玄関へと続く廊下を行ったり来たりする子供がいる。
 大きな黒縁眼鏡を掛けたその子供は、イライラした表情で右の親指を噛んでいた。
 時折玄関を見つめては舌打ちを返す。
 その動作は1時間も前から繰り返されていた。


「黒羽のヤツ、なにやってんだよっ!」


 吐きだす言葉には大層な怒りが含まれている。
 ギッと大きな扉を睨みつけて、工藤コナンは再び舌打ちを鳴らした。
 同居人に連絡を取ったのは1時間前だ。
 仕事中なのは分かっているが、緊急事態なのだからしょうがない。
 どうにか都合をつけて帰るから、と言われて玄関の前でずっと待っているのだが……
 帰ってこない同居人に、コナンの怒りはMAXに近づいていた。
 ウロウロと廊下を往復する足は今にも駆けだしそうだ。
 しかし、リビングから聞こえてくる声により、その衝動をなんとか抑えることに成功した。


「灰原ぁ〜コナンどこいったんだぁ〜?」
「黒羽君の帰りを待ってるのよ」
「かいと?」
「ええ、貴方の旦那を待ってるの」
「……そっか」
「くどーっ!黒羽なんか待たんでええから!」
「そうですよ!僕たちが側にいますから!ほら、もっと飲んでください」


 ――成功したが。
 その努力はすぐさま泡となって消え失せてしまった。






   
世界に一つだけの花






 握りしめた拳がフルフルと震えている。
 今すぐリビングに戻りたいが、同居人が帰ってくるまで戻ることができないでいた。
 なぜ自分だけがこんな場所にいなければならないのか。
 しかし、この場を離れてリビングに戻ってしまえば、最愛の義兄の側にいられなくなってしまう。
 なにせ、コナンをこの場に留まらせているのはお隣の少女なのだから。
 彼女に逆らうことは死を意味する(
途中で助けが入ったが体験済み)
 それ故に、嫌々ながらも彼女の言うことを聞いているのだ。


「……俺がこんな目に遭うのは絶対に黒羽のせいだ。アイツが新一の傍を離れて仕事に行くから、灰原の機嫌がすこぶる悪いんだ」


 彼女の機嫌は現在も急降下している。
 おそらく、これ以上は下がりきらない所までいっているだろう。
 背後には紅蓮の炎が揺れており、部屋の気温はアラスカ並の寒さだ。
 それに気づいていないのは天然な義兄と、彼女の不機嫌の原因である黒いトリと白いウマの3人だけ。


「新一が気づかないのは分かるけど、アイツらが気づかないっつーのは馬鹿だっていう証拠だよな」


 まったく、そんなんで探偵なんか名乗ってるんじゃねぇよ。
 ぶつぶつと呟くコナンの八つ当たりの矛先は、どうやら彼らに変更されたらしい。
 どうしてくれようか…と物騒なことを考えはじめたようだ。







 コナンにとって、義兄である工藤新一の存在は絶対だった。
 彼は工藤の養子である。
 生まれてすぐ孤児院に預けられたのだと、先生に教えられた。
 このまま中学を卒業するまで孤児院で暮らしていくものだと思っていた、5年前。
 現在の両親である工藤夫妻によって、コナンは工藤家に引き取られたのだ。
 自分が捨てられたのだと知ってからのコナンは、少しだけ人間不信に陥っていた。
 そのことを教えられていた優作の一言により、3人は1週間だけホテル暮らしをすることになった。

『まずはコミュニケーションを取ることからはじめよう。ゆっくりでいいから、私たちに歩み寄ってほしい』


 そんなことを言われたのは初めてだった。
 人間不信のうえ人見知りの激しいコナン。
 しかし、人を見る目だけは誰よりも厳しかった。
 どうせこの人達も自分の本当の姿を知れば、すぐさま自分を手放すに違いない。
 そう思っていたのだが、工藤夫妻は今までの大人とはまったく違う存在だった。
 短い期間で彼らの愛情の深さを知り。
 自分のことを心の底から大切にしてくれていることを知った。
 この人達の子供になれば、ずっと憧れていた『家族』というものを手にすることができる。
 彼らと過ごす最後の日に、コナンは小さな声で「お世話になります」と呟いたのだった。

