睨みつけている。 他に人がいないため、静寂の中機械音だけが響いていた。
(怒って…るよなぁ…。やっぱり)
自分の行動が彼を怒らせた、という自覚はある。 待ち合わせ場所から姿を消して、1人でぼんやりと景色を眺めていれば、誰だって怒るだろう。
(だって、仕方がないじゃないか……)
子供の姿のまま1人でツリーの下で立っている。 それはやけに奇妙な光景で。 周りの人たちから好奇の視線を向けられていた。 別にそれが嫌だったワケではなくて。 ただ、寒い場所でぽつんと立っているのが嫌だったのだ。 それでも約束の、自分たちの始まりの場所から離れることができなくて。 だから、その場所を見下ろすことができるタワーに登った。 ……それだけのことだったのに。 コナンは顔を俯かせると、小さな溜息を零した。 そんなコナンを見つめる快斗は、内心の動揺が嘘のように引いていくのを感じていた。
仕事先の大手財閥の金持ちに引き留められてしまい、苛々しながら東都タワーへと急いだ。 しかし、待ち合わせ場所であるクリスマスツリーの下に、求める姿が見当たらなくて。 慌てて周りを見渡してみても、目立つであろう小さな子供の姿はなかった。 どうしたものかとタワーを見上げて、ふと聞こえてきた恋人の泣き声。 もしかして…と思いながら展望フロアに足を踏み込んで。 ようやく見つけた愛しい人は、背中に哀愁を漂わせながら景色を眺めていた。 途端に安堵と怒りが沸き上がり、無言のままエレベーターに乗り込んでしまったけれど……
(どうしてもっと、我が儘を言ってくれない?)
先ほど彼は、自分は我が儘だと呟いていたけれど。 快斗から見れば、どこが我が儘なんだと反論したくなる。 自分を振り回すぐらいのことをしてほしい。 気持ちを押し殺すのではなく、素直に気持ちを吐露してほしいのに。 強制するのは嫌だったから、彼がそれに気づくまでなにも言わないつもりだった。 ――――けれど。
(強引にいくしかないよな……)
そう決意すると同時に、エレベーターが地上に到着する。 相変わらず無言のまま、快斗はクリスマスツリーへと向かった。 ツリーの下まで来ると、彼は徐にコナンの頤を掴み、その唇を塞いだ。 驚愕に見開く蒼の瞳をじっと見つめたまま、深く貪る。 周りにいるギャラリーの視線は気にならない。 しかし、コナンは周りの視線に対し、敏感に反応していた。 離せと言わんばかりに肩を叩かれる。 それを無視して、濃厚なキスをなんども繰り返す。 ほどなくして、コナンの身体から力が抜けていく。 縋るように回される腕に内心で笑みを浮べながら、快斗は飽くことなく恋人の唇を堪能する。 舌を絡めるたびに、濡れた音がその場に響く。 キスに没頭しているコナンの耳に、それは届いていない。 うっすらと開いた瞳は、与えられる快楽の所為で潤んでいる。
「ん…ぁ……かぃ…と……」 「新一……」
欲を孕んだコナンの声が、快斗の下半身を直撃する。 彼が本心を語るまで、この場にいようと考えていたのに。 押さえることのできない欲求が、身体中を駆けめぐっていた。 快斗は名残惜しげに唇を離すと、タワーに面した通りでタクシーを拾う。 告げた行き先は近くのホテルだった。 茫洋とした意識の中で、コナンは恋人の名前を呼んだ。
「…快斗?」
しかし返事は帰ってこない。 無言のまま正面を睨みつけている快斗に、コナンは内心で溜息を零した。 まだ怒っているのだろうか……? せっかくのクリスマスなのに、なんでこんなことになったんだろう。 なんだか悲しくなってきたコナンは、浮かびそうになる涙を必死で堪えた。 ラジオから聞こえてくるクリスマスソングが煩わしくて、意識を遮断するかのように瞳を閉じる。
(こんなことになるなら、大人しくツリーの下で待っていればよかった……)
