夢を見た。 懐かしい、昔の夢。 そこには、父と母とあの人と・・・そっくりの顔の少年少女がいた。 そして、夢は進み・・・あの人の事故の光景がはっきりと見えた。 嫌だ。見たくない。けれど、見ないとどこにいるかわからない。 わからないままでは、あの人の側にいられない。 伸ばそうとした手は届かず、外へ連れ出される。 そこで、夢は途切れ、現実へと戻った。 しかし、まだ夢を見ている錯覚に襲われる。 目を覚まして最初に見たものが、あの人の顔だったからだ。 夢の中の秘め事 静まり返った屋敷の一室。その中で唯一動く影が二つあった。 「姉さん、大丈夫?」 「大丈夫よ。かすり傷みたいなものだもの。」 ハンカチで傷口を縛り、今は血が止まったが、赤く染まったそれを目にして、唇を噛む紫闇。 姉のことは誰よりも信じているが、優希が気づいたのに気づけなかった自分が悔しかった。 紫闇にとって、里杏は優希とはまた違う意味でかけがえのない大切な片割れなのだ。ずっと一緒にいたために、こういう仕事をしていると、失う恐怖に駆られることもある。 けれど、姉なら大丈夫だと心に言い聞かせて仕事に入る。 もちろん、怪我をすることだってある。けれど、その怪我の数だけ自分がまだ未熟だということを思い知らされ、とても複雑であった。 「誰に、やられたの?」 「大丈夫よ。それ相応のお返しは差し上げたから。」 「そう。」 それはつまり、もうそいつはいないということ。 もしまだ生きているのなら、これからお返しをしに行くところだから、と答えるからだ。 「でも、僕は姉さんには傷ついてほしくない。」 「私も同じ。だから、気にしちゃ駄目。今は、役目があるんだから。」 「・・・。」 二人で、お互いの手を繋ぎ、額をくっつけて目を閉じる。 いつも、こうやって片付いた後は祈るのだ。 もちろん、祈る相手は神ではない。 神に捧げるのは復讐という名の詩だけ。 だから、祈りの詩を捧げるのはお互いの無事をこの大地に空に風に海に・・・人が決して立ち入ることのできない大いなる力に捧げるのだ。 それらには神が宿っていると言うが、僕達は神とは思っていない。僕等にとって、神とは違う何かなのだ。 神は何もしてくれない。けれど、この世界を構成するモノが自分達に何かを与えてくれる。だから、常に感謝し、常に干渉しすぎてはいけない。 そう、優作と出会う前、唯一優しくしてくれたおばさんが僕達に教えてくれたことだ。 おばさんはどんなことがあろうと神を信じる人だった。けれど、神はおばさんを助けてはくれず、奪っていった。それでも、おばさんはきっと・・・『神』を信じているのだろう。 そんなおばさんが、神を信じなくてもいいから、世界を構成するもの全てに感謝を捧げることを何度も僕達に教えた。 いつか、自分の身に何か危険が降りかかった時、『何か』が助けてくれるから、と。 この世のものは全て、『神』であるものの力を宿したものが形として見えるようになっているものがたくさんあるから、と。 何度もおばさんは僕等にそう言った。 僕等こそが罪人であるのに、おばさんが罪人として僕等を神として救いを求め、祈るような感覚を何度か覚えたが、結局僕等はおばさんと出会ったという事実以外は何も知らないのだ。 彼女との付き合いは短く、結局僕等はどうして彼女があの場所で生活していたのかは知らないからだ。 だから、僕達はいつも感謝の祈りの詩を捧げる。 今は祈ることができないおばさんの変わりに。そして、一度だけ、危なかった時に僕等は工藤優作という男に『助けられた』という事実を運んだ何かに。そして、優希と出会える導きを与えた何かに。 これが、おばさんが言っていたことなのだろう。だから、今も僕等は祈る。 最後まで諦めずに信じれば叶う。それは確かにそうだ。だから、祈るのだ。 そして、僕等の感謝の後には、今日も優希が無事に一日を過ごせたことを、誰にも聞かれることなく祈る。 同時に、何もしてくれない神を呪う。 暗い廊下を迷うことなく進む黒を身に纏った青年が、ふと足を止めた。青年の周囲には多くの動かないそれらがあったが、それでも足を止める事はなく進んでいたのにだ。 「それで、いったい何やってるんだ。」 目の前で、死体の懐を漁っている女の姿に、呆れ半分顔に出しながら、青年は問いかけた。 そんな青年に、女はぱぁっと笑顔で明るく答えた。 「ちょうど別件の仕事で獲物がこれだから。