 そうして連れて行かれたのはバカでかい洋館。
 幽霊屋敷を思わせるそれは、しかし中に入れば綺麗に磨かれていた。
 リビングに入りソファーに座らされて。
 渡された水色のマグカップにはオレンジジュースが溢れていた。
 コナン専用のマグカップだと言われて、どれほど嬉しかったことか。
 照れも相俟ってむすっとした表情でそれを飲んでいると、廊下から聞こえてくる二つの声。
 一つは玄関を上がると同時に二階へと上がってしまった、工藤優作のもの。
 ではもう一つは?
 首を傾げていると、声の主達がリビングへと入ってきた。


「お〜ろ〜せぇ〜〜〜〜!」
「以前よりも軽くなってるのはどういうことだい、新一?」
「そんなの知るかぁ〜〜〜!」
「新ちゃんったら、また推理小説に夢中になってご飯食べなかったんでしょう。哀ちゃんにバレたら怒られるわよ?」
「灰原には昨日バレた。つーか、いい加減降ろせよ、親父!」


 優作に片手で抱き上げられている、細身の少年。
 どこか中性的な容姿は、ヘタをすれば女の子に見えてしまう。
 ジタバタと暴れる少年を平然と抱き上げたまま、優作は眉を顰めていた。
 コナンの向かい側のソファーに座る有希子は呆れた表情を浮かべている。
 いい加減にしろと叫ばれて、優作はしぶしぶと少年を抱きしめる腕を解いた。
 とん…と床に足をつけた少年は、呆気にとられているコナンを見てきょとんと首を傾げた。
 その瞳の色に吸い寄せられてしまう。
 自分を見つめるその色は、天上の蒼。
 コナンの瞳の色も青い色をしているが、少年の瞳はそれ以上に綺麗だった。


「ああ、キミがコナン君?俺はキミの兄貴になる工藤新一。よろしくな?」
「えっ…?あ…よろしく、お願いします」
「最初はとまどうこともあるだろうけど、ゆっくり慣れていけばいいからさ」


 ぽん…と頭に手を乗せられて、にっこりと笑みを浮かべる義理の兄。
 その笑顔にコナンの顔は茹で蛸のように真っ赤に染まってしまった。
 見惚れるほどの綺麗な笑顔。
 その日以来、新一の存在はコナンの唯一無二の存在になったのだ。







 それから5年後。
 当時5歳だったコナンは10歳になり、新一は21歳になった。
 4人で暮らしたのは最初の1年間だけ。
 その後、工藤の両親はロスへと戻ってしまった。
 2人だけの生活が再スタートされてから2年経ったある日。
 新一を独り占めしていたコナンにとって、強力なライバルが現れた。
 それが現在の同居人である黒羽快斗である。
 彼が新一のことを狙っているのはすぐに気がついた。
 新一を見る目が、自分と同じだったのだ。
 速攻で撃退しようとしたのは言うまでもない。
 ――――しかし。
 コナンの唯一である新一が、快斗の気持ちを受け入れたから。
 快斗の溢れんばかりの愛情を受ける新一が、とても幸せそうだったから。
 だから、コナンは快斗を新一の恋人として認めたのだ。
 そして同居(
快斗は同棲だと言い張っている)も許した。
 ただし、水面下では新一争奪戦が行われていたけれど。


「…なに回想してんだよ、俺は」


 いつの間にか廊下の真ん中で立ち止まり、過去の記憶に浸っていた。
 我に返ったコナンは、苛ついたように舌打ちする。
 そこへ聞こえてくる、バイクのエンジン音。
 待ち人がようやく帰ってきたらしい。
 コナンは数秒後に開かれるだろう扉の前で、仁王立ちになった。
 彼の予想通り、エンジン音が消えてからほんの数秒後。
 盛大な音を立てて扉が開かれる。


「新一ッ!」
「遅ぇんだよ、黒羽」


 入るなり義兄の名前を叫んだ快斗へ、超絶不機嫌な声を投げつけるコナン。
 思わず立ち止まる快斗だったが、玄関にある2足の靴を見て、慌ててリビングへと駆けていく。
 これでようやく自分の役目から解放される。
 脱力したように安堵の溜息を吐いて、コナンもリビングへと戻っていった。
 そこで繰り広げられていたのは―――――