自分の気持ちを押し殺して、快斗を待っていた方がよかった。 そう考えて、コナンの顔がくしゃりと歪む。 ひゅっと息を呑み、溢れだしそうな嗚咽を噛み殺す。 震えそうな己の身体をぎゅっと抱きしめていると、顔に何かを押し当てられた。 何かと思いうっすらと瞼を開いて見ると―――― 目の前に見えるのは黒のタキシード。 快斗の胸に顔を押しつけられているのだと気づき、コナンの頭にハテナマークが浮かんだ。 彼の行動が理解できない。 心を沈ませたままの状態で恋人の温もりを感じる。 彼の体温を感じただけで少しばかり気持ちが浮上した。 現金だよなぁ…と苦笑を浮べながら、コナンは快斗の温もりを堪能する。 自分を抱きしめている腕が、よりいっそう強くなったような気がした。
「……ん?」 「お姫様、目が覚めましたか?」 「…ぃ…と?」 「おはよう、新一v」 「……はよ」
額に口づけると、温もりを求めて擦り寄ってくる愛しい人。 快斗は頬を緩ませながら、抱きしめる腕に力を込めた。 昨夜の不機嫌さはまったくない。 それどころか、ファンには見せられないほど相好が崩れている。
昨夜、ホテルの部屋に到着するや否や、快斗はコナンをベッドに押し倒してその身体を貪った。 普段は優しく愛撫し、トロトロになるまで溶かすけれど、そんな余裕はまったくなくて。 欲を吐き出しようやく落ち着いた頃、彼はコナンに問いかけた。 どうして自分の気持ちを素直に言わないんだ?――と。 その言葉に、コナンは一瞬だけ苦しげな表情を浮べた。 しかし、瞳に諦めに似た色を浮かばせながら、ぽつりぽつりと自分の気持ちを話しはじめた。 それを聞いた快斗は、馬鹿だなぁ…の一言でコナンの苦渋を一蹴。 むっとした表情を浮べる恋人に、満面の笑みを浮べた。
『新一は俺のことを束縛していいんだよ。お前はもっと素直になった方がいい。もっと我が儘を言っていいんだ』
その言葉が、沈んでたコナンの心を掬いあげた。 声を押し殺して涙を流す彼を、快斗はずっと抱きしめていた。 そうして、日付が変わる頃にコナンは落ち着きを取り戻した。 恋人の心音を聞きながら微睡んでいた彼だったけれど、ふと顔を上げて辺りを見回す。 どうしたのかと問えば、コートを獲って欲しいと言われ、ベッドの下に散らばっていた彼のコートを掴みそれを渡してやる。 すると、彼はポケットからピルケースを取り出した。 思わず訝しむ快斗に、コナンが苦笑を浮べながら答える。
『灰原からのクリスマスプレゼント。効力は服用してから1日だってさ』
それだけで、ピルケースの中身が何なのかを悟る。 解毒剤の試作品を飲んだコナンは、元の姿に戻った。 そうして、2人は朝までお互い熱を確かめ合い、今に至るというわけだ。
にやけならが昨夜のことを思い出していた快斗は、腕の中でごそごそと動く恋人に視線を向けた。 まだ完全に意識が覚醒していないのか、新一はぼんやりとした表情を浮べている。 身体中に散りばめられた紅い痕が、彼の白い肌に映えている。 鎖骨につけられたそれを指で辿ると、情事の名残を色濃く残す肢体はすぐに反応した。
「ちょっ…快斗ッ!」 「キスするだけだから」 「キスだけで済むはずないだろッ!…ぁ…ッ…」
甘い悲鳴を上げながら、新一は文句を言う。 今までの経験上、キスで済んだことはまったくない。 そのまま快楽に流されて、身体の奥に何度も快斗を受け入れた。 だから、腕を突っぱねてそれを回避しようとしたけれど。 肌に唇を落とされてしまえばぞくりと粟立ってしまう。 快斗の熱を欲してしまう。 強すぎる快感に、新一は思わず泣きそうになってしまった。
「かいとのばかぁ……」 「ゴメン。でも、今すぐ新一を感じたい」 「……ばか」
真摯な眼差しに見つめられ、新一は頬を赤く染めながら悪態を呟いた。 しかし、快斗の首に腕を回しそれを了承する。 俺ってばこの人に甘すぎるよなぁ…と思いながら。
「愛してるよ、新一」 「…俺も」
お互いの気持ちを確認し合い、誓うように口づけ合う。 額をぶつけ合って、笑みを浮べて。 啄むようなキスを繰り返す。 その合間に、昨日言えなかった言葉を囁いた。
「「Merry
christmas」」
自分たちにとってクリスマスは始まりの日だ。 この人がそう思っていなくても、自分がそう思っていればいい。 口にしなくても、彼なら自分の気持ちを分かってくれるはずだから。 再び自分の奥へと入ってくる人を抱きしめながら、新一は小さな笑みを浮べるのだった。
|