「いつまでたっても、困った子だね。」

 

そう言って、男の被っていたフードが脱げ・・・月夜に顔が照らされる。

 

「なんで・・・っ?!」

 

そこに立っていたのは、この世にもう存在しないはずの男の姿だった。

 

 

 

月夜の秘め事

 

 

 

どれだけ眠っていたのだろうか。ふっと、意識が浮上し、見慣れない天井が視界に広がる。

そう言えば、ここは自分の部屋ではない。そして、何かが起こるはずということを思い出し、隣のベッドを見る。そこには眠る志保の姿があり、少しだけほっとした。

布団をめくり、ベッドから出た優希は部屋にある大きな窓を開け、テラスへ出た。そこから見える星空に、素直に綺麗だと眺める。都内ではこんなに綺麗な星空は見えないだろう。

月明かりで明るい夜だからか、少しだけ気持ちが軽くなり、不安が消える。まるで、あの人が現れるような明るい月の光が眩しい。

「どうして、あの人は殺されなければいけなかったの・・・?」

あの人を守護する月に問いかけても、いつも答えなど返ってこない。優希にとっては、あの月こそがあの人を奪ったものにしか思えない。

「もう、誰も傷ついてほしくないのに・・・誰も・・・。」

それなのに、あの月は少しずつ侵食するように、多くの人達を傷つける魔性を秘めた輝きを放つ。あの月に、いったい何人の人が惑わされ、犠牲となったのだろうか。

今もまだ、何かを失ったような感じがしているが、思い出せない記憶。いつも、月が邪魔をして辿り着けない。本当に、月は嫌いだ。

「これ以上、誰の命も奪わないで。」

月は少しずつ雲に隠れ、夜の闇が濃くなっていく。

そこへ、ふわりと風が優希の頬を撫でる。そして、はっとして振り返れば、そこには黒いフードで顔を隠し、マントで全てを包み込んだ影があった。性別も年齢も、体格すらも隠された何者かの登場に、優希は警戒する。