「かいとぉ〜おかえりv」
「ただいま、新一v」


 バカップルのラブラブな会話だった。
 酒の飲み過ぎで酔っぱらっている新一は、快斗の腕に抱き込まれてふにゃりと笑っている。
 快斗はといえば、恋人の可愛さに相好を崩してにやけきっていた。
 慣れた光景とはいえ、やはり快斗にはムカついてしまう。
 それは傍観していた灰原も同じらしく、無表情ながらも瞳は快斗のことを睨みつけていた。
 ちなみに、トリとウマは快斗がボコったらしく、部屋の隅で意識を失っている。
 こういう時に、黒羽の存在は便利なんだよな。
 本人が聞けば「ひどいっ!」と泣き真似をするだろうセリフを、心の中で呟いた。





「哀ちゃん、コイツらどうする?地下室に運んでおこうか?」
「そうね、そうしてくれるとありがたいわ」


 新一の無事を確かめ、ひとしきりその温もりを堪能したのか。
 満足した表情で問いかける快斗に、灰原は頼むと頷いた。


「かいと?」
「お隣に行ってくるから、ちょっとだけ待っててね?すぐ戻ってくるからさv」
「……やだ」


 離れていこうとする腕を掴みながら快斗を見上げる新一。
 酔っているために潤んだ瞳は、情事の最中を思わせる。
 今すぐ襲いたい衝動を必死で抑えながら、快斗は甘い声で恋人に囁いた。
 だが、新一は快斗の服をぎゅっと握りしめたまま離そうとしない。
 ぷくぷくと頬を膨らませて、上目遣いで恋人を睨みつけている。
 男とは思えないその色気と可愛らしさ。
 快斗がノックダウンされたのは言うまでもないだろう。
 しかも―――――


「ねぇ、かいとぉ……。えっちしよ?」
「しししし…新ちゃんッ!?」


 こきりと首を傾げる新一からのお誘いに、思わずどもってしまう快斗。
 ポーカーフェイスが思い切り剥がれている彼を見るのは、久しぶりだった。
 久しぶりに珍しいものを見たと灰原とコナンは瞳で語り合う。


「哀ちゃ〜ん、この人どうにかしてぇ〜〜〜(涙)」
「酔っぱらいの言うことは聞くものよ、黒羽君」
「う゛〜〜〜。アイツら運ぶの、明日でもいいのかな?」
「工藤君が貴方を離さないんだから、しょうがないでしょう?明日の昼までに運んでちょうだい」
「了解しました……」


 とりあえず灰原のお許しが出たので、快斗は唸りながらもほわほわと笑みを浮かべている恋人を抱き上げる。
 それが嬉しかったのか、新一は快斗の首に腕を回し、逞しい胸にすりすりと頬を擦り寄せた。


「――――ッ/////」


 瞬間、快斗の理性の箍が音を立ててぶち切れた。
 すごい勢いでリビングから出て行きバタバタと階段を上っていく。
 バンッと扉を閉める音が聞こえ、少しして静寂が戻ってきた。
 今頃、快斗が我慢できないとばかりに新一を愛しはじめていることだろう。


「なんか…疲れたのは気のせいか?」
「気のせいじゃないでしょうね……」


 ぐったりとソファーに凭れ溜息を零す2人。
 異常に疲れたような気がするのは、誰の所為なのだろうか。
 冷めたコーヒーに口を付けながら、灰原はコナンを見やった。


「貴方、よく一緒に生活してられるわね。胸焼けしないの?」
「いい加減慣れた。それに、新一が笑ってくれるならそれでいいんだ」
「そう…ね。黒羽君と恋人になってから、本物の笑顔を見せてくれるようになったわね……」