ラッキーって思って、仕事頑張ってるのぉ。」 「・・・。」 「いくつかは見つけたんだけど、足りないし、その辺適当に転がってるから誰が持ってるのかわかんなくて。」 そんなことを言う女に、なら、何故獲物の顔が判別できないような状態にしてしまうんだと言いたかった。 だが、彼等も悪いのだと青年はわかっていた。 こうなるということは、間違いなくあの女の地雷を踏んだのだ。決して言ってはいけない禁忌の言葉を言ってしまったのだろう。 それが、女を怒らせる発動のタブー。 それを犯せば、青年自身も殺されはしないがひどい目にあった経験があるのでよくわかる。 「それにしてもだな・・・片付けが大変じゃないか。」 「あら。それをするのが始末屋の私達の仕事よ?あ、あったぁ〜。」 喜びの声をあげて、それを高く掲げる女に、ため息しかでない。 本当に、何故こんな女についていくことを自分は決めてしまったのだろうかと、青年は再び後悔の念に心を支配された。 「で、そっちは片付いたの?」 「ああ。」 「状況は?」 「わかってるだろ。」 「ノリが悪いわね。」 「・・・。」 こんな状況でテンションを高くして女のやり取りに付き合うことなどできないと、男は言うが、面白くないと女はむくれてさらに文句を重ねた。 そのため、男はそれ以上言わず、動かなくなったそれらを、邪魔なので端によけ、次の仕事をするために女と移動した。 そろそろ、夜は明ける。 目を覚ました時、間違いなくあの人は側にいた。心配そうにしている志保の姿もあった。 そして、父親が生きていた事に驚きながらも、本気で私のことを心配していたであろう、快斗の姿もそこにあった。 いつの間にか、自分は意識がなかったようで、いまいち状況がつかめなかったが、あの人がここにいるということだけはわかった。 簡単に話をして、もう少し休みなさいと、皆部屋から退室し、一人になった。 一人になると、急に部屋の中が静になって、気持ちが悪い。 普段でも、家は賑やかだからだ。 はじめからわかっていたが、自分は結構今の生活を楽しんでいたと思う。 横になって、少しずつ夢を見たことを思い出しながら、頭の中で整理する。 遠くで聞こえる声。 それは、かつて私の記憶が変更されることのない、私自身のままの時、聞いた声だ。 「もし、何かがあれば私の事は忘れておくれ。」 困ったような、それでいて何かを堪えるような笑みに失敗したあの人の顔がすぐ側にあった。 「忘れないで。忘れるのは僕達のことだけ。」 泣きそうで、必死に堪える彼と、複雑そうな顔をしている彼女の姿がそこにあった。 二種類の声が優希の脳裏に蘇る。それは、遠い遠い、記憶の中に押し込められていたもの。 そして、重なる夢と現実。 そうだったと、思い出した私が手に入れたのは記憶の欠片。 夢に見た光景――それは忘れていた過去。 いや、正確には催眠術によって消されるはずだった記憶が、催眠術で別の形に上書きされて消された結果による、故意に起こされた記憶喪失であり、偶然重なってしまった歪んだ記憶の欠如。 「里杏・・・紫闇・・・っ。」 忘れてはいけなかったのに、忘れてしまった。 ごめんなさい。謝る言葉しか出てこない。それより、謝ることすらいけないことのように思え、優希は自分を呪った。 確かに、自分は人の命が奪われるのを見るのが嫌だし、奪われるのを放ってはおけない。 何より、大切な人達が自分に隠して自分の命を狙う者達を消してきたという事実がもっと痛い。 だから、おじ様も彼等も、私からその真実を遠ざけた。 私が気にするのをわかっていたから。それと、どれだけ自分が危険な場所にいながら、平和な日常を送れていたのか、今更わかったし、気付けない自分が悔しかった。 きっと、山宮さんは私が忘れたことを知り、言わないように気をつけていただろう。父も母も、そしてエリーさんも。皆、幼くてもろい私の心を守るために。 私は強くならないといけない。そう思っていたけど、結局まだまだ彼らにしてみれば小さな子どもにすぎなかったのだ。 「ごめ・・・さ・・・い。」 零れ落ちる涙が、シーツを濡らしては乾いて消えていく。 そんな時、突如窓が開き、そこから黒いコートをしっかり着込んだ白鷺が姿を見せた。 「優希ちゃんが謝ることじゃない。そもそも、謝るのは何も言わなかった俺や、むしろあいつ等だ。」 「でも・・・それでも、私は忘れてはいけなかった。」 