しかし、柔らかく、暖かい感じがする相手に、優希は戸惑う。

「こんばんは、お嬢さん。」

声は男のもので、そう優希に話しかけた。

「気をつけなさい。闇に覆われた夜には光は届かない。・・・月の光の元でだけ、歩きなさい。」

そう言ったかと思うと、優希が問いかけるより先に風が吹き、一瞬目を放した隙に男は消えた。

それと同時に、雲に隠れつつあった月が再び顔を出し、夜の闇を明るく照らしていた。

少しだけ、懐かしい感じがする。だけど、記憶の中で思い出せそうで思い出せずに何かが邪魔をする。

「何が、起こってるの?」

その時だった、どこからか大きな爆発音が聞こえてきた。

「まさかっ・・・。」

蘇るのは、大好きだった魔術師の死。

爆発し、何もかも炎が飲み込む人が生み出した破壊兵器。あんなものがこの世になければと何度思ったことか。だから、自分はあの二人に対処の仕方を教わったのだ。

無力で何も出来ない自分のままでいたくなかったから。何か、できることがあると思ったから。

優希は慌てて部屋に戻り、扉を開けた。そこには快斗とジョディ、そして紫闇の姿があった。

「どうかしましたか?」

「目が覚めちゃったの?」

二人が同時に心配そうに言ってくるが、それよりもあの爆発の方が気になり、それどころではなかった。

「さっきのは、何?」

「あれは・・・。」

「黒いひらひらしたお嬢さんが暴れてるのデスヨ〜。」

困ったものですと言うジョディに、はいそうですかと納得して部屋に戻ることなど、今の優希にはできなかった。

「紫闇・・・里杏はどこ?」

「姉さんですか?たぶん、屋敷のどこかで応戦してると思いますけど・・・どうかなさったのですか?」

「連れて行って。里杏のところに!」

「え・・・?」

優希は快斗とジョディが止める間を与えず、紫闇の腕をつかんで夜の闇に包まれた廊下を走った。

「優希様、姉さんに何か用事ですか?」

「胸騒ぎがするの。」

「胸騒ぎ、ですか?」

姉に限ってへまはするまい。何より、ここには紫闇にとっても厄介な曲者が揃っているのだ。

いったい、何が優希に不安を与えているのか。わからないまま、優希を守る為に周囲の気配を凝らしながら連れられるままに走る。

廊下を照らす窓から入る月の光がだんだんと雲に隠れたためか、少なくなっていく。月が闇へと飲み込まれていく。それが余計に優希を急がせる。

 

 

 

 

金属同士のぶつかり合う音が静かな屋敷の中で響く。

収まった頃には、周囲は物言わぬ塊が転がっている。

冷たく見下ろし、黒いコートを翻し、先へと進む。

今は月明りが届かなくて良かった。赤く染まった壁や床を見ずにすんだのだから。

「そっちも終わったのか?」

「ええ。一応は。・・・まだ、人数が潜んでいるようですけど。」

前方に現れた女の姿に話しかける白鷺。すでに、お互い日常の自分達ではなくなり、ただの殺人者が立っている。

「アンタも一応狙われている対象なんだろ?もう少し顔を隠したらどうだ?」

「問題ないわ。・・・私は、死なないもの。優希様が望む間はね。」

同時に振り返り、背後に潜んでいたものを打ち抜いた。

うめき声と倒れる音が耳に届いたが、すでに二人は記憶からおいやる。いちいち、覚えるのも面倒なほど、自分達は命を奪ってきた。だから、すぐに忘れるようにしていた。重要な危険人物以外は。

「それで、『浅間』はきてるのか?」

「まだ、屋敷内には入ってないわ。・・・明日、ここを片付けたらホテルで寝てるだろうから。」

突然背後から向かってくる敵にも動じず、ナイフの軌道をそらし、腕を掴んで前へ引く。そのまま足をかけてバランスを崩したところへ針を刺す。

足元に転がし、里杏が何の感情も浮かべずに告げる。

「始末してちょうだい。」

「了解。」

白鷺はその言葉に短く応じ、次の場所へと二人は移動を開始した。

その時だった。ふと、前方から感じる複数のぞわぞわとする殺気に、二人はすばやく物陰に隠れた。

「どうやら・・・ただの雑魚じゃないのもいたみたいね。」

「そうだな。」

こちらを殺す気でいる相手は、気配を隠そうとせず、反対に殺気を向けてくる。これは、先程まで片付けていた奴等とは確実に違う。

「まぁ、この距離なら何とでもなるが・・・どするつもりだ?」

「あんなの相手に、使うのは勿体無いわよ。」

隠す気がないのなら、こちらも隠れていても仕方ない。

何より、こちらとて大人しくしているような性格はしていない。それに、先程までの雑魚より多少やるだけで、結局は二人にとっては『敵』にすらならない。

あのような者達は、ふいをつけばいい。単独である奴等はコンビネーションがない。

自分が殺す。そういうはっきりとした意志を向けてくるのだから、自分がと思う程にお互いが足を引っ張る。

「・・・3人。」

「最低1人。残りは速い方。」

同時に飛び出し、銃を構えて引き金を引くのを見たと同時に飛び上がる。

向ける方向さえわかれば、弾をさけるのは簡単だ。

二人にとって、彼等よりも狙いが読み難く、強い相手を知っている。

だからこそ、二人にとっては、彼等のレベルでは雑魚より少しやる程度の、結局は雑魚なのである。

3人を飛び越え、降りる。その際に白鷺は廊下の天井を通した複数の『糸』で男の腕やベルトなどにひっかける。気づかれぬように素早く無駄のない動きで、飛び越えて廊下に足をつく勢いを利用し、ひっかけられた男を引き上げる。二人が宙に浮き、廊下から足が離れる。