 高校生1年の頃から探偵なんていうものをしていた新一。
 人の心の暗い部分を暴いてきた彼は『笑顔』という感情が欠けていた。
 初めて出逢った時に見せてくれたのは作り物の笑顔だと気がついたのは、家族になってから2年後のこと。
 彼の笑顔を取り戻したくて、コナンも色々とがんばったのだが……
 結局、新一の笑顔を取り戻したのは恋人である快斗だった。
 それを悔しく思うコナンと灰原だったが、新一が笑っている姿を見るとそんなことはどうでもよくなってしまうのだ。
 彼らにとっても、快斗にとっても。
 工藤新一は命よりも大切な存在なのだから。


「とりあえず、今日は大人しくしておきましょう。工藤君が珍しく本音を零したんだから」
「そうだな。新一のために大人しくしとくか」


 灰原の言葉に頷いたコナンは、恋人によって丹念に愛されているだろう義兄の幸せそうな表情を思って、うっすらと微笑を浮かべるのだった。










「…ん…ふぅ……」
「新一……大丈夫か?」
「ん…へーき……」


 乱れた息を整いながら答える新一の唇を軽く塞ぎながら。
 快斗は新一のナカからゆっくりと自身を抜いていく。
 思わず縋り付く恋人に苦笑を浮かべてしまう快斗。
 抱き合うようになってから2年も経つというのに、新一がその感触に慣れることはなかった。
 自分のナカから快斗がいなくなると、新一はほぅ…と息を吐く。
 同時に瞼が重くなってきた。


「新一?眠いの?」
「ぅん……」
「シャワー浴びに行くけど、眠ってていいから」


 頬にキスをしながら囁くと、新一はすぐさま寝息を立ててしまった。
 酔っぱらったまま激しい運動をした所為で、疲れてしまったのだろう。
 ちょっとがっつきすぎたかな?
 少しだけ反省しながら、眠ってしまった身体をそっと抱き上げる。

 部屋を出てシャワールームに向かい、くったりと身を任せる新一を抱きしめたままシャワーを浴びる。
 自分を受け入れた新一の秘所から、己の放ったモノを洗い流していく。
 全てを流してさっぱりすると、恋人の身体をバスタオルで包み込んだ。
 再び抱き上げて、新一の部屋へと戻っていく。
 お揃いのパジャマを着込み、愛しい温もりを抱きしめてベッドに入り込む。
 聞こえてくるのは穏やかな寝息。
 彼が自分の前で無防備な姿を見せてくれるようになったのは2年前からだ。
 恋人同士になるまでは、笑顔さえ見ることができなかった。


「懐かない猫を飼ってるみたいだったけどね……」


 くすりと笑えば、温もりを求めて快斗の胸に擦り寄ってくる、愛しい人。
 時間をかけてゆっくりと自分の体温を馴染ませていった。
 何度も愛してると囁いて、ようやく受け入れてくれた時には涙が出るほど嬉しかった。
 この存在を手放すことなんてできない。
 コナンや灰原が新一のことを己の唯一と定めているのは知っている。
 でも、彼ら以上に新一を求めているのは快斗だ。
 腕の中の存在がいなければ、息をすることもできない。


「それだけ愛しちゃってるんだけどね」
「ん……かぃ…と……」
「愛してるよ、新一」


 自分名前を呟く新一の唇に口づけながらそっと囁く。
 すると、彼の口元が綻んだように見えた。
 もう一度口の端にキスを落として、快斗はゆっくりと瞼を閉じる。
 愛しい人の温もりを感じながら、彼は睡魔に身を委ねるのだった。








10000hit記念フリーSSです。
1ヶ月ちょっとという期間の間に、10000hitを迎えることができました。
これもサイトに訪れてくださる皆様のおかげですv
どうもありがとうございます。
今回の駄文は、快新
コという具合ですね。
つっこみどころが満載なのですが…さらっと流して頂けるとありがたいです(汗)
こんな駄文ですが、よろしければお持ち帰りくださいませv

2004.09.06  夏岐志乃香



     コメント

 夏岐志乃香samaから頂いてきた、10000HITのフリーです。
 10000HITおめでとうございますと同時に、どうもありがとうございますでしたよ。
 コナン君が別に存在しているお話。こちらは快斗とキッドが分裂する事はありますが、ないお話だったので、新鮮で楽しかったです。
 読んだ事はありますけどね、確かに。
 それにしても、新一さんが怒っていたけど甘えて可愛い。
 本当にどうもありがとうございます。



   戻る