誰も失いたくない。 誰もがそう思う。 そうやって足掻いて、最後に掴むものは何か。 希望か、それとも絶望か。 それはわからない。 けれど、私は大切な日々の記憶を取り戻した。 何も知らないままでいた方が幸せだったのか、わからないけど。 大切な誰かを失うこと以上に、存在そのものを忘れてしまうことの方が、私は辛い。 だから、記憶が戻って、彼等がどう思うかはわからないけれど、私は戻ったことに良かったと思えるのだ。 秘め事の記憶 目が覚めると、いつもの自室とは違い、どこだろうとぼんやりとした頭で考えた。 「あ、目が覚めた?」 「・・・快・・・斗・・・さん?」 彼がいるのなら、私が見間違いなだけで、ここは工藤邸なのだろうかと思った瞬間、すぐに状況を思いだし、身体を勢い良く起こして快斗に掴みかかった。 「おじ様は?あと、里杏と紫闇!それに山宮さんはどこ?!」 優希の様子に苦笑しながら、そっと掴む手を解くように外し、真っ直ぐ優希を見て言った。 大丈夫、と。落ち着いてごらん、と。 彼等は皆、消えてなくなってはいないから。 「皆、下で朝食を食べてるから、着替えたら優希も行こうよ。」 と誘われ、いなくなっていないと聞いてほっとし、優希は快斗の言葉に頷いた。 まだ、夢か現実か曖昧だけど、快斗が言うのなら、きっと皆いるのだろう。何故かそう思えた。 「部屋の外で待ってるから、着替え終わったら出てきてね。」 そう言って、持ってきたのであろう着替えを差し出し、後でねと部屋を出て行った。 静になった部屋の中で、昨晩のことを自分の中で整理し、考える。 優希は、彼等が施した二重の催眠術によって失われた記憶を取り戻した。けれど、彼等は戻ることを望んでいないかもしれない。そういう考えが過ぎった。 特に、双子とは、二度目の『はじめまして』をしたのだ。 あの言葉が、彼等にとってどれだけ重く突き刺さるような刃になったことだろうか。 彼等の中では、はじめましてではなく、『久しぶり』だったのに、彼等がやったとはいえ、会っても思い出せなかった自分が何だか嫌になった。 「どんな顔して、二人に何て言えばいいのよ。」 この一晩で、いろんなことが起こりすぎた。 けれど、ただ一つだけ良かったと安堵することはあった。 あの、魔術師が生きていたことだ。 覚めたら消えてなくなる夢ではなく、確かに生きていた。 白鷺も言っていた。彼は、『仕事』のことで隠すことはあっても、決して『嘘』はつかないから、生きているのだと確信できた。だからこそ、会ったら何と言えばいいのか考えてしまうのだ。 いくら考えても答えは何も出ない。 とにかく会おう。そして、話をしよう。まずはそれからだ。意を決し、着替えた優希は部屋の扉を開けた。 そこで待っていたのだろう、快斗が笑顔で行こうと手を差し出す。 優希は先に下で待ってても良かったのにと言うが、心配だったからという答えに、過保護と言ってやる。何だか、昔に戻ったようで、双子とのやり取りを思い出したのだ。だから、余計に周囲の人間は本当に自分に対して過保護だと思うのだ。 優希は差し出されたその手を取り、皆が集まる下の部屋へと向かうのだった。 ガチャっと戻ってきた快斗と起きた優希を出迎える志保。 しかし、そこには志保以外誰もいなかった。双子の二人は出かけたし、姫華と名乗る女は奥の部屋で篭って何かをやっているのでここにいないのはわかっている。 「親父は?それに、山宮って人もいないんじゃないのか?」 「ああ、二人なら出かけたわ。昨晩の仕事の後片付け、だそうよ。」 「・・・そうか。」 快斗自身も、優希同様に急に起こった出来事についていけずにいた。だから、少しだけ盗一がこの部屋にいないことにほっとした。 死んでしまったと思っていた父が生きていた。そんな夢物語のようなことが現実に起こり、一緒に同じ空間にいたとしても、どうしていいのかわからないのだ。 昔なら、いなければ仕事で、それでも必ず帰ってくるから信じて待っていられた。帰ってきたら出迎えて、父の魔法を見るのが楽しみだった。そして、自分も父のようになりたいと思いながら、必死に練習し、時には父に教えてもらったりしながら、限られた時間であっても家族団欒という時間を過ごしていた。 けれど、一度失ったと思うものが戻ってきても、自分が昔とは違うし、父も昔とはきっと違うだろうから、どうしたらいいのかわからない。 「さっき、山宮さんが暖めなおしたから、まだ冷めてないと思うけど・・・冷めてたら言ってね。」 「あ、わかった。」 席につき、出された食事を見る。きっと、白鷺が作ったのだろう。いただきますと手を合わせ、朝食を手につける。 「ねぇ、優希。」 「何?」 カップに珈琲を入れて戻ってきた志保が、前の席に座った。 「あの人達と昨日のこと。