さらに強く白鷺が糸を引けば、腕に食い込み、皮膚が鈍い小さな音と共に裂けて血が飛ぶ。

その横で、壁に貼り付けられた男の姿が目に入る。

「いい殺し屋になれるな、アンタ。」

「情報は最大の防御で最大の武器であると同時に、秘密を守る術を持たないと、情報は身を滅ぼすからね。」

「確かにな。」

情報一つで人の命があっという間に奪われるというのは、すでに何度も見てきている。

「それにしても、思ったよりも多いな。」

「しっかり、お馬鹿さんにはお仕置しないといけないわ。」

赤い血が流れるナイフをハンカチで拭う里杏と、糸を適当に回収する白鷺。

まだ、夜は終わらない。

 

 

 

 

ガシャン・・・

男達は持っていた刃物や銃器を落とした。そして、その目は恐怖に染められた。

本来、殺しをやる男達が、である。自信もプライドも崩れ落ち、恐怖に襲われていた。

本当に、この女は人であるのかと。

暗いその部屋の中で叫び声が響いた。

「醜い歌声ね。・・・もっと、聖歌のように歌えないのかしら?」

ねぇ?と、目を細め、口元に笑みを浮かべた女が棚の上に腰掛け、もう声をあげぬ塊に言葉を零す。

スタッと、軽やかに棚の上から降り立った女の袖が、スカートが、ひらりと舞う。その様はまるで妖精のように美しく、しかし赤黒く染まった服と女の笑みが残酷にも裏切っていた。