「無理矢理記憶を捻じ曲げたのは向こうだ。だから、気にすることはない。」 「それでも、忘れてしまったら、あの時の日々が嘘になっちゃうじゃない!」 確かに、存在していた時間。彼等と過ごしたその時間は、優希にとっては大切なものだ。それを忘れることは、たとえどんなことがあっても、それ以外を覚えていながら忘れることは存在を否定することになりかねない。 「私は忘れてはいけない。どんなことも。止められずに死なせてしまった犯人も、大切な人を奪われた人々の悲しみも。そして、大切な人が犯した罪も忘れてはいけないのよ。」 それが、人の中に土足で踏み込む探偵が背負うべき罪。 「それを言うなら、俺も謝らなくてはならなくなる。」 「えっ・・・?」 「あの人を死ぬことを望まないのは、何もあの人の家族や優希ちゃん、おじさん達だけじゃない。俺達もあの人の途中退場は望まない。だから、俺はあの人を生かすことを選んだ。」 「・・・それじゃぁ・・・。」 組み立てられていくパズルのように、わかっていく過去の出来事。 「俺が入院して、退院明けに家に行ったのは覚えてるだろ?」 「ええ。山宮さんが入院する程のことに巻き込まれたって後で知って・・・お店に行ったものね。」 父さんが無理言って、病み上がりの山宮さんを呼び出したんじゃないかと、確認する為にあの時乗り込んだ。 彼は私の訪問にかなり驚いていたけど、何も言わずに客として迎え入れてくれた。 久々に彼の仕事姿を見れて、何だか私は楽しかった。本来の目的を忘れるほどに。 前に彼の表向きの仕事を見たのはいつだったかと考えるほど、私がここへ訪れることはほとんどないのだから。 「じゃあ、あの入院理由って。」 「あの爆発の中あの人を死んだとわかるようにタイミング見計らって火のなか飛び込んだ、だからだな。」 「っ!?何でそんな無茶なことっ!」 「無茶をするのは優希ちゃんも同じだ。あの双子も言えるがな。俺は優希ちゃんやあの双子よりは自分の限度わきまえてるつもりだ。」 「・・・。」 それはつまり、無茶しすぎだと言われたことと同じだ。 「俺はあの人を助けた。だが、俺もすぐには動ける状況でなかった為に、優作さんに連絡がその日滞った。そのせいで、あの人は助からなかったかと諦めた。双子も生きていることは知らないままだった。」 けれど、と白鷺は続け、あの日の事を思い返した。 エリーが連絡を入れ、優作だけは彼が生存していることを知り、双子には結局意識が戻らない今の状態では話はやめようという結論に至った。 だから、優希だけではなく、双子やあの人の家族、そしてFBIにすら事実を伏せて数年過ごしたのだ。 「優希ちゃんは悪くない。何も知らなかったのだから。無知が罪となるのなら、隠した俺も罪を背負うことになる。まぁ、すでに罪人であるのには代わりがないがな。」 どんな経緯であれ、何かを奪うことは誰にも許されることではない。わかっていても、自分はこちら側を選んだ。だから、罪人だと罵られようが別に構わないと思っている。 それが、優希に言われることになっても、別に構わない。彼女が無事ならば。 「そんなことないっ!山宮さんはちゃんと、ちゃんとやったことをわかってるもの。」 「そう言ってくれるとうれしいよ。けれど、このことは優希ちゃんが気に病むことじゃない。双子もまた、時間が欲しかっただろうからな。」 彼等は二人だけの世界にいた。だから、どうしたらいいのかわからない子どものままだった。 けれど、優希と出会うことで人間らしさを手に入れたのだ。 「優希ちゃんのために手を汚すことは厭わない。けれど、優希ちゃんの前では決してやりたくない。それを、目の前でやってしまったことに対して、怖くて逃げたんだ。優希ちゃん自身、彼等に罪を重ねて欲しくないと思っているのがわかっているからね。だから、優希ちゃんは悪くないよ。だからといって双子も悪くはない。」 あれは、様々な事が重なってしまった、事故だったのだから。 そして、あの日から白い魔術師は世間から消えたと思われ、自由に空を飛びまわる時間ができた。 その時間を手に入れるのに多少時間がかかってしまったのも事実だが。 事故で片付けるには、大きすぎるのかもしれないが、全ては世界を歪ませる世界にばらまかれた月の呪いのせいだ。 許せないと思うのなら、その呪いを恨めばいい。 「だから、自分を責めたり、謝ったりしないでほしい。