「ねぇ、新一。」 そいつは、すでに俺の背後に立っていた。 「せっかくのハロウィンだから選ばせてあげるよ。」 甘いその声。だけど知っている。その裏に潜む陰を。 「お菓子か悪戯か。ねぇ、新一。Treck or Treat?」 長い夜はまだはじまったばかり。 ◇ 死者に捧げる祈りを今宵は貴方のためだけに 〜悪魔に好かれた神父 ◇ 小さな町のはずれにある教会に、一人の若い神父がいた。 その教会は、日当たりも風通りもよく、町の者達が足を運ぶことが多かった。 何より、そこにいる若い神父の人望も厚かったのだ。 黒いストレートの髪に神秘的な蒼い瞳。子どもっぽいところがあるが、いざとなれば頼りになる、とても優しく人のよい神父であった。 「神父様。」 「蘭・・・。」 教会には、シスターとして一人の女が教会内の仕事の補佐としていました。その彼女と神父はとても仲がよいと、見る人は皆そういいました。 それもそうです。彼等二人は幼馴染でお互い悩みや相談を打ち明けたり一緒に笑ったりできる親友だったのですから。 しかし、それを知らない町の人達はあの二人は夫婦だと勝手に思い込んでいました。 その思い違いが全ての歯車を狂わす引き金でした。 実は、彼等二人には、他に幼馴染がいたのです。本当は、彼等は八人だったのです。 ある日、彼等がまだ幼い頃、両親達が集まるクリスマスパーティの日に悲劇が起こったのでした。 たまたま、誤って酒を口にしてしまった蘭が気持ち悪いというので、彼は外へ連れ出し、落ち着くのを待ったのです。 落ち着いたので戻ろうとした時、幼馴染の一人が血相を変えて二人に駆け寄ってきました。 どうしたのかと思えば、それは耳を疑いたくなる事実を語られたのでした。 「今すぐここから立ち去りなさい。必ず、生き残りなさい。」 それだけ言って、二人の背中を押した。だから、振り返らずに走った。何となく、気付いたからかもしれない。 「そして、あの馬鹿どもを、捕まえてちょうだい。真実を白日の下にさらして・・・貴方なら出来るでしょう?新一君。」 その日、クリスマスパーティの会場は悲惨な状況であったとニュースで報道された。もちろん、二人も助けてと必死にしがみつく子ども二人に事情を聞き、あの事件現場での生き残りと知って保護をした。 そして数年後、クリスマスパーティを赤く染めた馬鹿が捕らえられた。それは、何度か父親が仕事で会っていた男だった。 あの日の事件を聞くと、あの男は借金があり、金を要求してもよこさない父親に勝手に恨みをもち、周囲を巻き込んで全員殺したのだという。 そんな勝手なことで命を奪われたと知り、新一はその犯人を殺してやりたいと思った。 皆、大事な家族だった。しかも、誕生日にマジックを見せてあげると約束した幼馴染もあの日殺されたのだ。いつか、自分は悪い人を捕まえる探偵で、彼は父親と同じように人に夢を見させることができる魔法使いになるのだと言っていた。 そんな彼の夢も全部壊されてしまったのだ。 だから、そんな馬鹿が増えないように、自分のように大切な人を奪われる人が増えないように、警察になろうと思ったこともあった。 しかし、新一には出来なかったのだ。 急がしくしている間はいいが、いざ落ち着いて一息を入れると、思い出すのだ。見てもいないのに、一人ずつ、悲鳴や叫び声と共に血が飛び散って赤い部屋に変わっていくのが『見える』のだ。 そして、常に死者に祈りを捧げる日々から、いつの間にか神父になっていた。 だけど、相変わらず探偵の依頼を請け負ってもいる。それでも、少しずつ落ち着くようになった。 日々、死者への祈りを捧げている時間が、とても穏やかになれた。 そんなある日のことだった。 教会に、黒い羽が一枚舞い降りた。そして、黒い翼を持った悪魔が教会に現れ、床に足をついた。 その悪魔の顔は忘れもしない。 「ど・・・して・・・?快斗?」 指きりを誕生日にマジックを見せてくれると約束した幼馴染がそこにいた。 「お誕生日、おめでとう。新一。」 ファサっと、赤い薔薇の花束を手渡される。 だが、何がどうなっているのかわからず、戸惑う新一に、快斗が少し寂しげな顔をしながら説明してくれたのだった。 それは驚くものだった。 あの場にいた家族ぐるみのお付き合いの八組の家族。実は、一部の人間は魔族であり、人ではないものだった。だから、殺されることはなかったのだ。痛みはあっても、人の攻撃で死ぬようなことはありえないのだという。 そして、紅子がすぐにただの人だった者達にも呪をかけて、全員の身代わり人形を置いて魔界に去ったのだという。 本当はすぐに二人も迎えに行きたかったが、魔界を安定させてからでなければ、二人に危害が加わってもいけない。だから、ずっと会うのを我慢してやっと彼の父親が魔界を治めるに至った。 「じゃあ・・・。」 