「それで、そろそろ出てきたらどうなの?ずっと、見学だけのつもりなの?」

女は振り返らず、後ろにいる『気配』に問いかける。

「気づいておられたのか。」

ばれているのなら仕方ないと言わんばかりに、一人のしわがれた声の男が暗がりから姿を見せた。

「あの人達の先輩かしら?」

「わしは違う。ただの殺し屋じゃ。」

この時になって、女ははじめて振り返り、相手の姿を見た。

「それにしても、美しい殺し屋じゃの。やりがいがあるというものじゃ。・・・のう、噂は聞いておるぞ。氷の女王よ。血塗られた女王の方がよいかの?」

女は笑みを消し、何の表情も浮かべず言う。

「貴方には名前を呼んでほしくないわ。たとえ、誰かが勝手につけた通り名でもね。・・・赤い烏さん?」

「ほぉ・・・わし名を知っておられたのか。それは光栄じゃ。」

それで、二人の会話は唐突に終わる。

そして、二つの影が衝突する。

どれだけの時間、女と男が戦いを繰り広げていたのか。感じるよりも短い時間だったのか。

ぶつかりあう影が、ふいに元いた場所に立つ。

「ご老体にもかかわらず、なかなかやるようね。感心するわ。」

「お主も、噂以上じゃの。」

お互い動くことなく、相手を見るだけ。

「貴方程の実力者が、何故こんなことをしているのか、不思議だわ。」

「わしは小さな女一人殺すのはどうでもよいのじゃ。・・・ただ、求めるものがあったからじゃ。」

「求めるもの、ね。少し、興味あるわね。」

女は再び笑みを浮かべる。同時に男から笑みが消える。

「お主は、何か求めるものがあるのか?」

「貴方に教える必要性は感じないわ。」

「そうじゃの・・・。」

再び、男は笑みを浮かべ、外の月が陰り、男の表情は見えなくなった。

「私が望むものは、工藤優希の平和な日常。」

急に、変わった声。それは、女にとって、かつて耳にしたことがある声だった。

「貴方が彼女に害をなさないというのなら、これを差し上げる。」

月が再び顔を出し、男の顔を女に見せる。そこには、先程と同じ男の顔があった。けれども、顔と一致しない声のままで、手に一枚の四つ折の紙を持ち、こちらへと見せていた。

「何を、企んでいるのかしら?」

「別に、何も企んではいないわ。『私』は彼女の命がこんなところで奪われるのは困るから。」

すっと、宙に投げ出された紙を受け取り、中を見る。そこに書いてある情報に女は驚きが隠せなかった。

「貴方っ!組織を裏切るつもりなの?」

「いいえ。私は裏切らない。ただ、彼女を殺せないだけ。」

そう言い、男の姿をした『女』は窓から外へ出て行った。

女は追いかける気にならず、手にした紙をもう一度眺め、懐にしまった。

「本当、危ない人間に好かれすぎよ。優希。」

女は部屋から出ると、廊下にも同じように動かなくなったモノが転がっている。

しかし、はじめから存在しないかのように、女は廊下を進み、闇に紛れる。

 

 

 

 

優希は、途中で遭遇した紫闇曰く、迷惑な人々と遭遇し、一人逸れていた。けれど、周囲に注意しながら、ただ進んだ。

消えることのない胸騒ぎが、今の彼女を動かしていた。

かつて、経験したあの時のように。

その時、ふと頭に痛みが走る。その理由は何かわからない。けれど、大切な何かが足りない。そんな気はしていた。

もしもだ。あの人が生きていたら。さっき出会ったのが、あの人であるのなら。

何かが掴める気もした。

光を隠し影になっていた闇が晴れた。まるでそれが合図だったかのように・・・気配を感じた。

カタン・・・

はっと、物音に優希は振り返る。

そこには、先程の男が立っていた。

その気配は殺意を持たず、優希の知っているものととてもよく似ていた。

「・・・おじ様なの?」

優希の呟きに、男は困ったような戸惑いを見せる。

「本当に、困ったお姫様だね。・・・できれば、月明かりの届く場所で、静に眠っていてほしかったのだけどね。」

優希と、名前を呼ぶ声。被っていたフードを脱ぎ、優希の目の前に現れる顔。

それは、間違えることなく、あの人のものだった。

「おじ様・・・生きて・・・。」

「ああ。・・・何とかね。しばらく眠っていたし、その後もリハビリで時間がかかったけれどね。」

しばらく思うように動かなくてよく優作に当たっていたよと、彼のいう言葉の一つ一つが心にしみる。

これは夢なのか、それとも現実なのか。けれど、触れるこの手の暖かさは本物だ。

本当に、彼は生きていたのか。

あの事故で死んだのだと思っていた優希にとって、それは驚きと喜び。そして、良かったという、安堵感。

今再び、月夜の魔術師が姫の元へ舞い戻る。

しかし、ここでほっと安心しているわけにはいかない。

この屋敷は、すでに戦場なのである。

「今はお休み。明日、眼が覚めれば話をするからね。」

そう言って、盗一は優希を眠らせた。それと同時に、物陰から紫音が姿を見せる。

「わざわざ隠れてなくてもいいのに。」

「邪魔をしては悪いかなと思いまして・・・状況は?」

「今のところは順調だよ。・・・ただ、里杏が怪我をしたこと以外はね。」

「っ・・・姉さんが?」

さすがに珍しいことなので驚く紫音。

「本当に、困るよ。他人のことにはとても敏感だからね。」

それに、と盗一は周囲に気をはる。

「僕が片付けておきますよ。」

盗一は優希を起こさないように闇に紛れてその場を去った。

「僕が、相手になります。・・・今日は機嫌がいいので、懺悔できる程度に少しなら時間をあげますよ。」

懺悔をしても、聞いてくれる神がいるのかは知りませんがと、付け加え、銃を取り出した。








あとがき
やっと第二部の重要な通過点です。あの人のご登場です。
何だか、あの人のせいで快斗の存在が薄くなりそうで怖いと思うこの頃です。
ちなみに、氷の女王と赤い烏の二人はエリーと金髪美人のお姉さんです。
名前は出てませんので一応。