どう思ってるの?」 「・・・わかんない。でも、私は里杏と紫闇と話をしなくちゃいけないし、盗一さんとも、ちゃんと話をしたい。今はそれだけ。私は、忘れてはいけないことを忘れちゃってたから。」 「・・・忘れてはいけないこと?」 繭をしかめ、志保が聞く。志保自身も、まだはっきりと突然の出来事が整理できずにいたのだ。 しかも、優希の周囲にいる守りの存在については確かに聞いていたが、まさか組織の中にいた時でさえ、耳にする『裏の名前』を聞くとは思わなかったのだ。 「忘れてはいけなかった。なのに、私は里杏と紫闇を忘れた。たとえ、それが人為的に施された記憶操作であっても・・・私は忘れてはいけなかったのに。」 この言い方では、まるで知り合いだったかのようだ。 山宮という男やエリーという女に関しては知り合いのような話し振りだったが、双子は学校で会ったのが初対面だったのではなかったのか。 「あの二人とは、知り合いだったの?」 その問いかけに優希は頷く。志保と快斗は、優希の話の続きを切り出すのを静に待ちながら、昨日のことを整理しながら最近起こったこと全て思い返していた。 「本当はね、盗一さんを忘れるはずだったの。そうなるように、盗一さんがやったから。でも、紫闇が忘れちゃ駄目だって。代わりに自分を忘れろって。・・・だから、盗一さんの事故のことはほとんど覚えてない。ただ、舞台で失敗したからという聞かされた事実だけ。あの人がこの世に存在していたということだけ。それだけを覚えていて、他は忘れた。」 あの日を忘れても、あの人がいたという『存在』を忘れることはなかった。けれど、忘れたのと同じなのだ。あの日の前後のことは覚えてないし、亡くなったと聞いて立派な魔法使いだと思っていても、思い出すと辛くなるから思い出すことが少なくなっていった。そうやって、日常の中で思い出すことがなくなり、忘れてしまったのと同じようなことになっていた。 決して、忘れてはいけないかったのに。 大切な人なら、悲しいという気持ちは強くても、存在を忘れてしまったら、本当に消えてしまうのと同じなのだから。だから、本当に失いたくないと思うのなら、忘れてはいけないのだ。 「それに、今更あの人達を捕まえることはできないわ。あの人達の貫こうとする信念の邪魔を、私はしたくないの。」 その結果が、誰かを傷つけることになっても、彼等自身が傷つくことになっても。 多少の手出しはするかもしれない。失いたくない気持ちはあるのだから。それでも、邪魔だけはしたくないのだ。 「何より、皆どこかで死にたがってるから、彼等が人を傷つける瞬間を見てしまうより、怖い。だから、己の中に持っている信念を貫いている間は、彼等は生きているから邪魔はできない。でも、結局それで死なせてしまっては、結果的に失うってことで同じなのかもしれないけど・・・。」 やはり、誰も失わないように頑張ろうとは思うが、足手まといになるようなことだけは避けたいと思うのだ。 その為、常に周囲に気をつけ、変化を見逃さないように生きてきた。 それが結果として探偵の自分に大いに貢献することになっているが。 「死にたがってる?」 優希の言葉を聞いていて、つい口を出してしまう快斗。昨日会った彼等も転校生の双子も、そんな風には見えなかったからだ。 常に危険と隣り合わせの自分のように、もう一つの姿があるのだから、それは仕方がない。けれど、わざわざ死ぬために行くような状況に、持っていくっていうのは快斗にはわからなかった。 「別に、自ら死のうっていう自殺願望者ではないけど、殺してくれる誰かを探してるように思えて仕方ないの。」 「殺してくれる誰か?わざわざ危険を冒して、誰かもわからない相手に殺されることをあいつ等は望んでるのか?」 「そう、皆、自分から死ぬことができないから。」 優希の言葉の意味がいまいちわからない快斗と志保。辛い現実を向き合っても、逃げずに生きようとする人はいる。 弱さから負け、死を選ぶ人もいる。決めるのは全て、最後は自分。 確かに、自分で選べないこともあるけれど、彼等は何故死にたがっていて、殺してくれる誰かを探しているのか。 快斗と志保も、己が犯している罪から、生きることに絶望を覚えることもある。だから、死にたいと思ったことは何度もある。 けれど、彼等もまた、自分達と同じように目の前にある光に手を触れ、生きることに意味を見出しているのではないのか。 死を悲しみ、命を奪われることをよしとしない彼女を彼等が知らないはずはない。 それでも、彼等は誰かの命を奪う行為をしている。だが、彼等はそれでも生きることを止めずにいるのではないのだろうか。 それなのに、死を望んでいる。それが二人にはわからなかった。 快斗も志保もかつて大切な人を失った。