彼等の前では、笑っていてほしい。辛いなら辛いとはっきり言ってほしい。彼等はそっちの方が、きっと望むだろうから。俺もそうだけどな。」 だから、今は休めと白鷺は優しく優希の頭を撫でながら言う。 「明日、急に消えたりはしないからさ。文句は明日にして今日は休もう。じゃないと、主治医のお姉さんが明日怖い顔して待ち構えてたら困るだろ?」 「うっ・・・。」 いろんな意味で現実に引き戻された。 「だから、寝る。いいな。」 優希は頷き、大人しく布団に戻った。 大分夜は明け方に向かい、朝日が届くのも近い。けれど、まだ光は届かない。その間は眠っていればいい。 「じゃあ、歌。歌ってよ。」 「・・・。」 「ちゃんと眠れるように、歌って。私は山宮さんの歌、好きだから。落ち着くの。だから、歌って。」 「・・・わかった。だが、他の奴等には内緒だからな。」 白鷺は白鷺ではなく別の顔を持っている。白鷺での表の顔はゆめかたりのただの店員であり、学生である。 同時に、『白雪』という名のピアニストだ。しかも、ボランティアでいろんなところに出没する為、大きな舞台に立つことはないが、ある意味有名だ。 何故ピアニストとしてボランティアで演奏しているのかと、彼に聞いたことがある。何でも、彼の母が兄弟全員にピアノや歌やヴァイオリンなど、いろいろやらせたらしいことを優希は聞いた。 何でもできて損はない。それが彼の母の言い分だったそうだ。そういうところは、どこかエリーと似ている気がする。もしかしたら、エリーと知り合いだったのでその影響なのかもしれないが。 そして、そのときのことも活かし、仕事をしやすいように別の顔を作った。 それが、白雪という名の謎多き女だ。 しかし、ピアノだけではなく、まれに歌を披露することもある。それがまた、不思議と惹き付けられる歌声で、依頼が殺到したが、全部断ったらしい。今も変わらず、本人の意思でボランティアとして歌っている。 つまり、白雪が歌が上手いなら、同一人物である白鷺もまた、上手い。 けれど、白雪の声では歌うのに、白鷺の声では滅多に歌わない。だから、一度どうしてだと聞いたことがある。 自分は音楽に関してはまったく駄目だったので、その点では彼のことを尊敬したし、憧れた。だから、気になったのだ。 その答えは、歌い方が同じだからということだった。声が違ってもバレるかもしれない。だから、歌わないとい。 それが本当かどうかは優希にはわからないが、聞いてからはその問いかけはしていない。 ただ、たまに歌ってとはお願いする。 白雪の歌も確かに好きだが、白鷺の歌も好きだ。 きっと、この歌は彼が妹のために歌った子守歌なのだろう。暖かくて、穏やかになって自然と落ち着ける。 その力は本物だ。だから、誰も白雪の歌を聞きたいと望み、人々に知れ渡ったのだろう。 それが彼にとっては不本意なことだとわかっていても、優希は彼の歌がやっぱり好きだから、いろんな人が彼の歌が良かったというのは何だかうれしい。 彼の歌を聴きながら、ゆっくりと遠ざかっていく意識の中で、いつかみた夢のように、皆が楽しく笑い会えるようにあればいいのにと思いながら、眠りの世界へと旅立っていく。 「いつ聞いても、綺麗な歌ね。本当、むかつくわ。」 そんな女の言葉に、苦笑するそっくりの顔の女と男。 「でも、たまに私もあの歌は怖いかな。夢の世界へ、引き込まれそうになるから。」 彼らにとっての夢の世界とは、逃げた先にある世界。 そして、夢といっても決して楽しいことが待っている世界ではなく、まっくらで闇が広がる、何もない世界だ。 そう、そこにあるだけの、現実から逃げた罪人にふさわしい場所。 「あまりにも綺麗だから、わからなくなる。」 「そうね。確かに私達は罪を犯した者同士。けれど、彼だけは特別。」 「彼だけは、私達とは次元の違う罪を背負う生贄。」 彼も私達も、ただ生きようとしただけ。大切な人を守りたいだけ。それだけなのに、周囲がその些細な幸せを感じられる日常を壊していく。 だから、日常を守る為に狂うことに決めた。 けれど、彼はまだ狂っていない。けれど、私達ではどうにもならないような狂気を秘めているのも事実。 「彼も、ゆっくり『楽しい』夢がみれたらいいのにね。」 『彼等』の休息の場はどこにもない。 それが、こちら側を選んだ者達の行く末。 けれど、確かに今はここに休息の場がある。 |