「皆、生きてるよ。ずっと、二人の姿を見てた。俺は新一のことが心配で仕方なくて、何度も会いに行こうと思ったけどね。」 ぎゅっと抱きしめてくれるその腕は、記憶の中の快斗とは違い、しっかりした男のものだった。 彼の父親と似ている。そんなことを思っていた。 「新一が生きててくれて良かったよ。蘭ちゃんは少なからず魔族の血を受け継いでるけど、新一は魔族より違う血が深く流れてるから。」 「それはどういうことだ?」 「今は言えない。ただ、今はこのままでいいってことだけだよ。新一にも会えたしね。」 会いたかったと抱きしめる快斗の背中に新一も腕をまわす。亡くしたと思っていた、それでもずっと探していたのはやはりこれだったと思うと自然に涙が流れた。 彼は魔族。つまり悪魔となり人を惑わす者で、自分は神に仕える神父だとしても、彼が好きなのは変わらない。 それがたとえ、神の意に反する罪だとしても。 それから、蘭と新一は魔界からたまにやってくる彼等と会っては楽しく過ごしていた。 もちろん、人には見せられないし、魔族は夜が基本だから日が暮れてからだけど。それでも一度は失ったと思ったものが戻ってきたのだから幸せだった。 あの日のやりなおしのように、時間が動き出した気がした。 しかし、そんな幸せは長くは続かなかった。 『本当に神父様は素敵な人ね。』 『近々二人だけで婚儀をあげるんじゃないかしら?』 『お似合いだものね。あの神父様とシスター。二人とも、私たちとは違う世界の人みたいな感じで綺麗だし。』 そんな会話が、町に降り立った快斗の耳に入った。 「どういうことだ・・・。」 すっと、快斗がその場から消えたのに誰も気付かない。 『しんちゃんはボクのオヨメサンになってくれる?』 『オヨメサン?』 『ずっと一緒ってことだよ。』 『いいよ。かいちゃんといっしょだったら、きっとたのしいから。』 あの日、そう言っていたのは嘘だったのだろうか。再会は望まれていなかったのだろうか。 「逃がさないよ。新一。誰にも渡さない。新一は俺のなんだから。」 ずっと、新一だけが好きだった。でも、その気持ちはわかってない新一には混乱させるしかないものだとわかっていた。 だから、オヨメサンになってというあの日の約束だけで、好きとは言っても、それ以上は何も言わなかった。 なのに、どういうことだろうか。自分が魔界にいる間に、あの二人は自分の知らない仲に変わっていたのだろうか。 「蘭ちゃんにも、渡さないよ。」 快斗を抑えていた何かが音をたてて壊れた。 そして、彼等を壊したクリスマスの夜がきた。 仕事を終えて一休みしようと部屋に戻った新一の背後に立ち、動けないように強い力で押さえつける。 「なっ・・・どうして、快斗っ?!」 「新一が悪いんだからね。・・・もう、逃がさない。」 その目は新一が知らない恐ろしい魔物のものだった。 一瞬で景色が変わったと思ったら、もうここは魔界であの教会ではないことを知らされ、何が何だかわからないままに、恐怖で固まった身体をほぐされ、望まぬ行為を強要された。 泣いても止めてと願っても、その声が快斗に届くことはなかった。 その日、神に仕える汚れなきその身は悪魔に堕とされた。 人の世から離れたためか、新一の背中には快斗が言わなかった彼の中に流れる血の証があった。 二対四枚の真っ白な翼。彼は母親に似て、神族の血を濃く受けていた。 正真正銘、彼は神に仕える無垢なる者。 「もう、新一は俺のものだよ。」 ピクリとも動かず目尻に涙をためたまま眠るその頬に手を触れる。 教会から神父が悪魔にさらわれたと噂が流れ、シスターも他へ移ったと言われ、教会に近づく者はいなかった。 そして、次第に人々は神父のことを忘れていった。正確にはそうなるように蘭が仕向けたのだった。 「お母さん。どうしよう。」 「貴方のせいじゃないわ。」 帰るわよと、娘を迎えに来た母の後を追う。そして、かつてのように皆一緒にいる一つの黒い城に足を踏み入れた。 蘭の背中にも、人の時にはなかった黒い翼があった。 これで、全員人であることを捨ててしまった。 「おじ様。快斗君と話、できますか?」 広間に行けば、大人達がいた。そこに快斗の父もいたので聞くが、首を横にふるだけだった。 新一が魔界に連れてこられて数日が経っていたが、まだ誰も会ってはいなかった。 「そうですか・・・。」 原因なんて、悪魔が見ようと思えば人の世であったことなんてすぐわかる。そして、勝手な町の噂が原因だともすでに知っていた。 だから、自分が悪いのだと蘭は思っていた。もっとはやく、ちゃんと話していればと。 「誤解してるなら、誤解を解かなきゃ。新一の思いが全部壊されちゃう前に。」 「大丈夫よ、蘭ちゃん。新ちゃんの気持ち、届くと思うから。」 信じましょうと新一の母を見て、泣く蘭。