そして自身が残り、出会いと共に生きる意味を見つけた。 大切だと思えるものがいるこの世で、大切な人達の手で生かされて、どうして死にたがるのか。 「誰かの命を奪えば、己の命が奪われる覚悟をもって行なわなければいけない。行いは全てその身にかえるというから。でも、あの人達は、誰かの未来を奪っておきながら、己の未来を奪うようなことをするのは奪われた相手に失礼だからと思ってる。これは、二人も彼等と同じ立場なら同じ気持ちにならない?」 だから、自分で死ぬことはない。それに、自分がやってることがいいことだとは思ってないし、だからといってその行いを悔いているわけではない。 悔いる時は、もっとはやくすれば助かる命もあったかもしれないという、出遅れたことによる後悔や食い止めることができなかった後悔とかで、狙う相手を手にかけることに悔いてはいないだろう。もし悔いるようなことがあれば、迷いを呼び起こし、次ができないから。 それに、優希は彼等がいくら世間では悪と呼ばれるであろう行為であっても、探偵として真実を知っても止めることはできない。同時に、彼等の仕事の手助けはできない。それを、彼等もまた望んでいないだろうから、気付かないふりをするようになっているのかもしれないけど。 そもそも、彼等と出会ってから、優希は何が正しいのか真実を見極めるのが難しくなっていた。 世間ではこれが正しい。そう言われていても、いざ謎という箱の蓋を開けてみると、正しくないことなんて、たくさんある。誰かの可能性を奪う行為にしたとしても、人を裁くことも人が決めた基準の元で行なわれることであり、はじめから殺人が認められている世の中であるのなら、彼等が間違ったことをしているわけではない可能性だってある。 現に、種族差別による虐殺や今も尚続く世界各国での内乱だって、正しいということを正しいと認めさせる為に戦い、多くの命を奪うことになっていることもある。 何より、今の世の中の正しい悪いは、人が作った定義のようなもので、もしかしたらそれ事態が間違っているのかもしれない。そう思うようなことだって、優希は探偵として真実を見る間にいろいろ見てきた。 「私は、探偵として救える命があるのなら助けたいと思うし、困っているのなら解決の糸口を見つけて絡まった糸を解いて真実を正したい。確かに、謎が好きっていう単純な理由もある。けど、真実が全て正しいとは限らない。悪だと裁かれるものも、本当は悪ではないのかもしれない。だから、たとえ彼等のしたことを知っても、私は彼等を捕まえることはできない。それに、彼等は捕まえることは無理だと思う。」 自分ではどうしようもできない悔しさが、常に付き纏う。 「・・・彼等は間違いなく、人が一番嫌う、異端者だから。だから、余計に死にたがってるの。この世に、異端を増やしてバランスを崩したくない、って。そんなこと、ないのにね。」 「異端者?」 「そう。人が持っている能力とは違い、異常に発達した何かを持つ者。周囲とは違い、高い能力や人から見て不思議だと思える能力を持つ人は、異端者。皆、その異端者の集まり。だから、私が本気で捕まえようとしても、間違いなく一切の証拠を隠滅して姿を消すわ。それができる。だから、いくらでも日常に溶け込める。」 けれど、本音を言えば、彼等はあまり望んで命を奪っているように思えないから、そういうことが起こらなくてもいい世の中になればいいと思っている。だって、彼等は生きる為にこれを選ぶしかなかったのだと思うからだ。 「そもそも、誰がいつどうやって異端かどうなんて区切ったのか知らないけど。でも、私や快斗さん、志保にはない力を彼等は持ってるわ。いえ、違うわね。何らかの力によって、その時が来るまで舞台の上で踊らされているのよ。もしかしたら、彼等はその流れに逆らいたいのかもね。だから、その役目を果たさずに消える道を探しているのかもしれない。」 決して、死が彼等にとって流れに逆らうことに繋がるわけではないけれど。むしろ、死さえも物語上の出来事にすぎないということもありえるのだ。 「それが、死ぬこと?」 「ええ。彼等は誰かに殺されない限り、他の誰かを殺し続ける人形なのよ。」 ほとんど、事情は知らない。けれど、大切だから、彼等も幸せであってほしいのだ。 だから、犯罪を見逃してはいけないのだろうけど、優希は彼等の犯罪を暴くのではなく、ただ一緒にいたいのだ。 そして、いつかは生きる為に選ばざるえなかった道を変えたいと思っている。かなり、無謀なことだとはわかっているけれど、何もしないままではいられないのだ。 間違いなく、彼等の時間は一刻一刻と迫っているはずだから。 どうしてなのかはわからない。けれど、何かが起こるような悪い予感がするのだ。 少しだけ、盗一さんが死んだあの日を予感する悪い気と同じだから。 あの人も、流れに逆らえない一人だけど、結果的に『物語』は変わっている。あの人は生きていたのだから。 必死に生きる彼等を止めることはできないし、死にたがっているのを止めることもできないけれど、決められた運命という奴に彼等を持っていかれたりすることだけは、したくないのだ。 だから、優希自身も、決して邪魔はしないにしても、簡単に彼等を得体の知れない運命という流れなんかに持っていかせないために、足掻くと決めたのだ。 「家で一人ってこと、多いから。山宮さんや里杏や紫闇が一緒にいてくれた日って、とても楽しかった。それにね、私の家の都合でいろいろあるの、知ってるでしょ?」 「そうだね。あの人はとても人気者みたいだからね。どちらからも。」 「組織にいた時も、何度か名前があがってたわ。」 相当世界中に名前をふりまいてたんだなと、再認識する優希は苦笑するしかない。 本当に、無茶ばかりする親だ、と。 「だからね、私は浚われることも、殺されそうになることも、慣れてしまってたところもあるの。けどね、いつも、彼等が助けてくれるの。だから、いつの間にか彼等がいるから大丈夫だっていう安心感があって・・・手放せないぬくもりになってる。」 彼等は優希にとって、大切なもう一つの家族になっていたのだ。 だからこそ、本当は彼等が望まない道に進めさせるのは嫌なのだが、今はそれしかないのが現実で、歯がゆい思いを抱えている。 「だから、彼等のやることに賛成はできないけど反対もできない。知っているけど、黙っていることでしか彼等に何もしてあげれない。別に警察に通報しても彼等なら逃げられるけど、ゆっくり休む時間のない場所へ、いってほしくないっていう我が侭。あまり上手くいえないけど、犯罪を容認してるわけじゃなく、怪盗キッドのように、目的を果たすまで家族を偽ってでも止められないように、彼等が目的を果たすまでは干渉しないってすでに決めちゃってるの。」 それぞれ、何らかの目的があるのはわかっている。それが何なのかはわからない。 そして、その目的が終われば、彼等は生きていくことはできないであろうとわかっていても、結局優希には何もできないのだ。。 ちょうど、長い朝食を終え、片づけをしている時だった。 ただいまという声と共に、紫闇と里杏と盗一が帰ってきた。 昨日のことが本当に夢でないことがはっきりと現実で示されていた。 「盗一さん・・・。」 「何て言うべきか、言葉が見つからないけど、悪かったね。黙ってて。」 「いえ・・・。でも、良かったです。盗一さんが、無事で。」 泣くつもりはなくても、毀れる涙。優希の涙に弱い三人はどうしたものかと焦る。 けれど、盗一はそんな仕草を見せずに、ハンカチをポケットから出して優希の涙を拭ってやる。 「昔のまま、こういうところは泣き虫さんだね、優希ちゃん。」 「嬉しい時でも泣くものだって教えてくれたのは盗一さんでしょ。」 「そうだったね。」 ぽんぽんっと優しく頭を撫でる大きな手は、かつてよく知るものと同じだった。 本当に、本当に、盗一さんがいるんだと、実感できた。 「それに、紫闇と里杏もごめんね。忘れちゃって・・・。」 「思い出されたんですね。」 頷く優希に、複雑そうな顔をしながらも、勝手に記憶操作を施してすいませんと二人が謝った。 そんなことはいいのに、二人は謝らないと気がすまないと言い張るのだった。 そんな二人に、優希はうれしく思えた。 何だか、ぽっかりと開いた穴が塞がったような、そんな感じで、懐かしく思えた。 「また、側にいてもいいですか?」 重なる二つの声。いつも見守ってくれていた優しく大きな手。側にあることが日常になっていた笑顔の数。 あの頃は、当たり前になっていた日常で、優希にとって大切なもの。 「それは、私からお願いすることよ。私は帰ってきてほしい、里杏、紫闇。」 「ありがとうございます。」 「この先二度と悲しませないと誓います。」 「そんなのはいいよ。私は、何も言わずにいなくならないでいてくれたら、それでいいの。」 どんな現実でも、最後まで往生際悪く足掻くだろうけど、知らないままではいたくないから。 「盗一さんも、お帰りなさい。」 長い、誰にも知られずに生きる旅路から。 私の中にあった記憶は戻った。そのことで、一つ、解決してほっとしていたのも事実。 今はただ、彼等が戻ってきたということだけで、浮かれてしまっていたのだ。 だから、また私は気付くことができなかったのだ。 私に隠して、ずっと心に秘め続けた思いを、その時がいつか来ると頭ではわかっていても、すぐそこまで迫っていたことにこの時気付かなくてはいけなかったのに。
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