もう一人の母親のように、暖かなその人は母とは色が正反対に違う白だった。彼女だけが神族だから、子どもも二分の一の確率だったのに、新一は母親の血を濃く受け継いでしまった。 母親は神に愛されていた。それでも魔族である優作を愛し、堕ちた。そして生まれた子どもは母親と同じ白い翼だった。 再び、神に愛された。だから、快斗の思いを知っていた神が町に噂を流して諦めさせようとした。結局それが逆効果だったけれども。 「やっぱり、私話してきます。」 「蘭ちゃん。今は駄目だよ。」 「青子ちゃん。」 「快斗は魔族として一番力が強いから、蘭ちゃんでもどうにかなることはないと思う。」 「でもっ・・・。」 「今はまだ、動いちゃ駄目。私たちがやることは、魔界で悪さする奴がいないように見張ること。」 「・・・。」 いくら安定してきたとは言っても、悪さをしなくなるというわけではない。 「快斗も馬鹿だから、すぐに気付くと思う。」 「そうだと、いいけど。」 ただ、願うだけだ。この広間へと快斗が新一を連れてくるその日を。 あれから何日が経ったのかわからない。 ただ、快斗の気が済むまで弄ばれ続け、その後は深く眠るだけ。 「・・・ぃ・・・と。」 声は掠れて音にならなくなってきた。身体を動かすのも毎日辛く、今では動く気力さえわかない。 ここへ来るのも突然だった。快斗に何があったのかなんてわからない。 ただ、快斗が昔のように笑ってくれないことだけはわかった。 もう、嫌われてしまったのだろうか。会いたかったとあの日会いに来てくれたのは嘘だったのだろうか。 それとも、自分が魔族じゃなかったからか。快斗と同じ黒い翼ではなく白い翼だからいけないのだろうか。 快斗のお嫁さん。どうして自分は男だったのだろう。女じゃなかったから、嫌われたのだろうか。 もしかしたら、自分が気に触ることをしてしまったのだろうか。考え出すとむなしくなっていく。 そういえば彼は幼馴染の中で青子と仲が良かったのを思い出す。彼女は快斗のことが好きだということも覚えている。 「・・・邪魔・・・だったのかな。」 自分達二人だけが外にいて、その間もここで彼等は戦っていた。いつか自分達を迎えにくるために。そう言ってたのを思い出すと、周囲が言うから彼はやってたのかもしれない。 それなのに、自分達はそんな戦いを知らずに平和という人の輪の中で暮らしていたからいけなかったのかもしれない。 あの日に戻れないことぐらいわかっていたつもりだった。 でも、戻れるのじゃないかと期待していた。 「ばか・・・だ。」 魔界に神族はいらない。 悪魔は生きる気を喰らう者。天使の気は極上のご馳走だろう。 自分は快斗にとって、もう人としても神族としても見られていないのだろう。 「明日は・・・収穫祭・・・。」 つまり、今日はハロウィンということになる。 側においてあるカレンダーを見て、一枚はがされ、11月に変わる。 時間間隔がなく、あってもあまり気にしていなかったが、丁寧に一日が終わればバツ印が書かれていた。 ふと、捨て置かれた去年のカレンダーを見つけた。それにも、綺麗にバツ印が並んでいた。ところどころに赤い丸印が書かれていたが、それは大事な日なのだろう。誕生日や彼の予定。 最後の一枚の12月で手が止まった。 自分が連れてこられたのはクリスマス。 事前にクリスマスイブは来るようなことを言っていたが、あの日彼はこなかった。 だけど、ここには赤い丸がついていた。次の日には黒い丸がついていた。 誰か、他の人と会っていたのかもしれない。そう思うと、ずっと待ってた自分が馬鹿みたいだ。 次の日の黒い丸なんて、きっと人である自分を堕とす日。 自分だけ逃げて助かって、痛い思いをした彼は怒っていたのかもしれない。 考えれば考える程、嫌になってくる。考えても考えても、快斗に嫌われてるのではないかという答えにいきついてしまう。 今宵、久しぶりに祈ろうか。 死者に祈るのではなく、今宵は貴方のために。幸せを願って自分が最後にできること。 起き上がり、シーツに身を包み、大きな窓から外に出る。 そこに広がるのは人の世と似ていて違う魔界。 ただ、手を合わせて、彼の幸せを祈る。 明日になったら、きっと自分はもう貴方に祈りを捧げることはできないだろうから。 ハロウィンの夜が始まる。 快斗が帰って来た。もうすぐこの部屋に彼はやってくる。 お菓子か悪戯かという答えを求め、それに自分は答える。 快斗が望むのなら、お菓子としてこの身を差し出そう。 快斗が望むのなら、悪戯という名の理不尽な仕打ちに耐えよう。 ただ、貴方の幸せを祈っている。 だから、勝手に貴方を愛し続ける愚かな自分に気付かないで。 『新一。今日はハロウィンだよ。だからね、選ばせてあげる。』 甘い悪魔の誘惑に今日は何でも従いましょう。 |